何も持たない少年③
それからというもの、シオンはスオウのところに足繁く通った。
おまえはいくつだ? どうしてあそこに一人でいた? 親は、どうしたんだ?
矢継ぎ早に問うシオンに少年は黙りこくっていた。側女のカンナが少年からシオンを引き剥がす。うしろでシュロが笑っていた。
「あいつは根暗な奴だ。ちっとも喋らない」
「お前が嫌われただけなんじゃないのか?」
シオンはシュロの
「もうやめとけ。どうせ途中でカンナに追い出される」
そう言いながらもシュロはシオンに付いてくる。シオンと側女の攻防をたのしんでいるのだ。物好きな奴だ。シオンは口のなかで言う。
もう一度、臀を蹴ってやろうとシオンは振り返った。しかし、先ほどまで笑っていたシュロは真顔だった。
「やめておけと言っているんだ。これ以上、関わるべきじゃない」
シオンは唇を引き結ぶ。シュロはあの少年がどこにいたのかを知っている。
「じゃあ、どうすればよかったんだ? おまえだって、ここに連れてきただろう?」
シオンに詰め寄られてシュロはちょっと考える振りをした。
「助けてはやっても、それ以上は関わらない」
「言っていることがめちゃくちゃだ」
「ああ。だから、カンナもそろそろあいつを追い出しているだろうな」
シオンは急いでスオウの元に向かった。寝具はすでに片付けられていて、ちょうどカンナが部屋の掃除をしているところだった。側女はシオンの姿を認めると、露骨に嫌な顔をした。今日もシオンは勉学の時間の途中で抜け出していた。
説教が来る前にシオンはふたたび回廊へと戻った。
シュロの呼ぶ声を無視して、とにかく走る。昨日のスオウはまだ床の上だった。カンナに身体を拭いてもらって粥を食べさせてもらう。それくらいにまだ身体は弱っていたのだ。
なにもそんな状態で追い出すことはないじゃないか。シオンは側女を罵る。いや、あの少年は理解したのかもしれない。自分は招かれざる客で、ここにいてはならない存在なのだと思ったのだろう。
だとしても、だ。あんな身体でどこに行くというのか。シオンはこの広い王城を忌ま忌ましく思う。しかし、所詮は子どもの足だ。それも病みあがりならばそう遠くへは行けないだろう。シュロがシオンを呼んでいる。二度目は素直に従った。
シュロは目顔で
すごい剣幕でやって来たにもかかわらず、少年はシオンを見てきょとんとした。スオウが自分よりも大きかったなら、シオンはその頬を引っ叩いていた。
「ここで、なにをしていた?」
イスカの王城はとにかく広い。迷い込んだにしては暢気な顔でいる少年に、シオンは腹が立った。
「なにって、空を見ていた」
「なんだと……?」
拳に力が入るシオンをシュロが止める。自分よりもちいさい奴は殴らない。シオンはシュロの腕を振り解いた。
「真面目にこたえろ! 私はおまえを、」
「おれ、こんなに大きな建物ははじめて見た。だから、落ち着かない」
今度はシオンが目を丸くする番だった。
シオンは少年のいた集落を思い出した。畑と家畜小屋、所狭しと並ぶ家は嵐が来れば簡単に吹き飛んでしまいそうだった。一番奥の長の家だっておなじだ。
建物の大きさはそのまま豊かさと貧しさを象徴する。そう、シオンは側女からきいた。
急に居心地が悪くなって、シオンは少年から目を逸らした。シュロがシオンを責付いている。シオンは懐から饅頭を取り出した。
「おまえにやる。食え」
いきなり差し出されてスオウは困ったような顔をする。シオンの肩越しからシュロが言う。
「カンナのお手製じゃないか。俺は貰ってないぞ」
「知るか。おまえはいつも食っているだろう」
「今日は食っていない」
シオンはシュロの臀を蹴る。そこで笑い声が漏れた。睨み合っていたシオンとシュロは同時に少年を見る。はじめて、笑っていた。
「早く食えよ。でないと、シュロに取られるぞ」
促されてようやくスオウは饅頭を受け取った。大事そうに抱えながらもおっかなびっくりとその一口を囓る。しかし動きはそこで止まり、少年はシオンを仰ぎ見た。
シオンは急に不安になった。カンナの作った饅頭は美味い。豚肉を細かく刻んだ具を入れてみたり、あるいは甘い餡を包んでみたりと日毎に中身は変わる。子どもが好きな味付けだし、シオンもシュロも好物だった。
口に合わなかったのだろうか。それならば、最初からシュロにやればよかった。取り返そうとシオンは少年に手を伸ばす。ところが、次のスオウの動きは速かった。
二口目はもっと大きく、そのまま三口とつづく。気持ちのいいくらいの食べっぷりだが、ほとんど噛まずに飲み込んだためか、スオウは饅頭を平らげたあとに激しく咳き込んだ。
「お前……、冗談に決まってるだろ? 俺はそんなに食い意地は張ってないぞ」
身体を二つ折りにするスオウの背をシュロが擦ってやる。
「ごめん。そうじゃ、なくて……。おれ、こんなにうまいもの食ったのは、はじめてだ」
シオンとシュロは顔を見合わせる。
それほどめずらしい食べものではなかった。大台所に行けば間食としていつも用意されているくらいだ。子どもならふたつ、大人なら一気に五つは平らげる。
「おおげさだな、おまえ」
思わずそうつぶやいたシオンにスオウは苦笑する。
「ここの食事は美味しいよ。粥だって、すごく美味しかった」
「まあ、カンナが作ったからな」
自分の手柄みたいに言うシオンのうしろでシュロがまた笑っている。大台所には調理番がたくさんいる。でも、カンナが作った食事が一番美味しいとシオンは思っている。
「でも、どうしよう。おれ、こんないいものを食べさせてもらったのに、払えるものなんて何もないんだ」
シオンはまじろぐ。イスカの王城で育ったシオンでも通貨は知っている。買う、売る。王城の外ではそれが普通に行われている。側女の声をほとんどきき流したシオンだ。単純な仕組みであっても、そこに必要なモノが何であるか、頭には入っていなかった。
「そんなことは気にするな。お前を拾ったのはシオンだ。ここに連れて来たのはシオンだから、お前にちゃんと食わせる責任がある。カンナはシオンの側女、ここまではわかるな?」
シュロの声にスオウはうなずく。
「ありがとう、シオン。それにシュロも」
口の端に餡が付いている。目顔でそれを教えてやると、少年は恥ずかしそうに笑った。
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