玲奈さんの暇つぶし。

河野 初雪

第〇話

 ――あぁ、本当に暑い。まだ六月半ばだというのに、俺の身体は暑さへのヘイトを溜めるばかりでいた。

 午後三時も終わろうとしている頃、校舎の四階へと向かう俺の脚は乳酸を蓄積する一方。本当階段って嫌い。


 肩にかけたタオルで頬を伝う汗を拭う。三階と四階を繋ぐ踊り場の窓が空いていて、少しだけ冷ややかな風が吹いている。

 その開いた窓から入ってくるのは風だけではなく、グラウンドを走る運動部の掛け声や、外で練習をしている吹奏楽の音が聞こえる。


「……暑いのに、ご苦労なこった」


 熱中症で倒れやしないか、という心配はまだ早いだろうか。俺は少なくとも今倒れそうだが。


 窓の外へ向けていた視線を階段へと戻し、また一段一段とあがっていく。4階に到達した時に射し込んだ太陽の光が、さらに俺の体力を奪っていく。

 ただ俺の目的地――、部室は、階段をのぼりきってすぐそこ。足早に部室へと入って行った。


「よう。ゴキゲンか? 玲奈れいなさん」


 この部は、教室1つがまるごと部室としてあてがわれているのだが、半分くらいは使用用途のわからないものが置かれてあって、自由に使えるのはもう半分。


 そんなスペースに所狭しと置かれている会議用によく使われるただの長い机と、向かい合って広げられたパイプ椅子。

 その真ん中にあるパイプ椅子に佇んだ女子生徒に、俺は声をかけた。


 少女は、読んでいる文庫本から目を逸らさずに返事をした。


「あら、今日は遅かったのね。かける


 翔、とは俺のこと。


「今週は掃除当番なんだよ。っていっても、いつも玲奈の方が早いんだけどな」


「そうね。ホームルームが終わると本当にやることがないから、静かなこの部室へとすぐ来るわ」


 俺は彼女の向かいにあるパイプ椅子へ腰掛ける。


 整った顔立ちに、細い首筋。身長は160cmほど。すらっと伸びた手足と、腰のあたりまで伸ばした漆塗りのような艶を放つ黒髪が自慢の女子生徒。

 それが先程玲奈と呼んだ美少女である。


「……どうかしたの? いつになくじろじろと見て」


 ここで初めて玲奈と目を合わせる。特に玲奈に他意はないにしても、大きな眼に見つめられると少しだけ照れる。


「いや、特にこれといって訳はないんだが」


「なによ、今更わたしの完璧美少女っぷりに気づいたの?」


「口が減らないとこを除けばな……」


 自他共に認めるこの美少女っぷり。黙っていればそれはそれは可愛いものし、なんなら校内でもトップクラスであろうに。


「ふん。生まれつきのものなのだから仕方ないでしょう。あなたはもう少しわたしと2人きりっていう状況を喜ぶべきだわ」


「へーへー」


 彼女、阿形玲奈あがたれいなは自分を価値を把握している。だからこんな大胆なことが言えるのだろう。これがブスならぶっ飛ばされているのが世の辛いところだ。


「さーて。今日はなにをする予定だ」


「そうね……。昨日の続きでいいでしょう」


 玲奈は本を閉じ、隣のパイプ椅子に置いてあった通学カバンへとしまう。その際に見えた首筋には、一筋の汗が流れ落ちていた。


 ーーーーいやらしい。


「今度はなによ……。ピンクな視線が痛いのだけれど」


 おっと。気づかれてしまったらしい。


「流石の玲奈も暑さには敵わないんだなーと」


「ロボットかなにかとわたしを勘違いしているの……? 当然汗だってかくし、性欲だってかきたてるわ」


「後半は必要ねぇよ!」


「翔がわたしにいやらしい視線を向けるからよ」


 ……まぁ、そう言われてしまえばなにも言えないのだが。部屋のすみに置かれたテレビの前に俺たちは移動する。


 少し古めの薄型テレビと、その下のテレビ台の中には旧型のゲーム機。テレビを見上げるように置かれた二つの座布団。

 基本的に俺たちはこのゲーム機で暇を潰す。 いや基本的にというか、この部活はやることが本当にないから、ゲームをするしかないんだけど。


 そういえば、この部活について一切の説明をしていなかったな。どうせ話をするのなら、時間を一旦四月末まで戻そう。



 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


「大西先生。僕と彼女が正座をしている理由をどうかお聞かせ願いますか?」


「いい質問だ、中村翔なかむらかける


 四月三十日、きれいに、俺たちの入学を祝ってくれていた、咲き誇った桜は影をすっかりひそめてしまっていた。

 本格的に高校生としての授業が始まり、精神的に参っていた放課後のことだ。

 教室と呼ぶには少し狭く、八畳ほどの空間に乱雑に置かれた低いテーブルと、穴だらけのソファー。窓からは、夕日と呼ぶにはまだ早い太陽の光が射していた。


 本棟の一階に場を構えている職員室。俺たちがいるのはその隣、生徒指導室だ。その固く冷たい床に正座を強いられている。

 

 俺が彼女と呼んだのは、同じく隣で正座をしている女子生徒。名はまだ知らないが、少なくとも同じ理由で呼ばれたであろうことは察しがつく。


「だがな、中村よ。この生徒指導を担当している大西理おおにしおさむは、生徒に考えさせ、気づかせることを大事にしている。少しは考えてみろ」


 その言葉を聞いて、隣の少女が口を開く。


「そんな……。いきなり呼び出して入るなり正座しろなんて、それだけでも既に帰りたいのに、これ以上わたしや彼になにを望んでいるのですか、大西ゴリラ」


 ……丁寧な口調を保っているが、その内容はとても口が悪いものだ。特に最後の三文字は余計なんではないですかね。


「いい度胸をしているな阿形。姿勢が綺麗なんで、反省していたと思ってたが……」


「甘いですね大西先生。わたしのモットーは後悔と反省はしない、です。これを機に勉強なさってください」


 恐ろしい子だ。言葉だけなら完全に先生の立場が崩壊してしまっている。

 大西先生の拳には少しずつ力が入っていっていった。


 ――うん。逃げたい。


「まぁまぁ、俺も教師だ。可愛い生徒の過ちは1度くらい許そうと思っている」


「あら、教師でしたのね。この高校で飼われているゴリラかなにかかと」


「お前は人をディスらないと生きていけない呪いでもかかっているのか?」


 鬼のような形相に変わっていく大西先生の表情とは裏腹に、少しも顔色を変えない阿形と呼ばれた女の子。


 すっごいとばっちりを受けそうなんだけど……大丈夫なんだろうか。ここはひとつ、話を本題に戻さないとならないだろう。


「どーどー、大西先生。話が逸れてます。まんまと挑発に乗ると本当に猿みたいですよ」


「お前達は揃いも揃って教師をコケにして楽しいか!?」


 失敗した。


「もういい! お前らはこの学園が部活強制なのは知っているだろう」


 鬼のような顔はそのまんまで、大西先生は話を本題に戻す。


「そういえば担任から散々言われていたような」


「あら奇遇ね、中村翔さん。わたしもかなり担任から注意を受けていたわ」


「それは気が合うな、阿形さんとやら。して大西先生、それとあなたのゴリラっぽい風貌になんの関係があると言うのです?」


「ゴリラから離れろ! その話は終わったはずだ!」


 確か……。新入生は部活動を四月末までに決めないといけなかったはずだ。そういえばもう今月は今日で終わりだった。

 なるほど。呼び出されたわけがわかった。


「お前達二人だけなんだよ、部活を決めていないのは」


 つまり部活動を決めないと、俺たちは帰れないのか。ほぼ確実に幽霊部員になる自信しかないが……。


「阿形、中村。なにか入りたい部活はないのか?」


「「ない」」


 見事に阿形さんと声が被る。


「はぁ……。世話の焼ける生徒達だ。仕方ない、俺がお前らに適任な部活を紹介してやろう」



……とまぁ、こういう感じで俺たちは第2手芸部へと席を置くこととなった。

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玲奈さんの暇つぶし。 河野 初雪 @Hatuyuki10

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