第585話老落語家とマスター(2)
目を丸くする落語家の若い弟子に、マスターが説明をする。
「これは、日本酒とジンのカクテル」
「マテーニに入れるドライベルモットを清酒にかえてみました」
若い弟子は、ますます目を丸くする。
「そうなんですか、それでこんなに・・・」
そして、また口に含んで、目を閉じる。
「・・・これは、美味しい・・・」
マスターが作り方を説明。
「たいして難しいカクテルではないけれど」
「ジンと日本酒の割合は一対一、オリーブや青梅を使う場合もあります」
師匠は、目を閉じ少しずつ飲んでいる。
「ほんと、ワクワクするほど美味しいのですねえ、これが」
マスターは、フッと笑う。
「そのお顔、若い頃から変わりませんね」
師匠は、頭をかく。
「恥ずかしいことを言わないでくださいよ、マスター」
「もうね、棺桶に半分足を突っ込んでいるんですから」
「そろそろお迎えが来たって、間違いがない歳なんですから」
マスターは、また笑う。
「ああ、それは困りますねえ」
「そんなことを言うんだったら、師匠にもう一杯と思ったんですけれど」
「考えてしまいますねえ」
師匠も笑い出した。
「これで、このマスターはこうね、意地悪なんですよ」
「こうやって、ついついもう一杯飲まされてねえ・・・」
「それも、高座を降りないって約束までさせられてねえ」
マスターは、首を横に振る。
「いやいや、それは師匠がいけないんです」
「ここに来るたびに、もう歳だとか、高座を降りるなんて、わがまま言うんですから、降りられたら私だって、生きる張り合いが無くなりますよ」
師匠は、マスターの言葉で、本当にうれしそうな顔。
「ありがたいねえ、こんな年寄りの爺の話なんぞ、楽しみにしてくれて」
と、またカクテルを口に含む。
マスターは、やさしい顔。
「いやいや、師匠の人情噺が好きなんです」
「芝浜、子別れ、紺屋高尾、文七元結・・・」
「本当に泣かせられました、そして力をどれだけいただいたことやら」
師匠も、やさしい顔。
「ほんと、そこまでほめていただいて、ありがたいことで」
じっとマスターと師匠の話を聞いていた美幸が、そっと二杯目のカクテルを師匠の前に。
「私も、いつか師匠の高座をお聴きしたいと思います」
師匠は、うれしそうな恥ずかしいような顔。
「あらあら、こんなお美しいお嬢様に・・・」
「孫よりお若いかなあ・・・」
「いつでも、いらっしゃい、お待ちしておりますよ」
マスター
「ほんと、その口上も変わりませんねえ」
「でも、こういう若い人に、師匠の人情噺を聴いてもらうのも、大切なことです」
「私からもお願いします」
師匠は、カクテルをまた口に含んだ。
少し目が潤んでいる。
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