第1話-2 再会
連絡船が小さな波止場に着いたのは、丁度夕日が水平線に沈む頃だった。
こじんまりとした船着場へ降りたアベルたちの前で、最後に下船したデッガニヒがむにゃむにゃ呟きながらぽん、ぽんと二回拍手を打つと船は光に包まれ、縮小化しながら手の内に収まった。
「え、今のって…」
「ほれ、のんびりしておる暇は無いぞ。ここは日の入りが早いからのぅ、さっさとせんと野宿する羽目になるぞ」
デッガニヒに促されるがまま、ゆるやかな傾斜の付いた石畳の階段を上っていく。石段はゆるやかな蛇腹構造でとかく昇りに時間が掛かる。やがて真上が欠けた三日月が一同を煌々と照らしたものの、すぐに周囲を覆う森の影に遮られてしまうようになった。
闇の濃さを増す森の中、唯一頼れるのは先導するデッガニヒが途中で灯した松明の明かりのみ。ほどなく誰もが口数少なくなり、時折額に浮かぶ汗を拭う以外はまるで葬儀の参列者の如く進んでいく。
三十分もしたろうか(がアベルたちには数時間にも感じられた)移動の末、ようやくデッガニヒの足が止まった。
「よっしゃ、到着じゃ。ちょっとばかし遅くなっちまったが、なぁにそう変わらんじゃろ」
開けた場所に出た一行の眼前には、植物の葉を組みあわせたような複雑な装飾を施された大きな門扉が聳え立っている。
「あー、おほん。おぅいわしじゃ、デッガニヒ=ノードリアスじゃ! ひよっこ共を連れてきたぞ!」
鉄扉を砕かんばかりの勢いの大音声に、思わずその場にいた誰もが耳を塞ぐ。すぐに、門扉がゆっくりと開かれ、デッガニヒは鼻歌交じりに再び歩き出した。
「ここが…アグストヤラナか……」
門扉の先へ足を踏み入れるとその中には鬱蒼とした山を背に、小ぶりな丘ならすっぽり入るだろう広大な校庭。その正面、白い石造りの巨大な五階建ての校舎がまず目に飛び込んできた。正面三階には大時計が時を刻み、その真上と校舎の四隅には丸い飴棒をねじったような尖塔が建っている。
左手にも三階建ての建物が建てられているが、アベルがそちらにちょうど意識を向けたところで大時計の上の尖塔から巨大な鐘の音が聞こえた。
「おっと、急がんとならんの。飯が冷えてしまうわい」
デッガニヒはぴしゃりと禿げ上がったおでこを叩くと、皆についてくるよう再度促した。
「早速じゃがな、最初に幾つか校内の施設を説明する。よーく聞いて覚えておくんじゃぞ。貴重品以外の荷物は一端ここ、玄関広場に置いておくとええ。飯が終わったらまた来るでな」
そういうと、正面に聳え立つもっとも大きな建物に進んでいく。
廊下に規則的に配置された松明が切り出しっぱなしの滑らかな白壁を照らし出しており、デッガニヒは手にした松明を空いている金輪の一つに他同様納めた。
「ここからは灯りはいらんでの」
そのままのしのしと廊下を進んでいくデッガニヒに、生徒たちは物見高そうにしながらついていく。
「ここは手水場じゃ。この井戸周りで飲料用の水は汲める。周囲の流し場は洗濯に使うんじゃ。それ以外の、水を使う用事がある場合はここで水を汲んで持ち帰るか、学府を出てさっきの波止場まで行ってそこで行うかが基本となる。言うまでも無いことじゃが、汚すなよ。教師や上級生も使うからのぅ」
「そこが厠じゃ。右が女子、左が男子。上の階層にも、同じ位置に設けてある。教師も使うが、清掃は毎朝、諸君ら生徒が順繰りに一人ずつ行うことになっておるから汚さんようにな」
「踊り場の掲示板はちゃんと目を通すのじゃよ。ここに、試験の開催日程や学府からの連絡などが張り出されるでな」
一階の説明はそこそこに、次いで二階に上がり職員室や図書室の説明を、そして三階で校長室や時を告げる鐘について大雑把に説明していく。だんだん説明がおざなりになってきている気もするが、どうやら空腹で気がそぞろになっているかららしい。
「ここ三階から上は諸君ら生徒専用の寄宿舎となっておる。今日のところの部屋の割り当ては好きにして構わんぞ。今後共に暮らす生徒同士、親交を深めるとええ」
それまではリティアナ以外他の同年代と遊んだことの無かったアベルは、その言葉で今後の学生生活への期待に胸が高鳴った。
そうして一向は早足で校舎を出た後門扉の前を左に曲がる。校舎側に地下への下り階段、その向こうには三棟の小さな小屋が並んでいるのが見えた。
「この下り階段は地下牢がある」
物騒な単語に生徒たちがざわめくが、デッガニヒはそれまでの笑顔を崩さずつづけた。
「何、言うても校則に違反するとか、教師に対して目に余る態度をとったとか、そういうことでもなければ無関係の場所じゃよ。ここは王宮じゃないからのぅ、その辺は緩いから問題あるまいて。まあ、逆に一生に一度の経験として入ってみるのも悪くあるまいがのぅ」
そうふざけてかかっと笑う老人に、アベルは思わず苦笑してしまった。
「さて、今度はあちらの建物じゃ。あそこには、手前に向かってくるに従って防具・武器、そしてその他の雑貨がしまわれる倉庫となっておる。諸君らの中には使い慣れた武器などもたん者もおるじゃろう。そういう者は、教師の許可を得た上で借りるとええ。ああ、壊したりなくしたりせんようにな。新品で弁償してもらうことになるからの」
再び一行は門扉前まで戻ってきたところで今度は右に曲がり、まっすぐ進む。少し行った所、校舎の影になる形でこれまた立派な石造りの建築物が姿を現した。
「ここが大食堂じゃ。今日のところはここで新入生歓迎会も兼ねておるんじゃよ。いい加減腹も減っているだろうがまずは校長の挨拶じゃ。それが終わればみんなたらふく飯を食えるから、今から楽しみにしておくとええ」
そう言われ、今更ながらアベルたちは皆空腹を覚えていたこと、そして食堂から漂う良い香りに気付いた。
分厚い樫でできた厚い扉をくぐると中には大食堂に相応しく、清潔な真っ白い敷き布を掛けられた食卓が何列も設けられている。
その上には新鮮な家畜の乳や果汁の入った壺、乳を加工して作った乾酪、雑穀粥、ゆで卵、色んな家畜から作られた大小の干し肉や腸詰、種々の魚の燻製や塩漬け、色とりどりの果物を加熱して濃縮した瓶詰めと様々なご馳走が所狭しと並べられていた。すでに嗅覚に優れた数人は、待ちきれないとばかりに芳しい香りへ鼻をひくつかせている。
「ほれ、後が閊えてるからさっさと入った入った。各自空いてる席に座るんじゃ」
場の雰囲気に飲み込まれかけたアベルはデッガニヒに肩を叩かれ、慌てて歩き出した。リュリュ、ユーリィンもすぐ後ろについてくる。
「じゃあわしは自分の席に行くとするかの。みなも校長の挨拶まで大人しく待つんじゃぞ」
そういってデッガニヒは列を離れていった。
「うわぁ、すごい! 見てみてユーリィン、あれ!」
リュリュが目を輝かして指差したのは、給仕人たちだ。
食べ物を沢山載せた重そうな銀盆を持って忙しく働きまわっているのは、十数体もの全身を銀の甲冑に身を包んだ兵士たちだ。軍学校と言うだけあってこういうところまで兵士が携わっているのだろうか?
「うわっ」
ぼんやり思案していたアベルは背後から来ていた給仕人に気付かなかった。どん、という衝撃と共にぶつかられ、慌てて謝ろうと振り返ったアベルはぎょっとした。
「く、首が?! いや身体も無い?!」
衝撃で甲冑の首が外れ、がらんどうの中身が丸見えになっている。 それを聞きつけ、リュリュが飛び寄ってきた。
「ああ、アベルは知らなかったんだ。さっきの船もだけどこれ、錬金術で動かしてるんだよ。ほら、あっち見て」
得意そうにリュリュが説明しながら指を差す。
その先には、卵のような禿頭の男が一体の甲冑の背後に立ってぶつぶつ何かを口ずさんでいるところだった。直後、ぱぁっと男の手元が光ったかと思うと甲冑ががしゃりと音を立てて立ち上がり、自分の兜を被るときびきび動き出した。
「へえ…すごいんだな、あんなことまでできるなんて」
感心しているアベルの傍でも給仕人は自らの落し物をようやく見つけると、元あった場所にはめ込んで何事も無かったようにがしゃがしゃ音を立てながら去っていった。
「あ、あそこ! 空いてるよ!」
リュリュが目ざとく空いている席を見つけ、そこへ飛んでいく。
「ちょっと、さっさと進んでよ。後ろ詰まってるんだから」
「ご、ごめん」
背後のユーリィンに促され、アベルは慌てて空いている席に腰を下ろす。その隣にリュリュ、更にユーリィンが座る。
その辺りでようやく全員が席に着いたところを見計らい、壇上の職員席に着いたデッガニヒの左隣に座っていた金髪の男が立ち上がり、ぱんぱんと両手を打ち鳴らした。
「あぁ、諸君。食事の前に、こちらの話を聞いてくださいね」
朗々とした声が食堂内に響き、それまでの雑然とした騒ぎがしんと静まりかえる。
「校長であるガンドルスは所要のため遅れていますので、その間代理として学府の方針の説明を私、副校長のドゥルガンが勤めさせてもらいます。皆さんも、これからよろしく」
ドゥルガンと自称した細目の男は首を巡らし新入生たちを一瞥すると、よく通る声で話し出した。
「さて、早速ですが伺います。皆さんは、アグストヤラナ軍学府についてどのような希望を求めていらっしゃったのでしょうか」
突然の問いに誰もがどう答えたものか迷っているのだろう、返事は無い。ドゥルガンは気にすることなくこほんと一つ咳払いし、
「恐らく、国許で軍に入り、手柄を立てる…その第一歩としてみている人が多いのではないでしょうか。しかし、我々はそういう人間を送り出すことを第一義としてはいないことをご理解いただきたい。そしてもし、それに納得できない者がいたら帰ってもらっても結構です」
「え?」
思わず驚きの声をあげてしまうアベル。
驚いたのは彼だけではないようで、あちこちからざわざわとどよめきが湧き上がっている。
一方、生徒たちの動揺をよそにドゥルガンをはじめとした教師陣はにこにこと笑みを浮かべたり、我関せずとばかりに表情を変えないでいる。こういう話をするのはあらかじめ定められていたのだろう。
生徒たちの動揺が鎮まるのを待ってから再びドゥルガンが口を開いた。
「今尚、このフューリラウド大陸では幾つもの国々が覇権を争い戦いあっています。それは、私が無力な幼子であった三十年以上前からも続いています」
しん、と静まり返る。
戦乱の話はここにいる者の大半にしてみれば決して他人事ではない。
「のみならず、各地で生まれる化獣も人々を襲っており、その被害は増える一方です」
アベルも思い返していた。五年前のあの日、ブレイアを襲った光景を。
突然現れた大量の化獣たちに食い殺され、見知った町の人々が倒れ伏している。そして、化獣たちの中心に立っていた男…
「アベル、どうしたの?」
リュリュの声にはっと我に返る。
「大丈夫? なんか、すごい汗かいてるけど…具合でも悪いの? 水いる?」
「いや、なんでもない。大丈夫」
アベルは余計な注目を避けるため、心配をかけまいと汗を拭いつつ努めて明るい声で返した。
「そう? ならいいけど…」
リュリュの心配するような視線を振り切り視線をドゥルガンへ戻す。幸い、こちらに注目している者はいないようだ。
「そのような現状の中、ただ盲目的に戦うだけの兵士はもはや求められていません。国によっては他国と戦うための兵士より、化獣から人々を護る者、その生態を調べ安寧を取り戻す者。そういった人材を求めることが多い。故に、その知識や生き抜くための技術を優先的に覚えてもらうことになります。無論、それらを学んだ上であえて一兵士になることを望むのも結構ですよ」
穏やかな声が大食堂に響き渡る。 言葉は決して強くないが、逆に坦々とした語り口だからこそ皆の心に染み渡っていく。アベルもまた、気持ちを切り替えて彼の主張に集中することができた。
「ただ
今では誰もが黙ってドゥルガンの弁舌に聞き込んでいた。
「そう、私たちは願っています。繰り返しますが、与えられた命令に従うだけの兵士ではなく、国や種族と言った狭い範疇に拘ることのない、大切な者を護ることのできる一人の存在として皆さんが巣立っていくことを。それこそが、このアグストヤラナ軍学府の掲げる理念です。そこを踏まえた上で、改めてここが自分自身が学びたい学校であるかどうかをお決めください」
静まり返った中、生徒たちをゆっくり見回したドゥルガンが深々とお辞儀してから着席する。
新入生の列からまばらに拍手が起こるが、その主たちもどうしたらいいか分らずすぐに鳴り止んでしまった。
「大切な者を護ることのできる…うん、気に入った!」
その中でも最後までぱちぱち拍手していたリュリュは嬉しそうに何度もうなずいている。
「ボク、この学校気に入ったな! よっおーし、明日から頑張っちゃう!!」
「そう…ね。まあ、ただの軍学校よりは学びがいがありそうかしらね」
ユーリィンも、拍手こそしないが納得しているようだ。
(大切な人を護ることの出来る存在、か…)
そんな昂揚している二人を横目に、アベルは逆に心が沈んでいくのを感じていた。
と、後方からひときわ大きな歓声がした。
「おっと、もうはじめてたのか」
「遅いんですよ校長。もう学校方針までは済ませてあります」
「おお、すまんすまん。それじゃあ後は食べるだけだな。あー、済まんがよろしく頼む」
ぱんぱん、と手を打つ音が反響する。その音を合図に大小の皿、液体の入った瓶と杯を両手で抱えた給仕鎧たちが、素早く器用に生徒たちの合間を縫って置いていく。
「飲み物も皆に行き渡ったかな? それでは乾杯と行こう」
アベルの杯にも給仕鎧によって琥珀色の液体が注ぎ込まれる。匂いからして葡萄酒だろうか。いつの間にか、リュリュの前にも彼女の大きさにちょうどぴったりな小さな杯が置かれている。
「では、アグストヤラナが諸君の未来を切り開く一助とならんことを祈って」
乾杯、と一斉に周囲が声をあげる。アベルも同様にしようとしたが、杯を持ち上げたところで動きが固まった。
「…あいつは!」
ようやく正面を向いたアベルの瞳に、一人の男が映りこんでいる。
壇上の中心で杯を掲げ、笑顔を浮かべている男。
黒い蓬髪、右頬に見えるは斜めに切り上げられた傷痕。その巨体は、五年間忘れようと思っても忘れられないあの男だった。
乾杯しようとして振り向いたリュリュが異変に気付いた。
「アベル、何を…きゃああっ?!」
気付いたのがユーリィンなら、止められたかもしれない。だが、リュリュではあまりに非力すぎる。血相を変えたアベルに異変を感じ駆け出した彼の服を急いで掴んだが、止めるどころかあっさり跳ね飛ばされてしまった。
「な、なんだっ?!」
「うわっ、押すな!」
他の生徒を突き飛ばし、椅子を蹴立てて壇上へ駆け上がるアベル。その手には腰間から抜き放たれた長剣が握り締められており、一直線に中心にいる校長に向かっていた。
「止まれ、止まりなさい君っ!」
食事を前にして誰もが注意力散漫になっていたが故、ほとんどの者は反応が遅れた。 それは教師も同様で。
「む…!」
ガンドルスもアベルが駆け寄ってくることには気付いたが、剣が握られていることに気付いたのは大分接近を許してからのことだった。
動く気配は無い。
「リティアナの仇ぃぃっ」
大きく振り上げた剣が無防備な校長の頭めがけ振り下ろされる直前。
「させない!」
音も無く動いた者がいた。
それまで校長の背後に立っていたが、数歩後ろに控えていたせいでその存在にアベルは最後まで気付かなかった。
その人物は頭巾を目深に被ったまま小声で呟き手を向ける。直後だぼ付いた右腕の裾から飛び出したのは、白く発光する鎖だった。それがまるで意思を持つ大蛇のようにアベルの腕へ絡みつき動きを封じる。
「うわっ、なんだっ?!」
「痴れ者が!」
次いで左手を振るうと、そちらの裾からも鎖が飛び出し今度はアベルの腹を強かに突く。太い丸太で勢いよく突かれたような衝撃に、遠巻きにみている生徒たちの前へアベルの体が吹っ飛ばされた。
「何をしている! そいつを抑えつけろ!! 乱心者だ!!」
ルークの声だろうか、聞き覚えのある金切り声を皮切りにようやく我に返った教師陣をはじめ、給仕をしていた鎧たちもがアベルに飛び掛る。暴れるも数には勝てず、あっさりアベルは押さえ込まれてしまった。
「はなせっ、はなせええっ!!」
「大人しくしなさいと言うに…ええい、これではどうにもなりません! アルキュス先生、麻酔を!」
両腕を押さえられながらもなおも吼えるアベルの首筋に鋭い物が刺される。途端、そこから急速に全身の力が抜けていく。
「く…そ、ぉお……」
急速に意識に靄が掛かる。
「う…あ……?」
回る視界の中で、アベルを押さえつけた鎖の主が頭巾を脱いだ。中から、栗色の長い髪の毛がこぼれる。
そこには、アベルの知る少女の面影があった。
「リ…ティ、ア…ナ…? どう…、して……」
校長へ安堵の表情を向ける彼女へ向けて手を伸ばそうとしたところで、とうとうアベルは意識を手放した。
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