第584話老落語家とマスター(1)
夜10時、カフェ・ルミエールに二人の着物姿の客が入って来た。
一人は、かなり高齢、もう一人は二十過ぎだろうか。
美幸が「いらっしゃいませ」と、テーブル席に誘導しようとするけれど、マスターが「いや、いいんだ」と、制止しカウンター前の席に誘導させる。
二人が座るなり、マスターが頭を下げた。
「お久しぶりです、師匠」
「お懐かしゅう、お身体の具合はいかがですか」
「師匠」と呼ばれた高齢の客は、フッと笑う。
「いやいや、ご心配いただき、申し訳ありません」
「この間、ちょいと夏風邪をいただきましたが、こうしてこの通り、世間様の前を歩けるようになりましてね」
「どうも、悪運が強いというのか、みっともなくこの世にしがみついているというのか、心配をされると恥ずかしくもなりますなあ」
その話し方からして、独特。
ただ、言葉の運びは滑らか。
美幸は、この時点で「落語家の師匠と弟子」と判断した。
マスターは柔らかな笑顔。
「さて、ご注文はいつもの?」
落語家の師匠も、マスターの笑顔でにっこり。
「はい、この私の生きる希望なのです」
「それを目あてに、この七十年の人生を過ごしてまいりました」
「で、その良さを、この小僧にも」
と、連れてきた弟子をチラッと見る。
さて、その弟子は、かなり緊張顔。
それでも、マスターに頭を下げる。
「日ごろ、お師匠や先輩方にお情けでいただくような酒しか飲んでいない私ではございます」
「このご高名なマスターのお酒が飲めるということで」
「今は、天にも昇る気分でございます」
歯切れはいいけれど、少し固い。
聞いているマスターと美幸は、苦笑気味。
さて、そのマスターがつくってきた「お目当ての酒」は、透明なグラスにはいった無色透明のもの。
師匠は、本当にうれしそうな顔。
「これが飲みたくてねえ・・・」
「懸命に暑い夏を耐え、夏風邪にも耐え」
グラスをそっと口につけ、少しだけ口に含む。
そして
「はぁ・・・生き返った・・・」
と、満面の笑み。
弟子も、その師匠の笑顔がうれしい。
自分でも、「心して」口に、少し含む。
そして、その瞬間
「え・・・あ・・・鮮烈!」
「こんなお酒が?」
その目を丸くしている。
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