プロローグ 『少女が手に入れた、自分の名前』
薄暗い、ほとんど光が届かない場所だった。
だが、別に照明がないわけではない。そこに住みついている主が、好んで電気をつけていないだけである。
黒髪の少女は、照明のスイッチを押した。
パッと電灯がつく。ついたところで太陽の下のような光では無いにしても、その場の奥のほうにいる男性の姿を、明確に照らし出しはした。
「……また明りを消しているの?」
少女の問いかけに、男性は顔を上げる。
年の頃は三十……いや、四十代か。やせ形で、無精ひげが生え、髪もぼさぼさ。しかし、不思議とそこまで不潔には感じないような、そんな男性。服装は仙機術使いが一般的に着る、ゆったりとしたローブを身にまとっていた。
「やあ、君か。いややることもないし、電気をつけてても無駄なエネルギーかなと思ってね」
「言えば本か何かくらい、用意してくれるでしょう?」
「本どころか、良い映像機器を用意してくれるだろうね」
「あなたは……大切な道しるべだから」
「何も覚えていないんだけどね」
そう言って、男は部屋の奥から少女にゆっくりと近づいてきた。
「で、僕に何のようだい? また、きみのお姉さんがお呼びかい?」
「そうじゃない……。あの人は、あなたからの情報は、しばらくの間期待しないと言っていた」
「ふうん、そうか。まあ確かにどんな薬物を使っても、僕は吐かなかったからなぁ」
「……あの人は、あなたが本当に忘れていることに、納得したようよ」
「そいつはしてやったりだ」
ケラケラと男は笑った。
「しかし、旧文明の遺産とはすごいものだなぁ。都合のいい部分だけ、僕の記憶を消し去ってくれるとは」
「……あなたの持ち物だったのよ。それだけ、あなたはあの人にばれることを恐れた」
「ああ、僕の家族か。僕は別に、彼女のことは嫌いではないのだが……。確かに、あんな危険な女に、自分の家族なんて知られたくはない」
その男の言葉に、少女は少し悲しそうな顔をする。
「……正解よ、その判断は、あなたが家族を守る理由としては間違いなくね。ワイズサード」
ふと、男は首をかしげる。一つ、気になる単語があったのだ。
「ん? 何だそのワイズサードっていうのは?」
「あなたの杖に書かれていたじゃない。あなたの名前なのでは?」
男、ワイズサードは腕を組み、思い出そうとする。
「と言っても、あの杖はすぐに君のお姉さんに取り上げられたからなぁ。でもまあ、そうだな僕の名前だな」
少女は少しあきれる。
「もう三年以上暮らしているのに、そんなことも知らなかったの?」
その言葉に、ワイズサードは答える。
「君と、僕と、君のお姉さんだけしかいないからなぁ。特に問題ないじゃないか」
その言葉に、少女は少し思案し、そして頷いた。
「……そうかもしれない」
そう言うと、少女はくるりと振り返り、部屋を後にしようとする。
しかし、それをワイズサードが呼び止めた。
「ねえ、君」
「……何?」
「まあ、必要なんて全くないんだけど、僕はワイズサードっていう、これからは僕のことはワイズって呼んでくれ」
「……必要があれば、そう呼ぶわ」
「で、本題なんだが、君の名前はなんていうんだい?」
不意に、少女の動きが止まった。しばらく立ち尽くし、そしてゆっくりと振り返る。
「知っているでしょう、あの人は私のことを三十五号と呼ぶわ」
ワイズサードは、首をかしげる。
「そうだっけ? 彼女が君に話しかけているシーンは、あまり見ないからなぁ。どうして、三十五号なんだい?」
その問いかけに、少女は無表情に答える。
「私が、あの人の使い魔の三十五番目だから」
「おいおい、それは名前じゃないだろう? 普段、他の人になんて名乗ってるんだよ」
その言葉に、少女はピクリと反応する。
「……名乗ったことはなかった。必要無いもの」
「ふうん」
「……でも、今日初めて、名前を聞かれたわ。あなたにも聞かれたけど、あと別の人に」
ワイズサードは、その言葉を吟味し、そして尋ねる。
「なんて名乗ったんだ?」
「名乗れるわけ……ない」
「ま、そりゃあ名前が無けりゃ名乗れんわな」
そして、二人はしばし黙り込む。
少女は無表情にその場に立つばかりで、ワイズサードもこの話題をどうすればいいか考えあぐねる。
先に口を開いたのは、少女だった。
「ワイズ、私は次、どうすればいいと思う?」
不意に、少女は問いかける。
だがその言葉に、ワイズは理解する。
つまり、何の用もなく彼女がここに来るわけもないのだ。何か、用事があってここに来たのだろう。
少女が頼れる人物は、世の中でたった一人、彼女の姉だけである。しかしその姉も、自分のことで頭がいっぱいときたものだ。この手の疑問に答えなど出してくれはしないだろう。
ともすれば、あとここにいるのはワイズしかいなかった。ある程度の自由が与えられているとはいえ、囚われの身なのだが……。
「ま、確かに話し相手には成れるからな」
「なんか言った?」
「いや、どうすればいいか、考えている途中だ」
とは言っても、ワイズサードも頭の回転が良い男ではない。自分自身でも、記憶が無かったのは別にしたとしても、もともと知識も多くはない事も自覚している。
なので、良い解決策などそう簡単に出てくるわけがないのだが……。
だがそれでも不器用でも、ワイズサードは少ない脳みそでなんとか答えをひねり出す。
ひとつだけ妙案が浮かんだ。
「ワイズ……サードか」
「……?」
自分の名前をポツリとつぶやくワイズサードに、少女は首をかしげる。
しかし、ワイズサードはそれでもつぶやきを止めない。
「ワイズは……WAIZU、いや……Ysだな。サードは3ってことだから、僕は三世……それで間違いない」
「……なにを言ってるの?」
「ワイズだと、なんか女の子っぽくないから……イース。で、4だからフォウス。……ああ、でもこの名前は使えないな……」
腕を組み、うんうん唸り、ワイズサードは思考する。
少女は少し意外に思った。今の今まで、この男は飄々と、特に何を考える様子もなく過ごしていた。だが今の彼はウンウンと唸りながら首をぐりぐりと捻っている。その顔もお世辞にも真面目にとは言い難かったが……。それでもこんな顔をするのかと、少女にしてみれば新たな発見であった。
「まてよ、三十五号か。ともなると、それを使って。イース……サンゴ。ミゴ……イスミゴ……あ、そうだこれかな」
ポンと手を打って、ワイズサードは少女に向かって笑顔で言った。
「イズミコというのは、どうだろう?君の容姿は和風だからなぁ、似合うと思うぞ?」
「はぁ?」
少女は、ずいぶんすっとんきょな声を出してしまった。
構わず、ワイズサードは続ける。
「どの道、三十五号なんて名前じゃ、これから何かのタイミングでどうしようもない事が出てくるかもしれないだろう? だから、せめて仮名を作っておけばいいじゃないか。で、イズミコ。可愛いだろう?」
「え、いや、でもちょっと、いきなりすぎる」
そんな少女の焦る様子を見て、ワイズサードは笑う。
「いやぁ、今のその様子を見れば、もう間違いないわ。イズミコって感じで、君は可愛いと思うから、いけるって」
「っ~~~~うぅ」
赤面して、少女はうつむいた。
「……あなたみたいなオジサンにそんなこと言われても、うれしくない」
「はっはっは、そりゃあそうだわな」
だが、ワイズサードは笑いながら続ける。
「だったら、次に今日名乗れなかった人に出会ったら、その時その名前を呼んでもらえばいいじゃないか。だから、その名前は、君が持っていていいんだよ」
その言葉に、少女……イズミコは、プイッと顔を背け、その部屋を去ろうとする。
「なあ、イズミコ」
「なに? ワイズ」
「ありがとう、僕は名前を教えてくれて。『思い出せた』よ」
「大したことはない。あなたがうっかり知らなかっただけ……」
そう言って、イズミコはその部屋を出て、扉を閉めた。
そして、つぶやく。
「……ありがとう。私は名前を得ることができた」
少女はうれしく思えた。
次出会った時には、あの子に伝えることができるのだ。
仮のものとはいえ、自分の、名前を……。
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