ウロボロスの回廊
NIGHT RAIN
第1話
その日、私は公園に出かけた。外は思わず笑顔になるほどのいいお天気だった。こういう日は、プラタナス並木のベンチに座って、ただ目を閉じて日差しや風を感じるのが気持ちいい。
それは時が止まったような至福の時間。今時分はプラタナスが葉を芽吹き始めて、公園には新緑の香りが風に舞っているはずだ。
公園に着くと、私は早速ベンチに座った。ベンチは柔らかな日差しで丁度良く暖められている。そして、いつものようにそこで目を閉じた。私は暖かい太陽の光を受けて至福の時間の中へと入っていく。今日は最高の日向ぼっこ日和だ。
そのとき、「何をしているんですか」と声がした。私に声をかけているのだろうか。そう思いながら目を開けると、見知らぬ女性が立っていた。
「何をしているのですか」
もう一度、女性は私に尋ねた。
「いや、何をしているかって、日向ぼっこをしているんですよ」
私はぶっきらぼうに答えた。
「はあぁ」
そう言うと、女性は眉間にしわを寄せて目を細めた。女性は黒いパンツスーツ姿で、求職活動中の学生のような格好をしている。
「影響値レベル30で強制帰還」
女性は横を向いて、そう独り言のように言った。
「ところで、、」
私の方に顔を向けて、女性は話し始めた。
「ところで、ちょっと君と話をしてもいいかな」
そう言いながら、私の横に座った。
なんとなく断れない圧力を感じる。
「まあ、はい、どうぞ」
私はそう言いながら、これはどうしたものか考えた。
「いま、目を閉じていたでしょ。あれは何なの」。
「あれは、ですから日向ぼっこですよ。誰でもよくやるでしょう」
私は若干引き気味で答えた。
「へえ、誰でもよくやるんだ。で、そのとき何を考えているの」
女性は不思議なことを聞いてくる。そんなこと、どうでもいいことじゃないのか。
「いや、何も考えてませんよ。ただ、聞こえる音とか風の動きとか、日差しの暖かさとかを感じているだけです」
「ふーん、そうなんだ。でも、何も考えていないということがよく分からないなあ。そもそも、何のためにそんなことしているの」
女性は不思議そうな顔だ。
そのとき、カチッと乾いたクリック音がした。
「ふむ、もうレベル10か」
女性は独り言を小さく呟いた。
「何のためって、気持ちいいからですよ。リラックスするんです、こうしていると。リラックスするためには、何も考えない方が良いでしょう。考えたらリラックスにならないし」
私はせっかくの楽しみにしていた時間を、この女性に取られた気がしてちょっとイライラした。
公園で過ごす状況はいつも快適というわけではない。寒すぎたり、風があり過ぎてもダメだ。爽やかで気持ちいいと感じる、その微妙な日はめったにない。だが、今日は奇跡的に最高の状況だったのだ。それを楽しみたかったが、突然現れた見知らぬ女性との会話でその時間が潰されている。
カチカチっと、また、あのクリック音がした。今度は2回だ。
「おっと、レベル20か」
女性はそう小さくつぶやいた。
「ふーむ、そんなこともするんだな。あっ、なんか、ごめんな、君の大事な時間だったか」
私の言葉に何かを感じたのか、そう言って、申し訳なさそうに微笑んだ。
「そうだな、確かに何も考えないという時間は大切かも。ちょっと興味がある。私もやってみるとするか」
女性はそう言って、私の隣りで目を閉じた。
「なかなか良いもんですよ」
日向ぼっこに興味を持ってくれたことで、私の女性への好感度が上がった。
「そうして、ただ世界に身を委ねて、聞こえる音とか風の感触とか、肌に染みてくる暖かさとかを感じるんです」。
「君、なかなか詩人だねえ」
女性は目を閉じたまま、そう言って笑った。
「ちゃんと何も考えずに、ですよ」
私は女性にそう言うと、隣りで目を閉じた。静かな時間が流れていく。しばらくすると、私は不思議な浮遊感覚を感じた。こんな感覚は初めてだ。
そして、気がつくと、私は少し離れたところから、二人がベンチに座っている姿をじっと見ていた。ハッとして、自分に戻ろうとする。そうすると、ベンチに座っている自分を感じた。隣りに座っている女性の息遣いも聞こえる。
どうなってるんだ。でもまあ、そういうこともあるだろう。ちょっとした不思議な幻を見たんだ。私はそう軽く考えて、また静かな時間に身を委ねた。
しばらく何事もなくそうしていたが、ふと、隣の女性が気になった。いま、この時間をどんな風に感じているのだろう。
そのとき、あのクリック音が3回鳴った。
えっと思って、目を開けると、隣りに座っていたはずの女性がいなくなっていた。なんだ、夢でも見てたのかな。いや、そんなはずはない。確かに女性と会話していた記憶がある。でも、ベンチには誰もいない。私は辺りをキョロキョロと見回してみた。やはり誰もいない。
私はまた目を閉じた。心の中に静かな時間の余韻がある。あの人がここにいないことは確かなんだし。きっと、気を使って静かに帰ったのかもしれない。私はそう思うことにした。
また、目を閉じて日向ぼっこに戻った。ひとりの公園はこんなにも寂しいもんなんだな。なぜか、そのとき私はそう思った。
ウロボロスの回廊 NIGHT RAIN @soicsa
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