第10話 急転 きゅうてん


「……」

「えっ、一恭かずきよさん」


「……何」

「いや、何……じゃなくてですね」


 俺は、ここら辺の『土地勘』がない。


 それに比べ、一恭かずきよさんは最近とはいえ、ここら辺は多少知っている。しかも、今の追われている状況では、一刻を争う。


「……」

「どうかした? もしかして、怖じ気づいた?」


 そう言っている顔は少し笑っていた。だが、その目は笑っていない。


 だが確かに俺は、一恭かずきよさんの言うとおり、目の前に広がる景色に怖じ気づいたのだ。


 なぜならここは『崖』の上。しかも……。


「……海が近かったんですね」

「こっちの方には来ていなかったからね。知らなくて当然だよ」


 少し進めば一寸先は闇。


 ちょっとでも足を取られれば、そのまま『真っ黒い海』に落ちる……それくらい海は近く、鼻で匂いが分かるほどだ。


 昔、俺が崖に落ちそうになった時は、川が近くにあったけど、今度は海か……なんて今の状況から現実逃避がしてしまいそうになる。


「あの、なんでここに来られたんですか?」

「……ここに来れば、背後から攻撃される事はないかな……って」


「それは、そうでしょうけど……」


 確かに、攻撃される事はないだろう。しかし、それは自分でも返ってくる。なぜなら、この場所は『崖』なのだ。


 しかも、すぐ後ろには『闇』が待っている。


「わざわざこんなところを選ばなくても……」


 俺はそう言ったが、一恭かずきよさんは無言で首を左右に振り、それを否定した。


「ここじゃないと意味がないんだよ。だってさ。相手がどんな動きをするのか予想出来ないからね」

「いや、だってここ。下が分からないほど暗いですよ?」


「だからこそだよ。それにしても、すごく暗いね」

「……だからそう言っているんです」


 一恭かずきよさんが、崖に近づいたので俺もそれにならい近づき、顔を出す。


「……」

「それで、これからどうするん……」


 俺が「ですか?」と言う前に突然、謎の浮遊感に襲われた。


「ごめん」

「……え」


「……を……む」


 驚く俺に一恭かずきよさんは、何か言った……。そして――突然突き落とされた俺は……叫び声も出なかった。


 ただ、突然『一恭かずきよさんに押された』という事だけ分かり、自分が『崖』から落ちている。


 それを理解した時には、俺の意識はそこで途切れていた……。


◆ ◆ ◆


「……亮一りょういちくんは、多分。妹を知っていたんだろうなぁ」


 闇に飲み込まれ、姿が見えなくなるのを確認した後。小さく呟いたが、その声を聞く者はもういない……はずだった。


「……そこにいたんじゃ、吹き矢は届かないよ」

「分かっていたんですね」


「まぁね。日常のあなたの動きや気配の鋭さや消し方を知っていたところを考えると、もしかして……ってね」


 森の中から現れたその人は、突然襲ってきた時とは違う服装をしている。


「でも、鉄砲なら届きそう……って言いたいけど」

「あれは……音が出ますから」


 少し苦笑いが出たのは、お互いに余裕があるからなのか……それとも、久しぶりに会って、ただただ話がしたかったなのか……。正直、よく分からない。


「その格好を見たところ……菊さんは、俺を殺しに来たんですね……。先ほどの人たちは?」

「捕らえました。他の人間に殺されるくらいなら……」


「自分の手で?」

「……」


 無言のまま言葉に詰まっているところを見ると、コレは肯定という事なのだろう……というよりも、勝手にそう解釈する事にした。


「父様に言われましたか? 仕事を続けたければ俺を殺せって」

「……」


 やっぱりか……。


 何となく予想は出来ている。


 家出に荷担かたんした『女中』を……しかも、殺しが出来る人間をそのまま野放しにはしないだろうと。


 そして、今の父様であればそれくらいするだろう……と。


「でも、一つ見落としがありますよ」

「えっ」


「もし、父様にそう言われたのであれば……。俺が亡くなったという証拠が必要なはずです」

「……」


「でも……」


 一恭かずきよは、そのまま海を背に向けた。


「おっ、お待ちください!」

「これなら、今日中に俺を捜すことは出来ないよね」


 ニコリと太陽の様に満面の笑みだった……でも、その言葉は自虐的だ。


「そっ、それは……」

「俺はね。自分の人生、他人に終わらされたくないんだよ」


「……」

「いくらなんでも人生の終わりくらい、自分で決めるよ。いくら家族とはいえ、人生を決められて……終わり方まで他人に決められてたまるか」


「っ!」


 多分、真顔で吐き捨てるように小さく呟いたからだろう。菊さんの顔がこわばったのは……。


 しかし、そんな菊さんの姿を気の毒そうに見ていた一恭かずきよは、そのまま……全身の力を抜き、少し体を傾けた。


「今度は、動物にでもなって亜里亜のそばにいたいなぁ」


 そうしたら亮一りょういちくんとも遊べるし、なにより、何もしがらみのない状態で遊べるだろう。


 空には、母様が亡くなった時の様なキレイな『夜空』が広がり、一恭かずきよは、そのまま空を見上げる様な形で……二度と戻る事が出来ない深い、深い『闇』に飲み込まれて行った――――。

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