何も持たない少年④
シュロが明日、西へと帰る。
けっきょく、シュロは一度もシオンの相手をしてくれなかった。前に挑んだときから半年、次に会うときはシュロはもっと強くなっている。
勝ち逃げは許さない。
シオンは王城内を隈なく探す。シュロの行動範囲は決まっているからすぐ見つかるかと思いきや、なかなか捕まらない。
すでに旅立ったあとかもしれない。シオンはかぶりを振る。側女のカンナにも手伝わせよう。カンナの元へと急いだシオンは、しかし側女の部屋の前で足を止めた。中から話し声がきこえたからだ。
「……と、……は、連れて来るように」
とっさに隣の部屋へと逃げ込んだので鉢合わせずに済んだ。シオンは早鐘を打つ胸を押さえる。ケイトウだ。口のなかで名をつぶやく。
「だから言ったんだ。あいつに構わず、さっさと追い出せと」
「何日も飲まず食わずで弱っていたのですよ。可哀想ではないですか」
「長くいればそれだけ情が湧く。あとで辛い思いをするのはあいつだ」
「ですが、シオン様が何て言うか」
「絆されているのはあいつじゃなくて、お前の方だ。関わるべきじゃない。俺は最初に忠告したぞ」
今度の声はシュロとカンナだ。居ても立ってもいられなくなって、シオンは部屋へと飛び込んだ。二人ともシオンを見ても驚かない。
「なんだ、いたのか。なら、話は早い」
「スオウはどこに行った?」
たぶん、大台所だ。カンナにお使いでも頼まれた。
「そのまま消えてくれたら一番楽なんだがな」
「シュロ!」
「騒ぐな。……宰相が来た。この意味をお前だってわかっているだろ?」
シオンは押し黙る。イスカの宰相は獅子王に一番近しい存在だ。王城内に子どもなどごまんといるものの、見知らぬ少年が紛れ込んでいたら噂が立つし、大台所ではスオウは可愛がられている。身元の知れない少年を宰相は見逃したりしない。
「あいつは……、スオウはカンナの隠し子だ」
シュロとカンナが顔を見合わせた。
「お前な。もっとましな嘘は吐けないのか?」
「うるさい。じゃあ、おまえがスオウを連れて帰れ」
「俺はそれでもいいけどな。親父が何て言うかな?」
シオンはシュロを睨みつける。幼なじみの父親は西を統べる族長だ。獅子王へと叛逆罪としてあの集落は粛正された。その生き残りなど生かしておくはずがない。
「わたくしが……、」
いまにもシュロへと飛び掛かりそうなシオンの前に、カンナが立ちはだかる。
「遠戚の者を頼ってみましょう。子どもがたくさんいますから、一人くらい増えても迎え入れてくれましょう」
「無理だな。お前たちはケイトウを甘く見すぎだ」
三つ年上のシュロはいつも偉そうにシオンに説教する。だが、こんな目をするシュロははじめてだ。シオンとカンナを見つめる双眸には
シオンは歯噛みする。巻き込むべきではなかった。カンナがシオンの味方をしてくれるのは当然だ。側女はシオンが生まれたときから傍にいてくれた。でも、そうじゃない。カンナはスオウを愛しく思っているのだ。側女には子どもがいなかった。
「おれ、行くよ」
皆が一斉に見た。いつのまに戻っていたのだろう。そこには両手で籠を抱えたスオウが立っていた。
「おまえ……。いや、でも」
「なんだ。話のわかる奴じゃないか」
シオンとカンナを押しのけながら、シュロはスオウへと近付く。スオウは何も言わず籠をシュロへと差し出した。饅頭だ。ひとつ取り出すとシュロは空いている方の手でスオウの頭を撫でる。
「いまさら逃げようとしても無駄だ。シオンもカンナも関わってる。お前が逃げたとしてその先で関わった奴らも同罪にされる。……わかるだろ?」
「わかってる。呼んでいるんだろ? おれと、それにシオンも」
はっとして、シオンはカンナを見つめた。側女はシオンを庇うつもりだったのかもしれない。ただ相手が悪い。宰相にはどんな声も言い訳も通じない。
「シオン、ごめん。いっしょに来てほしい」
そんな目をするな。シオンの方が泣きそうになった。少年の手を掴んで部屋を出る。行き先は獅子王の待つ間、シオンの父親のところだ。
「ほう……? 二人揃って来ましたか」
途中、シオンを待っていたのは宰相だった。
シオンは苦虫を噛み潰したような顔をする。褐色の肌、背に流した黒髪。どれもシオンのよく知っている色だ。だが、この男の持つ色は美しく見える。背の高い偉丈夫と整った
私は好きにはなれない。そう、シオンは口のなかで言う。
「そう、身構えずともよいでしょう。王は、姫を咎めるつもりはありませんよ」
シオンが一人で出向いて、そのあいだにスオウを逃がす。宰相の描いた脚本が見える。シュロやカンナはシオンを守るためにスオウを庇わない。少年は捕まって首を刎ねられる。そんな未来を変えるためにシオンとスオウは来た。
案内役でも買って出たつもりか。男の背を、シオンは見つめる。
かつて戦士としてイスカ中に名を馳せたこの男は、宰相という座に納まっている。宰相は獅子王の傍らに立ち、しかしいまは一線を退いた身である。ケイトウから剣を奪ったのは他でもない獅子王だった。その理由をシオンは知っている。
それなのに、なぜ獅子王はケイトウを傍に置いているのだろうか。
叛族は皆処刑される。それもケイトウは戦士としての資格を失った男だ。剣だけが強さの証明じゃない。そう、言ったのはシュロだったか。たしかに、剣を失ってもケイトウにはまだ武器がある。イスカという国を統べる王には、傍に政治力に長けた人間が必要だ。
シオンは自身の右の手を開いて、じっと見つめた。子どもの手のひらはちいさく、大人の扱う剣は握らせてもらえなかった。
イスカの戦士たちはみな、おなじ学を覚える。拳を鍛えるためにはまずは身体を作る。同時に心を育てる。けんは
シオンが暮らす王城は安全な場所だ。
堅固な城壁に迷宮のように入り組んだ回廊、戦士たちの守るこの城は強い。夏の暑さからも冬の寒さからも、それから嵐からも守ってくれる。皆が作った
王城の外ではこうならない。だから、誰もが王になろうとする。
この男も、そうだったのだろうか。ケイトウの背中を見つめながらシオンは思う。同時に恐ろしくもなった。剣を持てなくなったとはいえ、子ども二人くらいなら簡単に縊り殺せる。宰相がシオンの味方をすることなど、ない。
「お待たせいたしました、父上」
玉座の獅子王に向かってシオンは戦士の動作をする。スオウとケイトウもそれにつづき、獅子王の前で膝を折った。
声は、返ってこない。平服するシオンには父の顔が見られない。許しがあるまで顔をあげてはならない決まりだったが、待ちきれずシオンは動いた。
「ほ、報告が遅れたことを、まずはお詫びいたします。私はあの日、彼を――」
途中でシオンは声を止めた。獅子王が片手をあげている。喋るな。王はそう、命じている。
膝と肩が震える。シオンはふたたび床を見た。衣擦れの音が音がして視線を横にしてみれば、隣には宰相が並んでいた。
「王よ。彼に、申し開きの機会を与えてやってはいかがでしょう?」
想定外の声にシオンは顔をあげそうになったが、寸前で留めた。どういうつもりだろうか。宰相の魂胆が見抜けない。
「スオウと言いましたね。あなたはあの村の生き残りです。関係者であると、それは間違いありませんね?」
急に水を向けられたせいか、スオウの息を呑む音がきこえた。
「お、おれは……」
「正直に言いなさい。王は偽りを許しませんよ」
極度の緊張からか胴震いが止められない。シオンでさえこうなのだから、スオウは声も出せないはずだ。どうすれば、いい? シオンは自問自答する。ここで助け船を出すのはきっと逆効果だ。
「おれは、関係ありません」
スオウは臆さずにそう答えた。
「ほう? では、なぜあの村に?」
「おれとかあさん……、母はもっと東の生まれです。あの村にいたのは、ただたどり着いただけで」
「東……?」
「モンタネール山脈の麓、です。ここよりずっと寒くて、どうしても暮らせなくて。もといた村を、捨ててきました」
少年の声が震えているのは泣いているからだ。シオンは最初に少年を見つけたときを思い出した。死んでいると、そう思った。
「おれ、なにも知りません。あそこの集落にたどり着いたのも、偶然で。余所者だから、おれもかあさんも……、あそこでは誰も相手になんてしてくれなくって」
そのうちに粛正がはじまった。自分も母親もそれに巻き込まれた。そう、スオウはつづける。
「かあさんが、なんとかおれだけを隠してくれました。みんな死んでいたけど、なにも思わなかった。おれとかあさんをのけ者にした村なんて、知らない」
シオンは鼻を啜る。シュロに見られたらきっと馬鹿にされる。それでも、涙が止まらなかった。
「あの、おれ……なんでもします。なんだって、します。だから、ここに置いてください」
冷酷で知られるあのケイトウでさえ、少年の声を皆まできいた。だからシオンは、このときスオウが嘘を吐いていたことに気付かなかった。
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