未来

第40話にして終章-3 追憶

 「先生、それからどうなったんですか!」


 授業終了の鐘の合図で打ち切ったことで、生徒たちが騒然となった。長い耳を動かしながらあたしは教室の奥まで届く声ではっきり告げる。


「どうもこうも、これで話はお終い。あたしの授業の時間は終わったんだから、とっとと次の授業の準備をしなさーい」


 そう言ったが、生徒たちはぶうぶう文句を言って聞く気が無いようだ。

 あたしは軽く頭を振り、つづける気が無いことを改めて示すと教科書を手に取り廊下に出た。


 ディル防衛戦の話自体は今したとおりだ。


 この後、ハルトネク隊は幾つもの冒険をこなし不動の名声を打ち立てる訳だが、それらは片田舎の村の年越し祭りでも取り立てられるほど有名なため、今更あたしが取り立てて説明するほどのことも無い。彼らに関する研究すらあるくらいだし――正しいかどうかは別として。


 何せ、ハルトネク隊が歴史の表舞台に出てからゆうに百年以上経っている。


 英雄というものは、概して晩年に比べ名を挙げはじめた頃の資料は残っていないものだ。

 それが、様々な憶測や希望と混じり新しい伝説を生み出す元となる。歴史は正確に残すのが後世への努めだと言われるだろうが、それは部外者だから言えることだろう。


 生憎、そうでない者にとってはただただ面映いだけだ。


「そういえば、前に読んだ本は傑作だったっけ」

 ふと、あたしは先日調べた書物のことを思い出しくすりと笑った。


 その書物ではアベルはやがて五人を娶り、諸国の王の祖となったとされていた。


「あれなんて、史実と偶像崇拝がごっちゃになったいい例よねぇ。あいつにそんな甲斐性あるようなら、みんな苦労しなかったろうに」

 いずれそのネタは次の授業のときに話そうと思っている。生徒たちがまた目を輝かせて食いついてくる光景が目の前に浮かぶようだ。


「あ、先生~! ちょ、ちょっと待ってください~」

 後ろから呼び止められ、あたしは振り向いた。


「あら。あなたは…えぇと」

 ぱたぱたと小走りで駆け寄ってきたのは、先ほど質問した子だ。


 鼻に小さな年季の入った眼鏡を引っ掛けている見た目どおり、術などの研究が好きなのか、学問に身を入れている生徒だ。ちょくちょく職員室へも質問にくるので顔に見覚えはある。

 …のだが、名前がちょっと出てこない。年を取るとこういうとき不便だ。


「サフィールです~」

 額にかかった汗を拭き拭き、紹介してくれた。


「サフィール、サフィール……ああ、そうだったわね。それでサフィール、どうかしたの?」

「ええ…その、実は先ほどの話でどうしても気になることがありまして~」


 やっぱり。


 汗を拭き終えた手巾をしまいこむサフィールを見つめながら、あたしは内心でやれやれと嘆息した。どうせこの子もこれまでの生徒同様、細かいところを聞き出して史実じゃそのようなことは無かったとか否定するつもりなのだ。昔に比べて大分ましになったとはいえ、英雄という理想像を裏切るあたしの言葉はそんなにも信じられないものなのだろうか。


「それからっていうけど、ディル防衛戦の話はあれでお終いよ。その後の歴史は次の授業のときに話すわ」

「あ、いえいえ~、聞きたいことはそこではないんです~」

 ずりさがる眼鏡を抑えながら、のんびりと答えた彼女の返答に、あたしは興味をそそられた。


「あら。では何が気になるのかしら?」

 サフィールと名乗った少女は、ちょっと困ったように眉根を寄せるとのんびり自分の考えを述べだした。


「ベルティナと結合したリティアナの、その後のことです~。物語などではその後戦神シュミリックの試練を受けたあと~、彼からもらった錬金具を使うことで快癒して~、最後の仲間として共に過ごしたことになっていますよね~? ですけど~、そうした話の大多数はベルティナの消息については杳として知れません~。一部では~、ベルティナという存在そのものが後世の創作だと言われていますけど~…先生の話では実在したことになっていますよね~? ですがやはりどうなったのかは触れていない――いや、あえてそこに触れなかったと感じたので~、個別に聞きにきました~。…大衆の前で話したくないようだと思いましたので~」


「…ふぅん?」

 どうやらこの子はぼんやりとした見た目としゃべり方とは裏腹に、かなり頭が切れるらしい。


 あたしはちらりと窓外に目を向けた。地面に伸びる木の影の長さから見て、まだ少し次の時間までは余裕があるだろう。


「…いいわ。あなたの着眼点に免じて、少しだけ話をつづけてあげる。それで、話す前に一つだけ聞きたいのだけど…どうしてそこが気になったの?」

 サフィールはちょっと考えて言った。


「他の…例えば~、斧神グリューや~、セイゲツの守護神の話を出すことで~、故意に触れることを避けていたように思えたからです~」

「ふーん、なるほどね」

 良く見ている。あたしは感心していた。


「うん。その通りよ。でも、どうしてか判る?」

 もう一度、数分間たっぷり考えた末、サフィールは今度は首を横に振った。


「うぅ~ん……判りません~」

「ん、素直でよろしい」

 あたしは彼女の素直なところを気に入った。彼と被るところがあったせいだろう。


「ねぇあなた、錬金術の授業は受けてる?」

「はい~」

「なら、そこで錬金術における法則の一つ、不可逆性の法則についてはもう習った?」

 サフィールは人差し指をまだ幼さの残る頤にあててちょっと考え込んだ。


「確か…一度魔素が与えられた状態に変化したら~、もうもとの状態に戻らない――という話でしたっけ~?」

「そうそう、それよ。そして、それは人体にも該当するの」

 一瞬遅れで、サフィールは目を見開いた。なんとも愛嬌のある子である。


「それじゃあ~…」

 あたしは頷く。


「そう、結局…錬金術による分離は、できなかったの」

「そんなぁ…」

 サフィールはうつむいたが、あたしはお構いなしにつづけた。


「まだ話は終わって無いわ、ちゃんと最後まで聞くものよ。あたしは、『錬金術による』分離は出来なかった――そういったはずよ」

「え…?」

「二つの人格が錬金術で分離できないなら…あらかじめ、“器”を設ければ良い。――錬金術に拘る必要なんて無かったのよ。ああ、もちろんリティアナにも許可を得てね。深層意識に働きかける錬金具が見つかったのは行幸だったわ」

 聡い子だ、何を言わんとしているのかこれだけで判ったのだろう。サフィールの表情がぱぁあっと明るくなった。


「それじゃあ…」

 あたしは頷く。


「公にはされてないけどね。そうして生まれた子が、今あたしたちの世界で新しく受け入れつつある新しい種族、“鋼人”族の起源でもあるのよ」

 あたしはそう言って窓外を見やる。


 そこでは数人の子供たちが剣技の鍛錬を積んでいるところだった。


 その中でも特に異形である彼らは体の一部がむき出しの鋼になっている。

 生まれたときから体の一部、或いはあちこちが鋼で出来ている、言わばセプテクトの亜種のような出で立ちで、はじめて世に出たときは不気味がられたものだった。


 時は流れ、移ろいすぎてゆくものだ。


 過去にあった魔人族への差別は、ムクロとネクロ、そして二人を支える仲間たちのおかげで現在は大きく改善された。小翅族も同様で、リュリュの存在が権利を確立するための大きな道標となった。


 逆に根強い排他性を持っていた人族と天人族も、ハルトネク隊に感化され徐々に態度を軟化したし、厭世的だった森人たちも僭越ながらあたしの影響を受けつづけた結果――こちらは情報が伝わるのが他種族と比べて格段に遅いため、ちらほらとではあるが――自分たちの領域から出て旅をしたがる若者が増えた、と里から来る手紙にしょっちゅう恨み言が綴られている。


 そう、大袈裟ではなく、ハルトネク隊が、フューリラウド大陸の中に蔓延っていた多種族への相互理解を齎す契機となったのだ。


 これこそが、ハルトネク隊が世界に遺した真の業績では無いか――そうあたしは考えている。


 そのハルトネク隊の遺志を受け継ぐ最後の一人として、魔人族のような、誤解と無知から来る迫害は二度と起こさせない――あたしはそう心に決めていた。だから、鋼人族の若者を見守るためにも面倒くさい教員への推挙を受けたのだ。


「さ、話はここで終わり」

 サフィールもあたしの視線を追って窓外を見ていたが、笑みを刷いて小さく頭を振ると今度こそ納得してくれたようだった。


「判りました~。ありがとうございました~、先生~」

「いいえ、講義の内容に興味を持ってくれて嬉しいわ。それに、あなたとの話は実に面白かったわ。今回に限らず、質問ができたらいつでもいらっしゃい」

 そういい、教室へ駆け戻っていくサフィールを見送っていると。


「おお、ここにおったのか。探したぞ」

 聞き覚えのある声にあたしは振り向いた。出来る限りの渋っ面をつくって。


「そんな渋い顔をすることもあるまい。本来の業務がまだ残ってるとわざわざわらわが呼びにきたのに」

「渋い面にもなるわよ。あんた一体いつまでふらついてるんですか、“理事長”」

 理事長は小さく肩をすくめた。


 どうも彼女は一度目が覚めた後の寝つきが悪いらしく、次に眠気を覚えるまでには少々――もっともそれは彼女の価値観によるもので、実際には人族の寿命が三巡するくらい――時間が掛かるらしい。


「良いではないか。そなたも、今となっては親しく話せる相手がいたほうが良かろう? ユーリィン校長」

「そんなの頼んでないわよ。あたしは暇をもてあましてるあんたと違って仕事で忙しいのよ。ほら、そこいらに生徒たちがしこたまいるんだから彼らと好きなだけ話してくればいいでしょうが」

「…あいつらは、敬わんから好かん」

 ぷいっと顔を背けた。


 数十年前に一悶着あってから、以降超常の力は一切出さないように強く諌めたので、現在過去を知らない大半の生徒たちにとっては『見た目凄く可愛いけれど、老成した言動を取るちょっと頭のおかしい少女』という認識になっているそうな。

 それが気に食わないようで、こいつは暇を持て余すと唯一過去を知るあたしのところに来たがるのだ。


 あたしは嘆息した。


「ま、気持ちは判らないでもないけどさ…曲がりなりにもすべての史実を伝えられない要因のひとつであるあなたにうろちょろされるのも困るんだっての」

「なに、もしまた何ぞあっても新たな世代が何とかしてくれることであろう。このアグストヤラナのな」

 そういって笑いかけた理事長に、あたしはまぁねと答えるだけに留めた。


 そうであってもらいたいと願う反面、もう一方ではかつての仲間たちのような生徒たちに巡り合えることは無いだろうという気持ちがあたしの中にある。それは恐らく、もう戻れない過去への哀愁がそう思わせるのだろう。


 年をとってしまったものだ、改めてそう感じる。


「あら、ここは…」

 適当にあしらった理事長と別れて歩き出したあたしは、ふと懐かしい部屋の前で足を止めた。


 今は物置と化しているが、ここはかつて仲間たちと料理をしたり、他愛も無い会話に興じたりした部屋だ。今でもふとした拍子にリュリュの笑い声や、レニーの取り澄まし顔での説教、仲間たちのさんざめきが聞こえてきそうな気さえする。


 一抹の寂しさを感じたが、それで良いのだろうと頭を振り気持ちを切り替える。


 きっといつか、新しい若者がアグストヤラナへ、そしてフューリラウドへ新しい風を吹き込むときが来よう。そのときはしっかり受け入れてやろうではないか――種族の隔たりを気にも止めなかった、あの変わり者の青年のように。


 しばらくあたしは過去を懐かしんでいたが、やがて再び歩き出した。

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