何も持たない少年②

「おい、カンナが倒れたぞ」

 シュロは厩舎きゅうしゃでシオンを待っていたらしい。説教がつづく前に、シオンは少年の身体を黒馬からおろそうとする。

「いつものことだろ。騒ぐほどのことじゃない」

「おいおい、冷たいな」

「悪いがあとにしてくれ。それより、手を貸せ」

 シュロは松明を持っていなかったので気付かなかったのだろう。上手く少年を抱えられずに、シオンは少年を黒馬から落としてしまった。シュロはようやくシオンが一人ではないとわかったらしい。たちまちに眉間に皺が寄った。

「お前……、どこで拾った?」

「話はあとだ。まだ、生きてる」

 シオンはもう一度、少年の胸に耳を当てる。鼓動はたしかにきこえる。

「俺を共犯にするつもりかよ」

 シオンは答えずに目顔でシュロに命令する。悔しいが、シオンでは少年を抱えられなかったからだ。

 舌打ちで返しながらも、シュロはそれに従った。幼少からの付き合いだ。互いの性格などよく知っているし、躊躇っているうちにシオンはシュロのしりを蹴る。

 それに、と。シオンはシュロの背中を見ながらつぶやく。口ではああ言いつつも、シュロはけっこう良い奴なのだ。

「……で、どうする? カンナはいないぞ」

 お前のせいで。そう、シュロは付け加える。シオンは無視した。

 側女のカンナが頼りにできないなら、他の侍女を探すしかない。しかし、いまはちょうど夕餉ゆうげの時間で、侍女たちは大台所にいるはずだ。

 子ども二人が行ってもすぐに摘まみ出される。さて、どうするか。とりあえず部屋で寝かせようにもシオンの部屋までは遠い。大勢に見つかって大事にはしたくはない。でも、ほとんど死んでいるような状態だ。外傷は見つからなかったが、医者が必要となれば、子ども二人ではどうにもならない。

「おい、なにぶつぶつ言ってる?」

 シオンの独り言は外に漏れていたようだ。

 うるさいな、おまえも考えろ。

 シュロの臀を蹴ろうとしてシオンは留まった。稽古帰りの戦士たちと回廊で擦れちがう。シュロに背負われている少年はぴくりとも動かない。シオンに泣かされた子どもがシュロに泣きついた。大人たちにはたぶん、そう見えている。

「とりあえず……、どこでもいいから空いている部屋にこいつを寝かそう」

「おいおい、ずいぶん適当だな」

 あいにく部屋ならいくらでもある。イスカの王城はとにかく広いのだ。シオンはシュロの脇腹を拳で責付せつく。シュロはなにかを言いかけて、しかしため息で返した。

 石灰石で造られた王城、二階建ての構造で中庭を見おろす四方の回廊は広々としていて、各部屋も回廊とおなじく吹き抜けとなっている。つまり扉というものが存在しないのだが、他の城を見たことのないシオンにとってはこれが普通だった。

 各部屋には最低限の調度品しか置かれていない。

 木棚がひとつ、羊毛をたっぷり使った絨毯の上には防寒用の寝具がひとつと、それだけだ。

 シュロが絨毯の上に少年を寝かせる。シオンはふたたび少年の胸へと耳を押し当てた。

「で、どうする?」

「私がカンナを連れてくる」

「言ったろ? カンナは倒れたって」

「引っ叩いて起こす」

「カンナも気の毒だな。こんなヒメサマだと、乳母も苦労する」

 シオンはシュロの臀を蹴った。固い。鍛えているせいでシオンの足が痛む。

「私が戻るまで、こいつを看てやってくれ」

「いいのか? ほとんど死にかけだが、俺がこいつの息の根を止めているかもしれんぞ?」

「シュロはそんなことをしない」

 シオンはシュロの声を皆まで待たなかった。カンナがいるのは西翼だ。そこにシオンの部屋もある。横に広いイスカの王城を端から端まで行くのは時間が掛かるものの、子どもの足には良い鍛錬になる。とはいえ、この日ばかりは無駄に広い王城を忌ま忌ましく思った。

 シュロの言ったとおり、カンナは横になっていた。額には熱冷ましの布が当てられている。シュロが置いていったのか。そんなのは知らない。シオンはカンナの頬を張った。側女は悲鳴をあげた。

 

 

 

 


 


 



 少年が目を覚ましたのは、それから三日後だった。

 シオンはシュロだけではなく側女のカンナも共犯にした。王城を抜け出してどこに行っていたのか。この少年をどこで見つけたのか。どうして連れてきたのか。嘘偽りを重ねたところで、所詮は子どもの声だ。シュロもカンナも多くはきかなかったものの、おおよそでは見当が付いているのだろう。

 そう、この少年はいわゆる訳ありだ。

 痩せっぽちでシオンよりも細い身体、顔も身体も煤で汚れている。着ているものもぼろぼろだ。叛逆を疑われた集落でただ一人の生き残り、もし見つかれば少年は殺されるだろうし、シオンだってただでは済まない。実の娘であろうと獅子王ならば迷わず罰する。シオンは獅子王を、自身の父をそう見ている。

 あとになって、シオンは後悔した。いや、少年をここに連れてきたことじゃない。シュロとカンナを巻き込んでしまったことだ。

 カンナはシオンの乳母だが側女なら他に代わりはいくらでもいる。シュロは西の部族の子だから罰せられずに済んでも、もうここには来られなくなるかもしれない。

「反省ならば、勝手に飛び出していく前にしていただきたいですね」

 側女はそう言った。シオンの心などお見通しだった。

 少年を連れてきた翌日から、シオンは幾度となく彼の様子を見に来たが、そのたびにカンナに追い出された。少年の世話はカンナ一人が務めている。シオンの他に子どもが一人増えたところで、カンナの仕事がそう増えるわけでもない。そう言いたいのだろう。

 鬱憤を晴らすために、シオンは他の子どもを捕まえては稽古相手をさせた。

 シオンよりも年上の子どもは、拳を三発食らったところで降参した。くそ、これでは稽古にならない。毒づくシオンの相手を誰もしたがらない。

 やはり、戦うならシュロだ。

 次に会うときまでにはもっと鍛える。拳を固く作ったシオンの前に幼なじみは現れる。亡霊でも見たような顔をするシオンに、シュロは意地悪っぽく笑った。

「そんなに私と戦いたくないのか」

「お前はしつっこいからな。負けてもまだ挑んでくる」

 だからと言って、嘘を吐く奴があるか。シオンは独りごちる。シュロはあの日、明朝には城を発つと言っていた。あれは嘘だったのだ。

「で? あいつ、まだ目覚めないのか?」

 カンナに追い出されても、シオンはやはり少年が気になって戻ってくる。部屋から側女が出てきた。子どもの声は大きい。二人の会話はきこえていたようだ。

 目顔で呼ばれたので、シオンは部屋へと入った。

 煤だらけだった少年の顔は綺麗になっているし、襤褸ぼろだった衣服も替えられている。カンナが用意したのだろう。この城には歳の近い子どもがたくさんいる。浅黄色の貫頭衣かんとういはよく似合っていたものの、少年にはすこし大きいように見えた。

 ちいさいな、と。シオンはつぶやく。四つ下の弟のエンジュによりはさすがに年上だが、身体はそのくらいにも見える。

「ここはイスカの王城だ。……わかるか?」

 床の上で少年はぼんやりしている。シオンは跪いて少年と視線を合わせた。すうっと、夜の闇のなかに吸い込まれるみたいだ。シオンは少年の目を見て、そう思った。

「私はシオンだ。おまえは?」

 声がきこえているのか、そうでないのか。少年は目をしばたかせる。

「スオウ」

 そうか、良い名前だな。破顔するシオンに、少年はにこりとも返さなかった。

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