五話 アイスキュロス、一千億の夜

「クロード! クロード! 起きてください」


 ざらついたノイズ。砂嵐が吹き荒れるような。クロードは顔をしかめる。受話器ではなかった。ホテルでもない。脳内にじかに届くルナの声だった。脳に通信に必要なチップを埋め込んであり、それが通話しているのだった。雨は100%降らないが、雷雲が発生しているのかもしれない。少年の声にガリガリという空電の音が混じる。


「ん。……ルナか。どこからだ?」

「探査車からです。いま帰る途中です。まったく信じられません。脳内にダイレクト通話してるのに答えてくれないなんて。死んでるんじゃないかって本気で心配しましたよ」


 車の運転をしながらアンドロイドの脳内で喋っているようだ。ボリュームが大ききなったり、突然、声が聴き取りにくくなったりする。


「なせ通常の通信手段をつかわない?」

「あなたが出ないからですよ」


 さすがにクロードは青くなってベッドから跳ね起きた。脳内通話をルナが選択した理由が即座にわかったからだ。それが何であるかまではわからなかったが、生命の危険にかかわる緊急事態であることが了解された。でなければルナが脳内通信を使うことは絶対、ない。しかし、この穏やかで死に絶えた惑星に、いかなるクライシスが迫っているというのだろうか?


「アイスキュロスです」

「アイスキュロスが何だって?」

「忘れたんですか? 軌道上の旧戦艦のことですよ」


 咄嗟とっさのことで理解が追いつかなかった。クロードはベッドから降りてコップの水を呑んだ。乾いた脳がひたすら冷涼な水を欲していた。


「一千億の夜から連絡がきました」


 脳細胞に水が浸透する。視界が急にクリアになった。言葉がいくぶん滑らかになる。


「旧戦艦アイスキュロスのAIのことだな」

「そうです」


 一千億の夜。ルナとはふだんから会話しているようだが、人工知能から警告の入電があったことだろう。

 旧宇宙戦艦アイスキュロス。現在は無人の艦だ。二百年前、艦砲やミサイルなどの兵装を解かれ、退役し、軌道上にとどまり、いまこの惑星の遺跡調査員の支援をしている。いくつもの人工衛星とともにクロードとルナを見守っているというわけだ。すべての艤装ぎそうが外されたわけではなく、いまも外宇宙を航海できるだけのエンジンや航法装置、人工冬眠繭などの機能は生きている。惑星開発委員会とも、――亜空間通信によるタイムラグはあるものの、たえず連絡は取りあっている。それに地上との往復を可能にするシャトルも複数機、積載していた。また地球から派遣される帰還乗り継ぎ船のためのドッキングベイも用意されている。まさに小惑星を刳り貫いて建造された巨大な戦艦だった。


「星が近づいています」

「星?」

「彗星のことです」

「彗星がどうして危険なんだ」


 退役したとはいえ、戦艦クラスのレーダーや天体観測機器を積んでいる。惑星をかすめたとしても、彗星自体はまだ遠方にあるはずだ。慌てる必要はない。しかし。


「アイスキュロス標準時で明日の正午過ぎに最接近し、我々にとって最悪な結果が予測されています。居住棟やラボは破壊され、手をこまねいていたらわたしたちも間違いなく死ぬでしょう」

「なにを莫迦な。きょうは……」


 きょうはエープリルフールかと言いかけてクロードは愕然とした。ルナは冗談を言わないのだ。


「ステルスだったようです」

「接近をアイスキュロスの眼から隠されていた?」

「ええ、人工天体です。気の遠くなる大昔に設計された人工彗星だ、と一千億の夜は言っています」

「意図的なもの?」

「そうです」

「だけど、なぜ人工天体が近づいている?」

「幽霊石とオベリスクとなんらかの関係があると睨んでいるのですが。しかし……」

「まだ、わからないというわけだな。しかしなぜ、ステルスなんだ?」

「のちの時代。たとえば、わたしたちのような異星からの入植者に迎撃されないようにするため、という推論を一千億の夜はしているようです。惑星スケールでの意図があるということでしょうか。この彗星の起源は古く数十億年前に人工的につくられたという計算結果がでています。数十億年の時間規模で計画を遂行できる文明がかつてあり、いまもなお知性体は絶滅しても計画は進行中ということなのでしょう。彗星は破壊されてはならないのです」

「人工彗星がきたらどうなるんだ?」

「彗星が接近すれば核はかすめる程度ですが、氷のかけらがコアから分離し、地表に大量に降り注ぐことになります。氷の塊はそろそろ地表に降り注ぐころです。アイスキュロスの報告によれば、もうすでにいくつものかけらが分離し、惑星に到達しているものもあるようです。氷の落下ですが、あすの正午にピークに達します。すでに影響はでているはずです」

「どれくらいの被害が予測されるんだ?」

「分離した氷の量にもよりますが、海ができるほどの量だと推測されています」

「洪水ではなく?」

「海です」


 クロードは言葉を失い、宙を見上げた。窓から外がみえた。まばゆい光が塩の平原をしずかに照らしている。ここの太陽系の恒星からの光だった。あす彗星が最も近づくなら、そろそろ居住棟でも重力異常が検出されてもよさそうなのだが、そういう兆候がまるでなく、しずまりかえっているのは不気味だ。ひょっとしたら彗星を秘匿してきた者の力が働いているからなのだろうか?


「海に吞み込まれると?」

「ノアの大洪水以上の被害がでます」

「すまない。旧約聖書は読んだことがないんだ」

「海になります。山岳の上に行ければいいのですが、そんな時間的な余裕はないでしょう。翼があれば、何とかなるでしょうが。生憎、ぼくは天使じゃありませんから」

「君が天使でなくて残念だよ。シャトルは?」


 クロードとルナを乗せたきたシャトルはあるが、しかし燃料を補給している時間はなかった。海に呑まれるまえにアイスキュロスから燃料を積載したシャトルを派遣してもらわなければならない。


「新たなシャトルの派遣には惑星開発委員会の許可が必要です。指示を仰ぐにしても亜空間通信には一週間はかかります。指示なしのシャトルの派遣は契約違反になるので一千億の夜は許可しないでしょう」

「艦の砲は開けるか?」

「何言ってるんです。火器はすべて外されています」

「じゃあ、何もできない。我々が死ぬというのに?」

「シャトルの派遣についていえばそうです。契約とは本来、そうしたものです」

「ほかに方法はあるか?」

「いまそれを一千億の夜と一緒に協議しています」

「わかった。ルナ。君は戻っている途中なんだな」

「そうです。1208オベリスクにむかってから帰ります」

「オベリスク?」


 クロードは不審に想い、端末に火を入れて起ち上げた。青白いスクリーンに1208オベリスクの位置が表示される。クロードの声が苛立った。


「待て。居住棟とはまるで反対の方向だぞ。だんだん離れてゆく」

「そこに鍵があります。ぼくらが助かるための」

「どんな?」

「うまく説明できません。突拍子もない勘のようなものですから」

「アンドロイドの勘を信じるしかないと、と。なら、俺はどうしたらいい」

 ぶっきらぼうな口調だった。

「何も」

「何もしなくていいということか」

「いえ、一つありました」

「なんだ?」

「死なないでください」


 その言葉を最後にノイズ混じりの脳内通信は途切れた。

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