第6章 理想と現実
第21話 俺は変態じゃないです。(たぶん)
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。すごく遠くから。
「守野ー、あと30分で出るよ」
何?30分……?
停滞していた脳へ放り込まれてきた数字に、反応しきれない俺。
「ほれ!」
頬に当てられたペットボトルの冷たさに、ひえっと目が覚め、脳内に時間軸が戻って一気に意識を立て直す。
チーンと電子レンジの音がして間もなく、目の前にゅっと白くまプレートが差し出し出された。
受け取ったプレートの上に、湯気が立つ蒸しタオルと梅干しがちょこんとのった三角のお結びが2つ並んでいる。美味そう。
「タオルで顔拭いて。あと朝飯、塩結び」
「あ、どうも」
パタパタと行ったり来たりする波多野を見ながら、ホカホカしたタオルで顔全体をおおう。うわ~気持ちいいいなこれ。
ペットボトルから、乾いた喉へ冷たい水を流し込むと、お結びを手に取りはむはむと食べる。梅の酸味と程よい塩加減に包まれた米の粒が、口の中でほろっと崩れる感覚が楽しい。
……とか、のんびりこいてる場合じゃないんじゃないのか俺。と思ったところへ、いつも耳にしているドスの効いた声と使い捨ての歯ブラシが飛んできた。顔面に当たる前に辛うじてキャッチ成功。
「ちんたらしてんじゃないよ、食べたら片して行くよ、ほらあっ!」
「はいっ」
一瞬、ほらあっ!が、こらあっ!に聞こえ首をすくめて、いつも通りきびきびと動く姿を目で追いかける。
昨日「ほえっ」とか言ってた波多野どこ行ったー!これってアルコールマジックってヤツなのかそうなのか、一夜限りの夢みたいなもんかー!
俺は幻を見たんだな……
一緒に玄関を出て駐輪場へ向かう。
「あうっ」と背後でオットセイが転んだみたいな声が聞こえて振り返る。
「あたしの自転車パンク修理出し中だった!」
何?!と思うが選択肢は無い。
「乗って」
「は?」
「乗れって、そうしないと間に合わないだろ」
「あ、うん」
「ちゃんとつかまってろよ」
ペダルを踏みこむことに専念しようと思いつつ、腰に回された手から伝わってくる体温につい意識が向いてしまう。
俺って変態かな?
いや健全な青年だよな!
くだらねー自問自答はもうやめだ、間に合わなくなる。
ホテル前の急な坂を上り切るころには、少し休ませろと悲鳴を上げ始めた太ももが汗をかいていた。自転車を止め館内に向かう。時間はセーフだ。
ミーティングで、ジョンが帰宅する日が今日になったことを知った。告げられた瞬間、胸がきゅっとなる。帰っちまうんだな。
帰宅時間は午後14時となっている、あと数時間。
今日が最後になるのか。
今日が最後になるんだ。
ジョン。
うつむき加減の俺は、409号室の扉をカチャリと開錠する。
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