ホテルイノウエ
糸乃 空
第1章 祈りと幸運
第1話 もう祈らないでください。
カツはカツでも煮ても焼いても食えそうにない就活中の俺。
エントリーした会社からぽつぽつ届くのは、お祈りメールの連続だ。
「
リビングのソファーにうつぶせになり、脱力していると、顔を乗せたクッションが容赦なくもぎ取られてゆく。
「ちょっとー、私の作ったクッションによだれつけないでよね」
ついでに後頭部をぺしっと(優しくなく)して通り過ぎる姉貴の涼し気な横顔が氷のようだ。
就活始めの頃「ほら、これ食べて頑張って」などと優しくチョコをくれた優しさの片鱗は消え去り、時に軽蔑の眼差しさえ投げつけてくる。
すっと部屋の空気が動いた。
玄関のドアが開いたのだ、パート先から母ちゃんが帰ってきたらしい。
「はーただいま、ちょっとー、あんたがゴロゴロしてると誰も座れないじゃないのよー」
姉貴そっくりの口調で、軽いジャブのような非難を含む声が同じルートで通り過ぎて行く。
始めの頃、いそいそとレンコン入りハンバーグや、分厚いポークステーキをテーブルに並べながら「ゆっくり食べて頑張んなさいよ、風邪ひかないようにね」なんて優しく微笑んでてくれていた母ちゃんが今は「さっさと食べちゃってよ片付かないから」などとにべもなく言う。
数週間前、天国の親父に向かって、これからは俺が母ちゃんと姉貴の助けになるからな、親父安心して眠ってていいぞー!とかなんとか鼻息も荒くこぶしを振り上げて宣言した俺は今振り返ると確実な馬鹿にしか見えん。
ぷるっと震えたスマホ画面に現れたのはまたしても「お祈り申し上げます」だ。
くそっと小さくつぶやく俺を、窓際におかれた水槽の中から、のんびりと首を伸ばした石亀のタロウがこちらを見ていた。
お前だけが俺の味方だ、と思う間もなくぷいと首を引っ込める。ったくどいつもこいつも。
半ばやけくそ気味に、エントリーを20件ほど終えたころ、リビングに流れ込んできたカレーの匂いに、俺の腹が腹立たしいほど間抜けた音を響かせた。
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