第587話マスターとルクレツィア(1)

今夜のカフェ・ルミエールには、珍しい客が現れた。

イタリアのフィレンツェ出身、貿易会社の重役のルクレツィア女史である。

マスターは、かつて史が洋子とルクレツィアの依頼で、その瀟洒な洋館にでかけて演奏をし、歓待を受けた経緯を知っていたので、

「その節は」

と、深く頭を下げる。


ルクレツィアは、首を横に振り

「いやいや、期待以上の素晴らしい演奏でした」

「今すぐにでも、フィレンツェに連れて帰りたいくらいの、将来有望な若者」

「おまけに美形で、頭の回転も素晴らしい」

「フィレンツェでも、あっという間に花形になるでしょう」

とにかく、話し好きらしい。

口を開けば、言葉が止まらない。


そのルクレツィアが注文したお酒は、やはりフィレンツェ直輸入の赤ワイン。

そしてマスターが「付け合わせ」として出したのは、アンティパスト。

プロシュートと、サラミ、鶏のレバーペーストをのせたカナッペなどが一つの皿に盛られている。


マスターは、また丁寧に頭を下げる。

「お口に合いますでしょうか」


ルクレツィアは、ご機嫌な顔。

「ワインの選び方といい、この付け合わせ、最高ですね」

「さすが、マスターです、後はおまかせにします」

といいながら、ワインを二杯目。


マスターが次に出した皿は、リボリータ。

「繰り返し煮た」という意味の、パンと野菜を一緒に煮込んだスープ。

もともと、食材を無駄にしたくないと考えたフィレンツェの人々が「余った野菜や豆、硬くなってしまったパンを一緒に煮てスープにしよう」と考えたことから編み出された料理。


マスターは、ニヤリ。

「少々、和風を入れてみました」


ルクレツィアは、リボリータを一口食べて、またうれしそうな顔」

「あ・・・美味しい・・・コクが出ましたね」

「典型的なトスカーナ料理が・・・だけど、これも好きです」

「はぁ・・・美味しくて、止まらない」

マスターが少し細工したリボリータは、あっという間に、ルクレツィアが平らげてしまった。

そして、マスターに

「すみません、隠し味を・・・」

と、おねだりをする。


マスターは、またニヤリ。

「いや、全然、日本人には大したことはありませんので、すぐに教えます」

「何ね、合わせ味噌とバターを少し、それと七味唐辛子を、少々」


ルクレツィアは、その目を丸くした。

「はぁ・・・さすがですねえ・・・」

といいながら、ワインの三杯目を飲み始める。


そのルクレツィアにマスターが、またニヤリ。

「もう一品、もうすぐです」


さて、マスターは、何をたくらんでいるのだろうか。



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