第39話-6 決戦
「うっ…」
「またっ…」
最初はどこか遠くでの戦のさんざめきかと思っていたが、それは遺跡を地下へ下っていくに従って次第に大きなうねりを伴い、アベルとリティアナ二人の注意を無意識に強くひきつけるようになっていた。
「大丈夫か、アベル?」
「ああ、大丈夫」
心配そうに顔を覗き込んだムクロに、壁に手をついたアベルが頷いてみせる。真っ青な顔には大粒の汗が浮かんでいて、傍目にはとてもそうは見えない。
同様に肩であえぐリティアナが息を整えながら考えを述べた。
「今のは…ベルティナだわ。アベル。恐らく、彼女の魔素がこの遺跡自体に反響して、縁が深いわたしとあなたに直接働きかけてるんだと思う」
どこまでも続くように見える遺跡の壁に目を眇めながら、アベルはリティアナの言葉に同意した。
「ああ。僕たちに助けを求めてるんだ。この先にいるのは間違いない」
アベルとリティアナにしか聞こえない呼びかけは、階層を下るにつれて悲鳴の様相を呈している。それがまた焦りを呼び込み、二人を憔悴させるのだ。
「罠がここまで一切無いのが不気味だけど…」
「運が向いたのかもしれんな。なんにせよ、余計な時間を取られないで済む分にはありがたい」
「ああ。外で頑張ってくれている仲間たちの負担もある、もう少し急ごう」
だが、進行速度を上げようという意に反してアベルたちが進む速度は下れば下るほど遅くならざるを得ない。
遺跡に仕掛けられた罠が起動しないと言うだけで、個々の意思で行動する化獣兵には遺跡を作成した者の事情は一切関係ないからだ。
廊下の壁が学府の地下と同じようなほの明かりを灯す壁に移り行くにつれ、歩きやすくなった反面敵のほうからもアベルを見つけやすくなったからだろう。表に誘き出されなかった化獣兵たちに襲撃されたり、そいつらをやりすごし、或いは排除する回数が次第に増えていった。
「またきますわ!」
何回目だろう、レニーの金切り声と共に角から飛び出してきた化獣兵が豚じみた顔にそっくり返るほど長い牙を剥いて飛び掛ってきた。この辺りのは失敗作だろうか、元の生物が何か判じるのが難しい物が増えてきている。
「くっ、こんのぉっ」
すばやく背中に回りこんだリュリュが炎をぶつけるが、岩塊のような鬣に弾かれてしまう。眼前の敵に噛みつこうとするのをアベルが剣で防いでいる間、影に潜ったムクロが右の後ろ足の腱に切りつけ、ひるんだ隙にアベルの傍に駆け寄ったユーリィンが掬い上げるようにして顎下から脳天目掛けカタナを貫き通した。
「みんな無事か?」
仲間たちに特に大きな怪我が無いことを確認したアベルたちは更に遺跡を下っていく。とうとう、深奥の突き当たりに到達した六人は、眼前の扉が僅かに開いていることを確認した。
アベルが手振りで示し、それを合図に全員が左右に別れ扉に張り付く。そして、もっとも扉側に近い位置にいたアベルとムクロがそっと中を覗き込むと、期せずして二人は同時に息を呑んだ。
部屋は、ひたすらに巨大だった。
アグストヤラナの校舎を数棟縦に詰め込んで尚余りあるほどの広大な円柱状の空間は床や壁からの明かりで照らされているが、あまりにも天井が高く、かつ途中から上へ向けて窄まるようになっている造りのせいで最上部へはまったく光りが届いていない。だが、その中でも一際目立つ存在がある。
部屋の中央、あちこち伸ばされた無数の鋼索から放たれた淡い光。その照らし出される中心に”それ”は浮かんでいた。
「あれが…“神”、なのか…」
鍛え抜かれた肉体を逞しい四肢で抱え込み、美しいとすら言える面立ちをした青年が、巨大な子宮に眠る赤子のように部屋の宙空をゆっくり回転しながら漂っている。
何より特筆すべきはその大きさで、学府の地下遺跡で見かけた守護者ですら踝ほどの大きさしかない。彼が目覚めれば、なるほど大陸を焦土と帰すのも造作も無いだろう。
「とんでもないでかさだな…あんな者が目覚めたら恐ろしいことになるぞ」
「…そう、だね」
アベルは戦慄くムクロに強く肯定できなかった。
照らし出す光の加減だろうか、その面立ちに拭いきれない深い懊悩が刻まれているように見えたためだ。
「アベル! あそこ見て!」
永遠とも思える時間をまどろんで過ごす神の心情にいつしか思いを馳せていたアベルは、リュリュに裾を引っ張られ我に戻った。
「あれは…?」
最初、アベルは視線の先で行われていることを理解できなかった。脳が理解することを拒んだのだろうか。
「ベルティナ!」
巨大な神に気を取られて気づかなかったが、ベルティナは彼の足元にセプテクトと共にいる。
しかし、よく見知っている少女は空中に貼り付けにされたまま無残な姿に変わり果てていた。
元気に山野を飛び回っていた健康的な手足は失われ、体は砕かれた壺をひっくり返したかのようにぼっかり空洞を晒しており、その中心に浮かんで白光を放つ球体の下半分が
次の瞬間、扉から駆け出したアベルは侵入者に気づいたセプテクトが行動する前に駆け寄るとその顔面目掛け渾身の力を込めた拳を叩き込んだ。何やら障壁に遮られた感覚があったが、それごとおかまいなしに打ち抜く。
もんどりうって吹っ飛ぶ――手ごたえからアベルはそう予想したがセプテクトはふわり、とまるで風に舞う木の葉のように空中で身をひねると音も無く着地した。
「誰かと思えば…貴様、その顔に覚えがあるぞ」
首を普通なら折れている角度に傾げたまま、体ごとぐりんと向き直ると無表情のまま喋るセプテクト。それを見たアベルの脳裏には、まるでできの悪い人形芝居だ、と場違いなことが過ぎった。
「たしか、ドゥルガンを破壊した奴だな。そしてそっちは…!」
後から部屋に駆け込み、真っ直ぐベルティナに向かうリティアナを庇うように前に立った一団を見やり、そこにいるムクロで目を留めたセプテクトは目を細めた。
「…また貴様らか。わたしの計画を邪魔しつづけてきただけでは飽き足らず、今度は鍵を奪い返しにきたというわけか」
「そうだ、ベルティナは返してもらう!! 『我らが命は光とともにあり!』」
アベルが戦いの宣言を言い放ったのを皮切りに剣を抜きつれる音がつづいたが、セプテクトは慌てる様子も無く口元だけを歪めた。
「ベルティナ、だと? 鍵とはいえ身の程をわきまえろ、下等な炭素生物ごときが!」
その人を人とも思わぬ驕傲な物言いに、アベルは怒りで食いしばった歯の隙間から吐き捨てた。
「お前こそ知った風な口を利くな! 生まれが何であれ、ベルティナは僕たちにとって大切な家族だ! それをむざむざお前の手に渡すもんか!!」
「ふん、お前などの許可などいらぬ。お前たちはただ、神とわたしの前に黙って屍を晒すだけでよいのだ。それが、それだけがお前たちの未来だからだ。さあ、他の民より一足早くあの世へ旅立つがいい!」
闇神の眼前まで浮かび上がったセプテクトが宣言する。
直後、セプテクトの体が膨らみ、そしてばらりと解けた。
縦糸を抜いた織物の横糸がほつれるように、裂け目が手足の先から腕や腿、そして胴体へと伝播していき、ついには頭だけを取り残して無数の細い鋼索がゆらゆらと揺らめきながら部屋の中に広がっていく。馬鹿でかい陸生の水母さながらな姿になったセプテクトは頭上から見下したまま、厖大な量の触手を蠢かしアベルたちに襲い掛かった。
「貴様らも鍵と同様、魔素レベルにまで分解してくれる!」
アベルたちは武器を必死に打ち振るが、髪の毛のように細く数限りない触手など到底払いきれるものではない。そして、今の触手の先端一つ一つには、触れた物を魔素にまで分解させる力が篭っている。
戦いはすぐ終わる――セプテクトはそう確信していた。
「なにっ?!」
触手に触れた六人が、叫ぶまもなくぐずぐずに崩壊し瞬く間に崩れ去るはずというセプテクトの想像はあっけなく裏切られた。
「これは…!」
アベルたちも触れたら何が起こるかと一瞬身を固くしたが、触れた先がぴりぴりするくらいで拍子抜けだ。どういうことかといぶかしく思ったものの、すぐに思い当たった。
「そうか、これもか!」
「へえ、魔素を散らせるだけじゃなく、相手の攻撃も無効化できるって訳ね。至れり尽くせりじゃないの」
「油断しないで! いつまで効果がつづくかも判らないし、加護が無くなったらどうなるかも判らないんだから今のうちに押し切るのよ!」
相手の攻撃を防ぐことができると知り、勇躍したアベルたち。
「おのれ、また邪魔をするか法神よ…!」
一方のセプテクトは苛立たしさを隠し切れない。
「ふん、魔素分解が出来ずとも貴様ら如き殺すだけならば幾らでも手はある。例えば…このようにな!」
触手がざわざわとざわめいたかと見るや、いくつかの束を形作っていく。それらはあるものは槍となり、あるものは鋭利な刃と化した。
「汚れてしまうからわたし自ら手を下さねばならんというのは不本意だが…貴様ら虫けらの脆弱な肉体相手ならばこれで十分だ。さあ、その汚らしい血袋の中身を撒き散らし無様に死に果てろ!」
セプテクトの言葉を皮切りに、無数の凶器が襲い掛かってきた。
「う、わ、うわわわっ」
さすがにこれは受けるわけにはいけないとリュリュが悲鳴をあげて逃げ惑う。縦横無尽に飛び回る彼女を、触手の一群が追尾している。何度も振り返り振り返り火の玉を打ち込んでいるが、あまり効果的とはいえなかった。
「なら、俺が奴を…」
「おっと、貴様にはこれだ。お前ら兄弟のことは覚えている、影に潜られるとと厄介だからな」
「うぉっ?!」
ムクロも珍しく、泡を食ったような声を上げた。影に潜り込んで背後に回ろうとしたが、セプテクトの触手に後ろ髪を引っ掴まれ無理やり引きずり出されたのだ。
他の仲間たちも、同様に苦戦を強いられていた。
ユーリィンは細かい鞭状の触手が無数の矢のように降り注ぎ、それを交わすのに専念している。リティアナが光の鞭でそれを絡め取ろうとするが、別の触手がより合わさった触手で身動きを封じられてしまった。
レニーはアベルと背中合わせになり、刃を付けた触手の群れを捌くので手一杯だ。
あまりの攻め手の多さにアベルたちはその場に釘付けにされたまま、防戦一方を強いられている。
「みんな、下がって!」
身動きのできないこのままでは悪化の一途を辿る、焦るハルトネク隊の中戦局を変える為に動いたのはリティアナだった。
「何か考えがあるのか、リティアナ?」
右手側から振り込まれた刃を剣で叩き落としながら、アベルが尋ねるとリティアナは頷いた。
「ええ。あいつをみていて気づいたの。多分わたしならやれる」
「本当か?!」
「何をするんだ?」
仲間たちもリティアナの様子に気づき、互いに互いの身を守りながら輪を狭めた。
「時間が無いから説明はしないわ。でも、必ずみんなのことはわたしが守ってみせる」
「そんなことできるの? なら願ったり適ったりだけど…」
「だけど、わたしの今の魔素容量だと恐らくそう長くはもたない。恐らく、持って一分か二分…だからお願い、それまでにあいつを何とかして」
「何だって?! たったそれだけって無茶な…」
言いかけたアベルに、リティアナは笑いかけた。
「わたしたちの無茶は今にはじまったことじゃないわ、でしょう?」
「それはそうだけど…」
「大丈夫、わたしたちならやれるわ」
じっと見据えられ、アベルは頷いた。どちらにしろ、やるしかないのだ。
「三つ数えたら飛び出して。いい、行くわよ! 三! 二! 一!」
次の瞬間、リティアナは傍目にもわかるくらい自身の内に眠る大量の魔素を解き放つ。
「ぬぐっ?! き、貴様っ、なんだその力は…」
「……ふふ、やっぱりね」
同時に光の鞭がセプテクトの体同様細かく解れ、お互いに絡み合うようにしてセプテクトの触手とより合わさっていく。
「あなたの体はクロコやわたしの鞭と同じで、大量の魔素で構成を変化させて操っている。なら、鍵を埋め込まれているわたしにも同じことができるはず…そう思ったのよ!」
セプテクトは、徹底的に自分と神以外の存在を侮っていた。
自分と同じくらい魔素を操れる存在が、地虫の群れの中にいようはずもない…と。
そして、光の鍵を手にした時点で、使われてしまって以降所持者が最後まで判らなかった闇の鍵のことを思考の外へ切り捨てていた。
自分の存在、力、矜持、それらのによる自己肯定を肥大化させた末、闇の鍵を取り込んでいた人族の存在を侮った結果。
「きっ……きさまだったのかぁあっ! 本来の闇の鍵を持つ者はぁああっ!!」
「…くっ。くっくっ、なるほどな…ドゥルガンめ、やってくれる!」
鞭で抑え切れなかった触手を切り払いながら、ムクロが堪えきれずに笑い声をもらした。
「ムクロ? どういうことだ?」
「セプテクトに流れる闇の鍵についての情報は曖昧にしか伝わっていない。ドゥルガンから渡された資料が不完全だった…覚えてるだろう、この話を」
それを聞き、アベルはなるほどとようやく腑に落ちた。
何故、リティアナがさらわれてから何年もの猶予があったにも関わらず、セプテクトが取り返そうとしなかったのか。
ガンドルスを警戒してというのもあるのだろうが、何よりもドゥルガンがリティアナについての外見的な情報を塞き止めていたからだ。ネクロが校長室を空き巣したのもその情報を収集させるためだったが、それはアベルが未然に防いだため、セプテクトはこの期に及ぶまでリティアナのことをそうだと判らなかったのだ。
そして、ムクロは更に侮蔑を込めてにやりと笑った。
「何より傑作なのは、お前が掌握したと思っていたドゥルガンは、その実お前に完全に屈していなかったことだ。何のことは無い、お前は地虫だと侮っていた相手に最後まんまとしてやられるというわけだ。…実に無様だな、セプテクト」
ドゥルガンは、最後の最後にセプテクトに一矢報いたのだ。
それが、極めつけだった。
「ド…ドゥルガァン~~~!!」
セプテクトの怒声を皮切りに、五人が動いた。拘束し切れなかった触手がまだ僅かに残っておりそれが迎え撃つが、セプテクトが集中を乱した今恐れるほどのものではない。
「なら、今度は私の番ですわね!」
頃合を見計らったレニーが頭上へ飛び上がると、リティアナが絡め取っていた間に手にした皮袋を大きく横に広げて中身をぶちまける。縦横に広がった水の幕が氷に転じ、突き刺そうとする触手の穂先を
「なら俺はこうするとしよう!」
ムクロは逆に屈み込み、触手たちの影に手を突っ込んだ。触手を伸ばし、光と影がセプテクトの鋼索群を絡め取っていく。
「セプテクト、神の代理を僭称する貴様は高みなどではない! 汚らしく、地べたを這いずる方がお似合いだ!」
そういうと、渾身の力で引っ張り込む。光の鎖を剥がそうともがいていたセプテクトは下に引っ張られる力にまともに抗うこともできず、地面へ無様に叩きつけられた。
「好機!」
リュリュが渾身の力を込めて自分の背より巨大な炎の球を作り出し、床からもがき離れようとするセプテクトの顔面に打ち込まれた。
魔素の保護を無くしているセプテクトは、もろに顔面で火球を受け止め為す術も無く高温で焼き溶かされていく。全力で練りこまれた高温により、構成する機材が機械にも関わらず雨細工のようにとろけていった。
「あっ、見て! あそこ!」
ありったけの魔素を放ったせいで肩で荒い息を吐くリュリュが一点を指差した。丁度今火球が直撃した部分が顔面から欠け落ち、その内部で黒い球から発される黒い光が洩れ出ている。
「あれがあいつの核鋼だよ!」
「なら、あれを切れば…!」
「や、やらせるかっ! やらせんぞぉっ」
リュリュの指摘に、セプテクトが慌てて身を反らしながら残された触手すべてを動員し傷口を覆った。瞬く間に触手の海に埋もれ、アベルたちはセプテクトの顔を見失った。
「くそっ、きさまらっ、下等生物の分際でぇっ! 今すぐに核鋼を退避させたらなぶり殺しにしてくれる!」
「させるか! こうなったら片っ端から叩き切って…」
「待ってアベル。ここはあたしに任せて」
吼えるセプテクトに臆することなく追撃しようとしたアベルを制し、ユーリィンが一歩前に進み出る。
「ユーリィン、何を?!」
彼女のカタナは鞘に戻っており、しかも目を閉じていることにアベルが驚いた。
「ふん、どうやらその女は殊勝にも死を選んだか。いいだろう、死ね!」
しかし、ユーリィンには元より死ぬつもりなど無い。深く、意識を研ぎ澄ます。
「な、なんだとっ!?」
迫り来る刃をゆらりゆらりと、風に揺れる柳の葉の如く交わしながらアベルを先導するように一歩、一歩と間合いを詰めていく。そして、ある程度まで進んだところでかっと双眸を見開いた。
「そこぉっ!」
抜く手も見せぬ一閃。
セプテクトには、次の攻撃がくると判っていたにも拘らず目視できなかった。
そしてユーリィンが抜き放ったカタナを鞘へ納めたのと間を置かずして、周囲の床をも覆い尽くす触手の群れが一筋残したかと思うと上下へばっさりと綺麗に断ち割られた。その中心に、驚愕に彩られたまま二分割させられたセプテクトの顔面と、その中心で剥き出しとなった彼の核鋼が露になった。
「そこかぁあっ!!」
核鋼に向かって突進するアベル。
セプテクトはもう逃げず、くわっと口を大きく開いた。その中から、槍と化した舌が鋭く突き伸ばされる。剣を腰だめに構えていたために、アベルは数瞬反応が遅れた。
やられる!
誰もがそう確信した瞬間、唯一動いたものがいた。
「クロコ?!」
リュリュの傀儡が、彼女の操作を無視して飛び出していた。
直後、セプテクトの舌がクロコの身体を砕きながら貫通する。その小さな体は木っ端のように砕け散ったが、クロコの与えた衝撃はアベルの心臓というセプテクトの狙いを外し僅かに肩肉を削いだに留めた。
瞳に埋め込まれた硝子がこちらを見たかと思うと細かな破片と砕け、涙のように煌き散った。その刹那、アベルはかつてリュリュの体を借りたクロコとの会話を思い出していた。
あれが本当にクロコの想いだったのか、そうでなかったのかは判らない。
しかし――
ありがとう、クロコ――アベルは心中で礼を呟いた。
ついにセプテクトの弱点に辿り着いたアベルは、万感の想いを込めて剣を振った。
「ぎいっ……」
大きな力はいらなかった。
かしゃり、と薄い玻璃の割れたような音がしたかと思うと、突如アベルの篭手に埋め込まれた水晶から光がほとばしる。その光に照らされたセプテクトは、僅かに遅れて苦しそうに身悶えした。
「げひっ?! な、んだ…この、ひかり…は……? や、め……」
彼の顔面の中心にある黒ずんだ核鋼が、浴びせられた光によって白く塗り替えられていく。白光はやがて核鋼だけでなく、瞬く間に辺りを飲み込んでいった。
「ぐぎゃあああっ、なっ、なんだあっ、わ、わたしが…きえて、ゆく…っ……!」
広大な部屋を真っ白に染め上げたところで光が弾け飛び、呻き声を上げようとした表情のまま真っ白に固まったセプテクトとその核鋼は、やがてゆっくりと砂で出来た楼閣のようにさらさらと音を立てて崩れ去った。
こうして、静寂が戻った。
束の間アベルは他のことをすべて忘れ、確実に斃したかと脳内で反芻する。
セプテクトの核鋼が塵に還った瞬間が三度繰り返されたところで、ようやく実感としてアベルはすべてが終わったと感じた。
「ああ、そんな! ベル!!」
呆然とするアベルを現実に引き戻したのは、リティアナの悲鳴だった。
彼女は床に投げ出されたベルティナの元にいた。震える手で無残な姿となった愛娘の頭をかき抱く。その中に見える核鋼は、ゆっくりとだがそれでも静かに崩壊をつづけていることにアベルは気づいた。
「どうして?! セプテクトは討ったんだ、終わったはずだろ!!」
セプテクトを撃破した今なら、核鋼への侵食は終わるはず。そう思い込んでいたアベルは愕然と呟いた。
「ぱぁ……ぱ……」
僅かに残された右手の残滓を辛そうに持ち上げ、ベルティナがアベルを呼ぶ。アベルは素早く駆け寄りその手を取った。
途端、ぱきり、と核鋼が砕ける小さな音が部屋に響いた。
「…そうか。ボクたちは、間に合わなかったんだ…」
呆然と呟くリュリュの声を聞きつけ、アベルは振り向いた。
「なにがさ…こうやって、ベルティナは…まだ、生きて……」
リュリュは静かに首を振る。
「違う…違うんだよ、アベル。今のベルティナは奇跡的に崩壊して無かっただけ。核鋼が崩壊するくらいの大きな損傷だと、もう……」
「嘘だろ…?」
愕然とするアベルはなおも否定しようとするが、当のベルティナがそれを許さない。
「おねが、い…ぱぁ、ぱ……」
「ベル! ほら、やっぱりまだ」
「べる、を……こわし…て……」
息も途切れ途切れの懇願に、アベルは顔を強張らせた。
「どうしてだよ、ベル! ああそうだ、これから戻って理事長に直してもらえば…」
ベルティナが力なく首を振る。
「いま、ここでこわして…さもないと、わたしのからだで……かみ…さま、さい、きどう、しちゃうから…」
その願いを受け入れることが出来なず、子供のように頭を振りつづけるアベルに、ベルティナは辛抱強く懇願をつづけた。
「おねがい、ぱぱ。べる、ね…だいすきなみんな…きずつけたく、ないよ……」
そう願うベルティナはじっとアベルの目を見つめている。とうとう彼女の視線に耐え切れなくなったアベルはすがるようにリティアナを見た。
「…お願い、やってあげてアベル」
だがリティアナは止めない。それどころか、確たる覚悟を持ってベルティアの遺志に賛同した。
「…判ったよ」
二人の瞳に揺るぎ無い信念を感じ取ったアベルは涙の流れるまま、操られるようにして剣を取り、そして――核鋼へ向けてそっと振り下ろした。
二度目のかしゃり、という音と共にベルティナはほっとした表情を浮かべ、
「ぱぁぱ…… あり… が、と……」
光の粒子として崩壊した。つづけて、ベルティナの体も粒子へとなり、天へと昇っていく。
「ベル! あなただけ、いかせたりしない!」
そこへ、リティアナが両腕を広げがばりと覆いかぶさった。
「リティアナ、何を?!」
リティアナの全身が、霧散しようとするベルティナの核鋼が変じた光の粒子に包まれる。そして、それは段々とリティアナの身体に吸い込まれはじめた。
「あっ、魔素が!?」
仰天した仲間たちに、リティアナは大丈夫と告げた。
「最悪の場合、わたしはこうしようと決めていたの。ベルティナのことは、わたしにまかせて」
言うなりリティアナは苦しげに呻き、肩膝をついた。
「…まさか、リティアナ?! だめ、だめだよそんなこと!!」
唯一、何をしようとしているか遅ればせながら把握したリュリュが血相を変えて止めようとするが、リティアナは険しい顔のまま首を横に振る。
「お、おい、何がだめなんだ?」
その反応に、嫌な予感がしたアベルが割り込もうとするも、リティアナに決然と止められた。
「お願いだからみんな、後生だからわたしのすることを黙って見ていて! このために前もって理事長から聞いておいたの。これこそが、唯一ベルティナを助ける手段なの!」
苦痛に脂汗を額に浮かべながら髪を振り乱し叫ぶリティアナの、鬼気迫る様子に気圧される仲間たち。
だがリュリュだけが必死な形相で光の粒子からリティアナを引き離そうとしていた。
「駄目だよ、そんなの! ベルティナは助かってもリティアナが無くなっちゃうじゃない! アベルもリティアナを止めて! 彼女、ベルティナを自分の身に宿そうとしてるの!」
だが、他の仲間たちには彼女たちの言動の何が問題なのかが判らない。
「それってどういうことだ? ベルティナは今、死んだんじゃ…」
「助かるなら、そのほうがいいのではなくて?」
リュリュが激しく頭を振る。
「違う、そういうことじゃない! ベルティナは生物じゃないから、器がなくなってもすぐ死ぬわけじゃない。意志の役割を果たせるだけの能力を持つ核鋼、或いはそれに近い物があれば消えない。だから今のリティアナは、自分の体にベルティナの人格を司る魔素を宿らせようとしてるの!」
「なぁんだ、ならリティアナの体に核鋼があるじゃない? それを使えばベルティナも助かるわけね、万々歳じゃない」
あっけらかんと答えたユーリィンに、リュリュが怒鳴った。
「ああもうっ、だから何度言えば判るんだよ、そんな簡単な問題じゃないんだってば! いい、人の体には、すでにその人自身の人格があるんだよ! そんなところに、いくら核鋼があるからといって別の人格を無理やり詰め込んだらどうなるか誰にだってわからない。ううん、そもそも体内の核鋼にしても何年も掛けて馴染んだものなんだ、すでにリティアナの一部と言って良い。そこへ別人格を埋め込んだら阻害しあう可能性が高いんだ! そうなればベルティナ、下手したらリティアナの人格まで崩壊しかねないんだっての!!」
そういわれて、四人はようやく顔を青ざめさせた。
「そ、そんな…だめだリティアナ、止めるんだ!」
アベルが制止するも、すでにその時点で半分ほど光の粒子はリティアナの体内に取り込まれた後だ。全身を覆う輝きが失われていくのと反比例するように、彼女の額には玉ほどの汗が次から次へと吹き出ては流れ落ちていく。
「リュリュ、どうしたらいい? リティアナを、二人を助ける方法は無いのか?」
血相を変えるアベルに、リュリュは人差し指を噛んで必死に思考をめぐらせる。
「二つの人格が宿るといってもこの場合リティアナが主人格だから彼女は問題ない? いや、でも魔素の質によって変わるはずだから断言は…ううん、ベルティナの人格は理論上なら同質の核鋼があればそちらに保持できるはずだけど…」
「リティアナとベルティナは…助かるんだな? なあ、助かるんだよな?!」
リュリュは哀しそうに首を振った。
「判らない、判らないんだよアベル。何しろ、核鋼の魔素を自分の体に取り込んだなんて、今まで誰も聞いたことも見たことも無いから、憶測するしかないんだ…」
そうこうしているうちに、とうとうリティアナの体にベルティナだった魔素がすべて取り込まれた。
「リティアナ!」
「アベル、大丈夫、わたし…なら……」
リティアナは立ち上がろうとする…が上手くいかない。一つ大きく喘ぎ、膝から崩れ落ちそうになるところをアベルが抱きとめた。
「大丈夫か、リティアナ」
心配そうに尋ねるアベルに、リティアナは頷く。
「なんとか…ね」
かすかな微笑を浮かべたリティアナは、がくりと頭を垂れた。そのまま意識を失ってしまう。
「リティアナ!」
素早くレニーが揺すろうとしたアベルを抑え、リティアナの容態を看る。
「疲れ切ったからかな、意識が無いみたい」
心配そうに尋ねるアベルに、レニーは振り仰いで言った。
「…今のところは大きな問題は無いみたいですわ。人格が崩壊したら、こんな安らかな表情で眠ることはまずありませんもの」
「そうか…良かった」
仲間たちからも、安堵の吐息が洩れる。
アベルは彼女たちの顔を見渡し、そしてもう一度ベルティナのいた場所を見やる。そこに鍵の少女がいた痕跡は、もはや何も残されていなかった。
小さく嘆息したアベルは、一度頭を振ると顔を上げた。眼前にある神の巨体は、彼らが入る前からあったように未だ静かに眠りに就いている。
彼らは、世界を崩壊の危機から救ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます