第535話マスターの縁結び(4)

さて、亜美と久我道彦の「一件」は、約三週間前のことになる。

カフェ・ルミエールに夜7時ごろに入って来た亜美は、いつもより上品なスーツを着ているし、顔も緊張顔。


マスターも美幸も、それを察したのか、あまり声をかけない。

亜美が

「今日はまだお酒は・・・」

と言うので、出したのも、カフェ・オレ程度。

マスターが少しおなかにいれるものと言ったけれど、亜美は首を横に振る。

「あの・・・待ち合せなので・・・」


しかし、夜8時になっても、亜美の「待ち合わせ」の相手は、なかなか顔を見せない。

亜美の表情は、少しずつ苛立ちを見せ、また何度もスマホを見て、何かを確認している。


とうとう、夜8時半を過ぎた。

亜美は、目も虚ろ、ついには涙を流し始めた。

「また・・・騙された・・・絶対に来るって約束だったのに・・・」

「誰かが、二股って言っていたけれど・・・マジだったんだ」

「もう・・・やだ・・・帰る・・・」

しきりにブツブツつぶやいていると、カフェ・ルミエールの扉が開いた。


入って来た人を見て、マスターが

「おや、珍しい」

と声をかけた時だった。


亜美は、目に涙をためたまま、カウンター前の席を立ちあがった。

そして美幸に「帰ります、ご精算を」と精算をすませ、下を向き、小走りに一直線に進む。


マスターの「危ないっ!」と言う声は、間に合わなかった。


亜美は、入って来た男と、真正面からぶつかってしまった。

亜美は、叫んだ。

「何するのよ!」

そして、そのまま入って来た男を、思いっきり張り手打ち。

何しろ、カフェ・ルミエール店内に響くような大きな音。


「え・・・あの・・・」

いきなりぶつかって来られて、張り手打ちまでされた若い男は、久我道彦だった。

そして、その後ろには、京極華蓮が、信じられないと言う顔で、亜美を見ている。


美幸が、たまりかねて亜美に声をかけた。

「あの、亜美様、今のは不可抗力です」

「というか、亜美様のほうが、ぶつかっていった状態で・・・」


その美幸の言葉で、亜美はようやく正気を取り戻したようだ。

そして、自分が「してしまったこと」も理解した。


「あーーー!ごめんなさい!申し訳ありません!」

今度は、別の感情での涙があふれている。


しかし、その日の夜は、亜美はこれ以上、カフェ・ルミエールにいられる雰囲気ではなかった。

あてにしていたデートをすっぽかされというか、おそらくフラれ、おまけに見ず知らずの若い男に自分からぶつかっていったのにも関わらず、勘違いして張り手打ちをしてしまったのである。


「穴があったら入りたい」

亜美は、そんな気持ちで、カフェ・ルミエールを後にしたのであった。


・・・・・・・・・・・・


さて、そんな「一件」があった当事者同士が、「マスターのお計らい」で、対面をしている。

亜美は、ここでも「穴があったら入りたい」心理に、おちいっている。

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