二話 湧きいずる幽霊石(ゆうれいいし)

 薄荷はっかの惑星、と名付けるのは、もしかしたら正鵠せいこくをえた命名かもしれない、とクロードは時に想うこともある。


 とがったものもあれば、丸い形もある。サイズはほぼクロードの拇指おやゆびのおおきさであり、いかにも形はさまざまだ。しかしみな一様に薄荷の入ったドロップみたいに白く、わずかに青みがかっている。指でさわると、はらはらと薄青い破片が落ち、こぼれる。スコップで少しでも地面を掘れば、そのような石が塩の結晶のかけらに混じり、おびただしく出土する。なにも小型の削岩機さくがんきを使わずとも収穫は掃いて捨てるほどあるのだ。


 その石こそ、かつて繁栄し、この世の春を謳歌おうかした文明の、しかも二億年前の昔につくられた遺物だった。惑星開発委員会から派遣された調査員の仕事は、文明のサルベージにして利用可能なテクノロジーの発掘だが、委員会の編纂へんさんした惑星カタログによれば、この石がもっている、技術的換算価値、もしくは資源価値はゼロにひとしく、惑星の査定は最低ランクだった。


「アイロニーがいてると想います」

 レトルトに人工の水を充填じゅうてんしながらルナ。この日、彼らは屋外ではなくラボにいた。居住棟の隣にある実験施設に石を運びこみ、解析に入った。解析といっても目新しいことは何も見いだせない。そんなことはクロードとルナにとっては百も承知だ。徒労もまた、クロードがみずからに課した罰なのかもしれない。

「どういうことだ?」

 クロードは右の指で眼鏡を鼻梁びりょうの上に押し上げながら、アイロニー、という言葉に眉をひそめる。それから水の入ったレトルトにクロードは選んだ石を一つ、落とした。


 ふたりの仕事は、石の発掘と分析である。先にも言ったが、なにか眼の覚めるような新事実を期待されてのことではない。結論は、二百年前に派遣された宇宙戦艦アイスキュロスのラボでとっくに出ている。彼らの仕事は、この惑星からめばしい発見は何もないことを証明しつづけることだった。

 帰還船が軌道上に投入されるのは、今から十七年と七か月もの時をけみしたのちのことだった。それまで中年男と美しい少年は、無為な作業に耐えつづけねばならない。それはまたクロード自身が選択し、望んだことでもあった。

「だって、逃げ続けていたんでしょ。あの女から」


 キャメラがレトルト内部の撮影を開始する。センサーが刻々と生じる変化を捉え、記録していた。

 石は硬い。しかしいったん水に入れると、ハンマーで叩いたり殴ったりしても傷一つつくことのなかった石に変化が生じる。猛烈な泡を吹きだし、溶解するのだ。この変化もすでに宇宙戦艦のラボで発見済みのことだった。

 そう、水の中に映像が泡とともに浮き上がる。地球人類、――いわばホモサピエンスに酷似したヒューマノイドの立体映像が水中に躍りでる。どうやら水が石の成分と化学反応を起こすらしい。美しい女性のときもあれば、よく肥えた男性もいたし、子どもや老人があらわれることもあった。とはいえ、毎回、クロードを驚かせるこうした現象もまた、まったく価値を認められていなかった。




 春をうたう。

 けさ、出現したのは愛らしい女性だった。もちろんクロードもルナも知らない女性だ。もう何億年も前にこの星に生きていた女性のすがたを石が克明に記録していたのだ。別の石を水に入れたなら、また他の人物がレトルトに出現するだろう。一つのちいさな石にかならず、ひとりの人物が記録されているというわけだ。


 彼女は、――そう、大人になったばかり。まだ、そこはかとはなしにいとけなさがのこる顔立ちをしている。彼女は、古代の希臘人ぎりしゃじんがまとうようなシンプルな貫頭衣かんとういを着て、たのしげに歌う。不思議なメロディ、聴いたことのない音楽。それも春の到来を告げ、ことほぐ歌を。

 言葉はわからない。解読ができない言語たが、しかし耳を傾ければおのずと意味は了解される。それは春をよろこぶ、とても美しい感情だった。


 水は器にあわせてその形を変え、万象ばんしょうを溶かし込む溶媒ようばいだ。だからこそ純粋であろうとねがえば、より透明さの深度を増してゆく。しかし一度、濁ることを許せば際限のない汚穢の物質へとしてゆく。透明とけがれ。その振幅のおおきさにクロードは傷つきもし、また癒される想いをすることもある。


 大人になりかけた少女が歌う春は、クロードの心を傷つけたか、それとも癒やしたのか。それは彼自身にもわからない。ともあれ、その石を、--幽霊石ゆうれいいし、の名称でクロードとルナのふたりは呼ぶようになった。


「水から逃れたのに、石が水を必要とするなんて」

 ルネは、しばしばそのフレーズを口にするが、それこそがアイロニーではないか、とクロードは想う。皮肉だ。水のない惑星で、あの「水の女」を日々、回想しつづけることを強制されるなんて。


 解析のあと、春の悦びを溶かした水が完成する。女性の映像は、石がすっかり溶解する三分あまりが経過すれば、何事もなかったかのように消えてなくなってしまう。

 文明は滅び、すべては忘れ去られる。石に記録された映像は、時の忘却に抵抗するために築かれた防波堤なのだろうか。それともたんなるメモリアルにとどまらず、もっと積極的な意味をもつものなのか、まだ解明されていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る