第477話大旦那の提案(2)

大旦那は話を続けた。

「たとえば清汁にしてもだ」

「マスターが作る西洋風のスープは、牛肉や骨、鶏の骨を長い時間煮込み、作る」

「和風のスープとも言える清汁は、昆布と鰹節という乾物を使って、素晴らしい味に仕上げる」


マスターと美幸は、ふんふんと頷いているだけの状態。

大旦那は、さらに話を続ける。

そして難しい顔になった。

「ところがだ、最近テレビの料理指導の番組を見ていて、どうにも気に入らないんだ、日本料理の基本の基本が破られつつあるんだ」


マスターと美幸は、少し慌てた。

大旦那のこれほど難しい顔は、見たことがあまりない。

これでは、大旦那の次の言葉を待つしかない。


大旦那は、また難しい顔で

「何しろな、お椀の蓋を開けた途端に、鰹節の香りが漂ってくるのが、すばらしく上質の出汁なんて指導しているんだ」


マスターは、その言葉で、「フン」とわかった様子。

美幸は、「うーん・・・」と考え込んでしまう。


そんなカウンター前の様子が、他の客にもわかったようだ。

少しずつ、カウンター前に集まってきている。


マスターが、ようやく反応した。

「つまり、出汁の基本なんですね、それでわかりました」


大旦那は、そのマスターの反応にようやく顔を緩めた。

そして、マスターに目で合図、マスターは苦笑いをしながら説明をはじめた。


「昆布は海から引き上げ、砂浜に並べ太陽の光と海風で乾燥させて、旨味が凝縮される素晴らしいもの」

「鰹節は、これもまた長い歴史があって、製法も言い出すと長くなるけれど、調味の上では素晴らしい力を持つ、世界に誇れるものとも言えます」


大旦那がまた黙っているので、マスターは話を続けた。

「基本としては、2リットルの水が10分で煮え立つように火力を調節」

「それが沸騰する寸前に昆布を引き上げて、二番出汁の鍋に入れる」

「昆布の持ち味の6割が滲み出た状態がベスト」

「次に削りたて、鰹節から削ったばかりの淡いピンク色の鰹節を、酒猪口二杯の水で沸騰を沈めたところに、多めに振り入れて、スッと沈んだらまたすぐに浮き上がるという温度に水をさす」

「その後は、表面がふくれあがって、完全に沸騰すると思ったら、火を止めて、スイノウをのせた器に、ザッと打ちあける」


美幸は、そのマスターの言葉一つ一つをメモに取っている。


マスターは説明を続けた。

「料理をよくわかっていない人は、スイノウの削り節に残った汁を杓子などで、さらに絞りだそうとするけれど、それは禁物」

「せっかく手間暇かけて作った、素直な清汁に、鰹節のクセのある味が強くなりすぎてしまう」

「つまりね、昆布も鰹節も沢山使うんだけど、両方のクセのある味を出さないで、しっかり溶け合った別の趣のスープを作るのが目的さ、本当に贅沢なスープ、ある意味で美味の究極とも思う」


黙っていた大旦那が、口を開いた。

「それがさ、日本料理を指導するテレビ番組で、お椀の蓋を開けたら、鰹節の香りがなんて言うからさ、気に入らなかったんだ」


マスターは、そんな大旦那の顔を見た。

「ところで、板さんは、彼ですか?」


大旦那は、ニヤリと笑っている。

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