三話 魘(うな)されるクロードと水でできたアンドロイド

 夜明け前だった。うなされるクロードはまた、春のおとずれを告げる歌を夢の中でみていた。

「苦しいですか、クロード?」

 薄眼をひらくと、心配そうなルナの顔があった。

「苦しい?」

「ええ、とても苦しそうですよ」

 内容だけをみれば、それは悪夢ではない。むしろ、明るくすきとおった、美しくすがすがしい春のおとずれを告げる夢だったはず。きっと、昨日ラボでみた幽霊石の映像の余韻が招き寄せたのだ、ともかんがえることができる。

 バクに喰わせるような悪夢ではなかった。それだけは、たしかな事実だ。なのに、なぜ彼は魘されつづけるのか? あの女の怨霊が辺境の惑星にまで追いすがってきているのだろうか?

「寝汗でびっしょりですよ? 脱ぎますか?」

「ああ、そうするよ」

 アンドロイドに睡眠は必要ない。しかしルナはクロードの許しをえて、彼のベッドに一晩中、潜りこんでいた。


 床に足をおろし、ベッドから抜け出した少年は洗濯したばかりのシャツを持ってくると、着替えをうながした。クロードの背中を手をあたがい、少年は男の上半身を起こす。もうすぐ東の窓に水色の時間があふれ、小鳥にいない朝がやってくるだろう。いまはまだ夜。この惑星の月天体が氷のほのおにも似た光で、塩の平原をつめたく青々と照らし出している。部屋はあたたかい。すこし腐敗したような、それでも幸せの気分。

 しかし、瘦せこけた腺病質せんびょうしつな男の薄い胸板だった。少年は想う。なぜこの中年男に恋をしてしまったのだろうか。アンドロイド少年と男との恋。激しくたぎる灼熱の恋愛で、指にふれるものすべて紅蓮ぐれんの焔に包まれ、灰燼かいじんと化した。そしてその恋に傷ついた、「あの女」もいたのだ。ルナのマシンの心にも悔恨はのこる。

 それでも今の少年の苦しみはぎの海のそれより静かだ。それは恋というより、長年連れ添ったカップルにも似た少年の心。シャツの着替えを手伝いながらルナは訊いた。


「どんな夢でした?」

「春の夢だった」

「うららかな春、ですか?」

「そうだ」


 悪夢ではなかった。しかし、それでもクロードは魘される。ルナは、昨日のラボでの解析で幽霊石から吐きだされた映像を想いだしていた。アンドロイドの少年にだってわかる。あれは春をことほぐ歌だった。悪夢を招くとは想えない、とても穏やかな内容だ。なのに春の歌をきっかけにクロードは魘される。この惑星にきた当初、解析した映像が刺激となり、夢みる頻度が多くなったクロードだが、なぜかくも悩まされつづけるのか?


 ルナは映像の内容を反芻はんすうする。春を祝う歌もそうだが、ほかの幽霊石のなかには、星をかたどったロマンティックな音楽もあった。歌ばかりではなく、小鳥がさえずるようなかわいらしいおしゃべりもある。しかも、かならず一人の人物が登場する。

 舞台はさまざまだ。人が渦巻く雑踏で、あるいは街路樹の木漏れ日がこぼれる甃石しきいしの上で、さらには薬草や果実の恵みがたわわなみのりとなり、採れる薬草園で、薔薇色に染まった神々しく輝く海をみながら彼らは恍惚こうこつとしてうたう。雨に濡れる古風な異星のビルを仰ぎながら、そしてまた靴音を軽快にひびかせ、呼吸を弾ませながら人々はたのしげにハミングし、生命のよろこびを謳歌おうかするのだ。


 ルナはまず、これがどうして悪夢をもたらすのかがわからない。とても悪夢とは縁遠い内容のものばかりだからだ。

 そしてこの惑星の文明そのものがはらむ謎……。

 それは出土する石のあまりにもおびただしく厖大ぼうだいな量だ。二百年前に惑星開発委員会がだして結論だが、それはりし日を懐かしみ、回顧する記念物にすぎないというものだった。だが、ルナは訝しむ。たんにメモリアル的なものとして考えられなくもないが、あるいはそれ以上の、惑星の文明のアイデンティティにかかわる意図やら秘密が隠されてはいないだろうか。


「あなたのみる夢と、幽霊石の映像となんらかの影響関係があるとは思いません」

「ん?」


 汗で濡れたシャツをたたむと腕にかけ、憔悴しょうすいしきったクロードに問いかける。虚ろな表情でこたえるクロード。清潔なシャツをまとってはいるが、猫背で放心しきっているクロードをみるのはつらい。あの女が夢見に影響しているのか、と少年は勘ぐっている。

 またルナ少年自身が、あの女のこと、すなわち「月」という名で呼ばれていた少女を知っていたから猶更、そう想ってしまうのだ。だが、少年の口からはどうしても「月」の名をだすわけにはいかない。ある意味では少年もまた、クロードの共犯なのだ。

 少年は、かわりにこう言った。

「幽霊石の秘密を解き明かしたいんです」


 クロードは無言だった。しかしその疲れ切った瞳にわずかであるが、光が戻ったような気がした。彼は、少年に緩慢かんまんな動きで顔をむけた。

「探査車を動かす許可がほしいんです」

「また、どうして?」

「クロードと幽霊石に何らかの影響関係があるかもしれませんが、直接的にはかかわりがあるとは想えません。だって幽霊石は二億年前の遺物ですからね。しかしまったく無縁ともかんがえられない。石から干渉しているかもしれません。あなたの意図とは何ら関係なしに。――そう、影響してるのは事実だと想う」

 クロードは声にならない吐息を漏らした。

「旅に出るというわけだね」

「ええ、探査車を使いますから。前から考えてきたことではあったんです」

「いつ出かける?」

「きょう早速、出発できればと」

 もう我慢も限界に近づいてきている。悪夢に魘されるクロードなどみたくない。できれば穏やかな寝顔にキスをしたいのだ。

「話を聴かせてもらえないかな」

「オベリスクです」

「オベリスク?」


 オベリスク、――古代エジプトで一枚岩を切りだしてつくられた記念碑をおもにそう呼ぶが、この惑星にもいたるところににオベリスク的なメモリアルが点在していた。

 幽霊石が地中に埋もれているのに対し、ここの記念碑は大地に建てられたまま残っている。

 石碑に刻まれた文字はやはり解読されずにいるが、ほかの文明的な痕跡はすべて地表から一掃され、消え去っているのにかかわらず、これはなぜか地中に埋没することを潔しとはしない。

 何かの警告を発している可能性もあったが、いわゆる電子的な記憶装置ではなかった。が、これもまた惑星開発委員会は利用価値ゼロとみなしていた。むろん、オベリスクという名称もまた、クロードとルナによって便宜的に名付けたものにすぎない。


「確たる証拠があるわけではありません。勘のようなものです。幽霊石の秘密を解くにはオベリスクを調べなきゃならない、と」

「アンドロイドの勘か?」

「そう莫迦にしたもんじゃありませんよ」

 ルナは笑いながらそう口にしたが、クロードは黙っていた。少年の勘がよくあたることは経験上、よくわかっていたからだ。

「それで?」

 クロードはベッドのはじっこに坐りなおした。汗で濡れたシーツの上に尻を落としたので大袈裟に顔を顰めた。くすくす笑うルナ。クロードもつられて苦笑する。いい兆候だ。彼に少し余裕がでてきたらしいと安堵する。窓から朝の光が室内に差してくる。ルナは男に寄り添い、たおやかな白い指で彼の頬をやさしく撫ぜた。

「クロード。あなたのみる夢とオベリスクとに直接の因果関係があるとは思いません。あなたと幽霊石がそうであるように。だけど、オベリスクと幽霊石との間には何か見えない一本の線で結ばれているような気がしてならないんです」

「惑星開発委員会はただのメモリアルだとしているが。ま、たしかに幽霊石に関しては異常なまでの数の多さであることは認めるし、オベリスクだって不可解な点はいくらでもある。でも、もう二百年も前にだされた結論だぞ。今更、ひっくりかえせるとは思えんが」

「もちろん、ぼくもそう思っています。惑星開発委員会だって愚か者の集まりじゃない。だけど……」

「気になるってわけだな」

 クロードはルナの言い淀んだ言葉を引き継いだ。

「そうです」

「わかった。君のことだ。用意は周到にすすめてきたんだろう」

 こんな風に準備をすすめるのが、この少年なのだ。ルナは翼を欲しがっている。そう遠くない将来、少年が天使改造され、クロードのもとから飛び立ってゆくことも覚悟しなくてはならない。

「ええ、察しがいいですね。クロード」

「え、なんだって?」

 しばし放心していたクロードは我に返った。

「あなたのことを褒めたんですよ、クロード」

「そうなのか?」

「ええ」

 事務的な話をすすめなくてはならなかった。


「それはそうと、どれくらいの調査期間を想定しているのかな?」

「一週間ほど」

「踏査する範囲は?」

「居住棟を中心に半径五十キロに散らばるオベリスクをすべて調べるつもりです」

「大仕事だな。じゃ、朝食が済んだら出発すればいい」

「そうします。でないと……」

「でないと?」

「取り返しがつかない事態を招く。そう思えてならないんです」

「それもアンドロイドの勘かね?」

 美しい少年は答えるかわりに薄く微笑んでみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る