四話 塩の荒野を旅するルナと夢みるクロード

 ルナの出発はあわただしかった。朝食といっても、それはクロードの必要とするものであってアンドロイドは給仕をするだけだ。

 軽くふたりはキスをすると、鳥かごをイメージさせる鉄格子のエレベーターの扉を開き、中に入った。年代物の古風なエレベーターだった。最初の調査隊は五百年前にやってきたが、骨董品的な昇降機は当時の名残といえた。半分欠けた丸くてオレンジ色の大きなプラスチックのボタンを押すと、かごはガタガタ振動しながら車庫へと降下していった。

 惑星を照らす恒星は、東の地平の低い高度にかかっていた。見渡すかぎりの白い平原と、青い空。風が吹き、少年の栗色の前髪をなびかせた。秀でたひたいと、澄んだ瞳を平原の白にさらし、少年は探査車に乗り込んだ。

 クロードは、旅立つ少年に手もふらず、ただ塩の白と空の青が混じりあう地平線に車が消えるまで見送っていた。


 ルナが旅立ってからは、やはり予想はしていたものの夢は日中のクロードの意識にまで侵入するようになった。

 それは生々しいまでの想い出だ。

 夜の褥で、睦みあい交わる女の柔らかさとクロード。切なく苦しいノスタルジア。そして罪にまみれた感傷が彼に悪夢となって襲いかかってきた。

 少女は、「月」という名で呼ばれたセクサロイド、――すなわち夜伽よとぎのためにつくられた人造人間だった。こうした愛玩物は、それこそ人の欲望の数だけ製造された。ノーマルな性交はもちろん、倒錯的な趣味や、ただ話し相手になるだけという会話の技巧を極限にまでたかめた、至極穏当なものもあった。とはいえ、セックスの欲望に限りがあるわけではない。はては神話上の生きもの、髪の毛が蛇のゴーゴンや怪鳥ハルピュイア、人馬一体となってケンタウロスまでが性の道具として造られたのだった。


 クロードが選択したセクサロイドは、水でできたアンドロイドだった。ただし、水とはいっても常に液状というわけではない。水の性質やら概念を機械的にかたどったとでもいおうか。いわば、水という物資を詩的・科学的に究め、それをアンドロイド技術にハイブリッドした、芸術的な「水概念人形」機械だった。

 ふだんは美しい少女の姿格好をしている。だが、いったん性の行為がはじまると、水のエッセンスを遺憾いかんなく発揮する。本来の水が器にしたがい、その形態を変化させるように彼女の形もまた変わる。クロードの欲望の応じ、その肌の湿りや湿潤の具合、その温度はもとより、くぼんだり、突起になったりリキッド状に変化させ、スライム的にメタモルフォーゼしながらクロードの肉体、そして精神までもやさしく包みこむのだ。一度の射精ではてるのではない。少女にすっぽりくるまれながら快楽の愛撫は波となり、クロードを限りない絶頂へと押し上げる。水の少女はテクニックの限りをつくし、奉仕するのだ。

 しかしだからといって、ただの性の道具になるのを潔しとはしない清々しさがあり、彼女は水の純粋を守ろうとしていた。快楽に溺れる淫蕩なゆるみがあるわけではなく、水はどこまでも澄みわたり、無垢な少女のまぶしいおもざしがクロードにみせていた。


 そんなピュアな水少女ととクロードの仲を裂いたのが、アンドロイドの少年ルナとの出会いだった。

 人の心には不可解なところがある。善と悪の振れ幅のなかで揺れながら生きるのが人間だとしたら、クロードもまたそうだったろう。アンドロイドが純粋無垢であるようには彼はピュアではいられない。むしろ少女が透明で美しければ美しいほど、彼の中の悪が強調され、美しい少女「月」をけがしたいと想う心もまた、人間ならではの必然だったかもしれない。

 そうして人の悪を増幅させる水のセクサロイドはすべての感情を、やはり水のように自分のなかに溶かし込む。清濁併せ呑むといった器のおおきさが彼女にはあった。本来の水が万象を受け容れる媒体であるかのように。

 浮気相手はルナだった。しかしルナがけしかけたわけではない。ルナもまた、アンドロイドであり、善悪の判断はできるにしても彼に悪があったわけではない。すべてはクロードの漠然とした悪意からはじまったことだ。


 最初は浮気としてはじまった。クロードはルナ少年の美しさのとりこになった。外泊の機会が増え、やがて平然と浮気の事実を水の少女に告げるようになった。少女は悲しげに微笑むばかり。しだいにクロードの行為はエスカレートしていき、少年との性行為を撮影した動画を彼女の端末に送るようになった。

 少女はすこしずつ憂いをふかめていった。美しい少女が濁ってゆく。それは後ろぐらい喜びをクロードに与えた。

 花と蜜蜂が太陽の下で戯れるような、それまでのクロードが知っていたようなシンプルで、生命の讃歌さんかをうたう快楽とはまるで違っていた。その残虐な味に酔い痴れ、歯止めがきかなくなってきた。怒鳴り散らしたり、言葉でいたぶった。彼女は泣いた。泣いた月をさらに罵り、ついには暴力までふるうようにもなった。

 誰にもクロードを止めることはできなかった。ルナ少年はもちろん、クロード自身にも。

 そして終わりの時がやってきた。水少女が清濁併せ呑むのも限界だったのだ。

 クロードは少年をベッドの横にはべらせ、全身があざだらけになった少女を犯した。それはすでに性行為ですらなかった。月の涙が滂沱ぼうだとなってあふれだす。悲しみはもはやアンドロイドのボディを支えきれず、彼女は破裂し、崩壊した。

 さいごの彼女の言葉。ほほえみながら、あふれる水になかで。

 ――だけど、あなたをゆるします。


 ベッドの上に少女はいなかった。消滅したのだ。薄いピンクに染まった水で部屋は洪水となった。ベッドから足をおろす。するとくるぶしのあたりまで水につかった。ルナは無表情に首を振った。

 少女のなかに溜まったけがれは、やがてクロードの魂に沈殿した。冷静になってみると、彼女への仕打ちが異常な行為であることがわかった。そしてクロードの胸にわだかまった穢れはしだいに彼を蝕みはじめた。後悔と罪悪感に苛まれ、水にふれるのも嫌がるようになり、雨に濡れることすら避けるようになった。

 そしてクロードと少年のふたりは地球から旅立った。彼女の想い出がのこる地球から逃げだしたのだ。

 あてのない放浪の旅の行きついたさきは、水のない惑星だった。しかし、ここでも幽霊石をきっかけにして彼女は悪夢となって甦りつづけるのだ。


 またもや、夢をみていた。

 時期は、少年ルナと出会う前だった。クロードと少女は仲睦まじく暮らしていた。ベッドに寝そべる月はうたう。春をことほぐ歌。星をかたどり、浪漫が一杯につまった歌を。

 それはいずれも愉快な気分へと誘ってくれる、すてきな歌にして、耳もとでささやかれる官能的なハミングだった。そのメロディは、どこか幽霊石が奏でる音楽と似ていた。彼女はクロードにこう夢の中でこう語りかけるのだ。


「宇宙にも水はあるわ」

 行為のあと、頬をまだ上気させて女の子が言った。まだ呼吸は荒く、裸の胸が上下している。クロードの腕枕に小さなあたまを乗っけて彼女は幸せそうに微笑む。

「宇宙の水? 地球にあるのなら宇宙にも水はあるんだろうな」

 とクロード。

「どこの星かはわからない。でもね、どんなに離れていても水は水とつながっているような気がするの。だから別の惑星で、わたしのような水に親しい存在がいたなら、どんなに時間や空間が離れていてもシンクロしていられるような気がする」

「それが水の力?」

「水は自己主張しない。器に合わせて形をつねに変化させ、一滴でもインクを落とせば、その色に染まってしまう。でも、水は水と繋がっていられるような気がするの。形態共鳴、っていう仮説を知ってる?」

 知らない、とクロードはこたえる。

「昔々、人類がまだ地球の重力の檻に閉じ込められていた頃の話なんだけど」

「えらい昔だな。まだ亜空間航法も確立されていない時代だな」

「そう、その時代に、生物学者のルパート・シェルドレイクが唱えた説があるの。『シェルドレイクの仮説』とか『形態形成場仮説』、『モルフォジェネティク・フィールド仮説』とも呼ばれる仮説がね。時間や空間も離れた場所で生じた出来事が、形態や行動パターンもふくめ、別の場所での同じようにあらわれる現象をさして言うのね。もっとシンプルに言うなら、水という同じ形が時空がどんなに離れていても共鳴し、別の場所で再演される、ってこと」

 オカルト的な話だな、とまずクロードには想えた。科学的な根拠にはとぼしい話だが、しかし詩的には理解できる話かもしれないなどと想ったりもする。

「ふうむ」

「だから、クロード。あなたがわたしから離れて行っても、水さえあればわたしはどこまでも追いかけていけるわ。わたしは『シェルドレイク仮説』の信奉者なの。よく覚えておいてね」


 少女は上半身をベッドから起こすと、いたずらっぽく笑う。夢の中でクロードは想う。だから水にない惑星へと逃れてきたのだ。彼女から逃れるために。なのに、なぜ。

 時空を超える、と彼女は言っていた。時間と距離は関係はないのだ。もしかしたら、彼女はこの惑星の幽霊石に記録されていた歌やハミング、そしてお喋りを、すでに地球に居ながらにして聴いていたのかもしれない。それを口ずさみ、クロードにも聴かせていたのかも。そしてラボで幽霊石の解析をするたび、彼女の歌を想いだし、それが悪夢となって甦るのだ。


 ベッドサイドで電話のベルが鳴っている。彼女は眠っている。いまどき固定された電話機なんて。古風な趣味だが、クラッシックなホテルではよくあることだ。夢をみながらクロードは自分自身に言い聴かせる。

 そうだ、休暇を利用して彼女と一緒に、この海辺のリゾートへとやってきたのだ。水色がかった、あたたかな海。そのゆくもりは、まるで彼女みたいで。

 ……しかし、さっきから電話のベルがうるさい。彼女は寝息をたてて眠っている。しかたなくクロードは受話器に手を伸ばす。そして。

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