14.家帖譜血

第1話 虚無 きょむ


 何でだ……。


 途切れた意識が回復した時、俺は真っ暗い視界の中にいた。


 普通。こういった状況になってしまった上に、ああいった崖から落ちた時「ああ……俺。死んじまったんだな」くらい思うはずだ。


 だが、今の俺は自分の事は二の次だった。


 なぜなら、俺を突き飛ばした時の一恭かずきよさんの表情や、言った言葉を思い返すと……あの後に一恭かずきよさんがしようとしている事は、おのずと分かってしまったからだ。


 俺は「生きろ」と言った……。


「なんで……」


 そう呟いた瞬間……。


「……っ」


 すぐに目の前が明るくなり、俺はそのあまりの光の強さに思わず目を背けてしまう程のまばゆい光が差し込んだ。


◆ ◆ ◆


「……今のは……」


 果たして『夢』だったのだろうか……それにしては、やけにリアルな夢だ。


 目に飛び込んできた景色は平たい木と太い木が規則的に並んだ……碁盤の目のような天井だった。


「……あら、やっと起きたのね」


 ムクッとゆっくりと体を起き上げた俺に向かって、隣でテレビを見ていた少女は何気ない様子で尋ねている。


「……」


 俺としては色々言いたい気分だった。


 なぜなら、そもそもこの人があの『夢上見花むじょうけんはな』を俺に嗅がせた事が、俺をあの時代に行ってしまったキッカケになったのだから。


 もちろん、そのおかげで『一恭かずきよさん』に出会うことが出来た。


 そんな一恭かずきよさんも……。


 あの後どうなったのかは、分からない。しかし、あの状況から察すると……一恭かずきよさんがどうしたのか……なんとなく分かってしまう。


 いや、あれは『夢』だったはず……とそんな疑問が、寝起きの頭を行ったり来たりとしていて混乱している。


「……どうかした? もしかして、お腹でも空いたのかしら? それとも飲み物をご所望しょもう?」

「一つ聞いてもいいか」


「……何かしら?」

「なんであんたは……俺に『何』を嗅がせたんだ?」


 俺は、あの時代に行った当初からずっと疑問に思っていた事をその人にぶつけた。


「……。ちょっと言いにくいのだけど……」

「……なんだ? そんなに言いにくい事か?」


 なぜか、少女は苦笑いをしながらも、自分の頬かき、少し申し訳なさそうな顔をしていた。


「実はね……。あの時『夢上見花むじょうけんはな』の近くをいつも遊びに来てくれる黒猫がいて……」


 そして少女が言うには、近くを歩いていた黒猫の目の前に『夢上見花むじょうけんはな』が置いてある花瓶があったにも関わらず、黒猫がそのまま直進しようとしていたらしい。


 少女はとりあえずその花瓶をどかした時、ちょうど花粉が飛ぶ位置に俺がいた……という事だったらしい。


 そっ、そういえばあの時……。


 言われてみればあの時の俺は、考え事をしていたため、少女が何をしようとしていたのか、知らなかったし、少女の目線に『何が』いた……なんて事は一切考えていなかった。


「あの時、咄嗟とっさつかんんだから気が付かなくて……。あなたが倒れて、ようやく自分が何を手に持っていたのか……気が付いたのよ」

「……そうだったのか」


 咄嗟とっさの判断とは言え、そんな『催眠さいみん作用さよう』のあるモノを人がいるのに振り回すのは危ない。


 しかし、考え事をしていたとはいえ、ボーッとしていた俺にも非はある。


 ただ……少女の話を聞いて分かったのは、やはり俺が嗅いだのは『夢上見花むじょうけんはな』だったという事だ。


「……怒ったかしら?」

「いや、怒ってはいねぇよ。ところで……」


「?」

「俺が倒れた後咲いた『夢上見花むじょうけんはな』は……何色をしていた?」


 そう、『夢上見花むじょうけんはな』と言えば、催眠作用の花粉を飛ばし、その花粉を嗅ぎ、寝た人間の感情を『花の色』で、目に見えて表現する……という変わった花である。


 つまり、その寝てしまった相手の寝ている『夢』の内容……とまではいかないが、その時の『感情』を見る事が出来るのだ。


「あれは……赤紫あかむらさき……だった……かしら?」

曖昧あいまいかよ」


「そんな曖昧な色になってしまうくらい、色々な感情が混ざっていた……という事でしょう」

「……そうか」


 それくらい、さっきまで見ていた『夢』は色々な出来事や感情が俺の中で巻き起こっていた……という事になるのだろう。


 それが『夢』だった……と思うと、なぜか寂しく……。そして、『夢』の中ですら、人の一人すら救えない……。そんなちっぽけな自分が……悲しく、虚しい……。


 ――しかし、そんな感情を抱いても、ただの『夢』だった……。と知った時、それらの感情が全て、虚無感きょむかんに変わっていくのを……俺はただただ受け入れていた。

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