二話 湧きいずる幽霊石(ゆうれいいし)
その石こそ、かつて繁栄し、この世の春を
「アイロニーが
レトルトに人工の水を
「どういうことだ?」
クロードは右の指で眼鏡を
ふたりの仕事は、石の発掘と分析である。先にも言ったが、なにか眼の覚めるような新事実を期待されてのことではない。結論は、二百年前に派遣された宇宙戦艦アイスキュロスのラボでとっくに出ている。彼らの仕事は、この惑星からめばしい発見は何もないことを証明しつづけることだった。
帰還船が軌道上に投入されるのは、今から十七年と七か月もの時を
「だって、逃げ続けていたんでしょ。あの女から」
キャメラがレトルト内部の撮影を開始する。センサーが刻々と生じる変化を捉え、記録していた。
石は硬い。しかしいったん水に入れると、ハンマーで叩いたり殴ったりしても傷一つつくことのなかった石に変化が生じる。猛烈な泡を吹きだし、溶解するのだ。この変化もすでに宇宙戦艦のラボで発見済みのことだった。
そう、水の中に映像が泡とともに浮き上がる。地球人類、――いわばホモサピエンスに酷似したヒューマノイドの立体映像が水中に躍りでる。どうやら水が石の成分と化学反応を起こすらしい。美しい女性のときもあれば、よく肥えた男性もいたし、子どもや老人があらわれることもあった。とはいえ、毎回、クロードを驚かせるこうした現象もまた、まったく価値を認められていなかった。
春をうたう。
けさ、出現したのは愛らしい女性だった。もちろんクロードもルナも知らない女性だ。もう何億年も前にこの星に生きていた女性のすがたを石が克明に記録していたのだ。別の石を水に入れたなら、また他の人物がレトルトに出現するだろう。一つのちいさな石にかならず、ひとりの人物が記録されているというわけだ。
彼女は、――そう、大人になったばかり。まだ、そこはかとはなしに
言葉はわからない。解読ができない言語たが、しかし耳を傾ければおのずと意味は了解される。それは春をよろこぶ、とても美しい感情だった。
水は器にあわせてその形を変え、
大人になりかけた少女が歌う春は、クロードの心を傷つけたか、それとも癒やしたのか。それは彼自身にもわからない。ともあれ、その石を、--
「水から逃れたのに、石が水を必要とするなんて」
ルネは、しばしばそのフレーズを口にするが、それこそがアイロニーではないか、とクロードは想う。皮肉だ。水のない惑星で、あの「水の女」を日々、回想しつづけることを強制されるなんて。
解析のあと、春の悦びを溶かした水が完成する。女性の映像は、石がすっかり溶解する三分あまりが経過すれば、何事もなかったかのように消えてなくなってしまう。
文明は滅び、すべては忘れ去られる。石に記録された映像は、時の忘却に抵抗するために築かれた防波堤なのだろうか。それともたんなるメモリアルにとどまらず、もっと積極的な意味をもつものなのか、まだ解明されていない。
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