第31話 お客様の到着です。

 姉貴が出勤したあと、静かになったリビングにひとり。右手が使えない自分に今日出来ることは何かを考える。客室担当は無理だろうな……。役に立てそうな案に優先順位をつけていると、トヨタ86のエンジン音が聞こえてきた。小躍りしそうになる気持ちを抑え、リュックを背負い玄関を開ける。


 バックしながら俺に気付いた藤宮さんが、窓を開けて手を振ってくれた。

 助手席に駆けよりドアを開くと、爽やかな柑橘系の香りに鼻先をくすぐられる。

「おはよー」

 にこやかに向けられた笑顔に、鼻の下が一気に伸びそうになるのをこらえた。

「おはようございます、すみません、なんかお手数かけちゃって」

「大丈夫、私も楽しみだったし、乗って」


 今、楽しみだったしって聞こえたよな? それってあれだよな、俺を迎えに来てくれることが楽しみだったってことだよな? もしくは俺と一緒に出勤するってことがか? または俺に会うことがってことだよな? って言うか俺は誰に何を確かめたいんだよ。


 静かに走り出した86か住宅街を抜けていく。滑らかな動作でシフトチェンジする白く細い左手に目を吸い寄せられる。

 車内という密室の空間で2人きり。せっかくのチャァァァンス!だと言うのにノープランだった俺はデートに誘うチャンスを逃しまくり、当たり障りのない会話をしつつ、病院で診察を受けた後、イノウエへあっさり到着。

 うう、これほど己の考えなしを呪ったことはあるだろうか……。


「守野くん、今日も頑張ってねー、あ、帰り少し待ってもらうかもしれないけどいいかな?」

 そうだ、帰りがあったぞ! 帰りまでにプランを考えればいいんだ、と仕事前に不謹慎なことで頭がいっぱいになる。

「全然大丈夫です、ありがとうございます!じゃ、俺行きますね」


 ロッカーにリュックを置きミーティングルームへ向かうと、なんだか慌ただしい。

「先に受け入れ態勢を整えてくれ、あと15分で到着予定、有野頼むぞ」

「はい!」

「引継ぎは朝食準備前の5分間を使う、場所は調理室に変更だ」

「藤宮、はまだ居ないか? 以前ご利用は2年前、滑川さん宿泊カルテ至急頼む、波多野出来るか?」

「大丈夫です」

 刈谷崎さんが矢継ぎ早に支持を飛ばしている最中に足を踏み入れる」


「お、守野来たか、おまえは有野と一緒に行ってくれ」

「わかりました」

 なんだかわからないうちに取り敢えず返事だけして有野の後を追う。 


 散歩フィ―ルドを急ぎ足で横切るでかい背中が見えた。俺の気配に気が付いたのか、後ろ手を振って挨拶してくる。軽く息を切らせながら方を並べた。

 「おいどうしたんだ?何かあったのか?」 

 「急なお客様らしいよ、説明は後、準備が先、僕は客室管理に行くから、倉庫に付いたらウッドチップを持ってきて、細かい方のヤツ」

 「わかった」


 有野が向かった先は、バードフィ―ルドの中でも、普段あまり使用しないかなり大型な、ざっくり言うと一軒家分ぐらいある巨大なゲージスペースだった。有野が細かい点検と準備を進める中、もくもくとチップを床に敷き詰め広げていく。優しい木の香りが広がり気分はもうほとんど森林浴だ。


 その時ザザッとトランシーバーが受信する。

「こちら波多野、お客様到着、お迎え宜しく。皮手袋装着せよ」




 


 




 


 


 

 


 



 

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