第7話 両親 りょうしん


「ちょっと!」


 今度は、玄関先から『女性』の高く大きな声が響いた。


「……ん?」


 俺は、先ほどと同じように裏口から家に戻り、また戸の隙間すきまからチラッとその『大声の主』の姿を確認した。


 すると、そこには恰幅かっぷくの良い男性と高飛車たかびしゃそうな女性が、玄関先に立っている。


「あれは……」


 俺はその二人に見覚えがあった。


 その二人は、ここら辺で一番の『お金持ち』だ。俺もよくは知らないが、お金持ちと同時にお偉いさんらしい。


 確かに、この二人はここら辺のことを調べている姿を俺もたまに見ている。


 ただ、この二人は今でいう『モンスターペアレンツ』と呼ばれる存在らしく、直接的な理由にはならないが、まぁ、近所の人たちは、この人たちにあまり良い印象は持たれていない。


 もちろん『人間嫌い』で、そんな話に興味のない俺ですらこの人たちの事を噂ではあったが、知っているほどなのだからよっぽのなのだろう。


 この時、俺が見ていたときにはすでに女性の方が怒っている。


 もちろん。俺はなぜ女性が怒っているのかは知らないが、それは俺の見ていた視線の先に女性が見えていただけの様で……。


「…………」


 実は恰幅かっぷくの良い……いや、あれは『恰幅の良い』なんて聞こえのいい言葉じゃなく……小太こぶとりで低身長ていしんちょうの……下手をすれば隣にいた女性よりも小さい男性が言った次の言葉ですぐになぜ怒っているのか分かった。


「全く! 親が親なら子供も子供だな! 殴り合いをして怪我をさせるなんて前代未聞ぜんだいみもんだぞ!」

「そうよ! おかげで、うちのみのるちゃんが怪我をしたのよ! 普通、何かびを入れるのが筋ってものなんじゃないの!?」


「…………」


 ――なるほど、兄さんが怪我をした原因はどうやら、女性が言った『みのる』という人が……というよりこの女性の言葉を聞いた限り、この人たちの子供が関係している様だ。


 しかし、問題は兄さんが喧嘩けんかをした相手が、よりにもよってこの二人の子供というところだろう。


 でもそうだとしたら、怪我をさせたあんたらの子供も連れて来るのが……と言いたいところだが、この人たちの姿を見る限りそんな事は一切考えていない。


「……」


 俺はコソコソと物音を立てない様に、細心さいしんの注意を払いながら、その二人の様子を観察をすると……女性が自分の髪を耳にかき上げる仕草で、ピンときた。


 そう、この二人の子供である『みのる』は、学校帰りにいつもここら辺を寄り道して帰る集団のリーダー的存在だったのだ。


「大体、下の子供は、あんたたちの自分の子供じゃないらしいじゃない」

「ふん! そんなどこの馬の骨かも分からない子供を育てる親の気が知れんな!」


 男性は「フンッ!」と鼻を豚の様に鳴らし、女性の言葉にまるで合いの手を入れるかの様に大声で話し始めた……だけだったらよかった。


 だが、そのまま二人は、母さんの前で罵声ばせいとも怒声どせいともとれる声で辛辣しんらつな言葉を並べ立て、仕舞しまいには笑い始めた。


「……………」


  最初は、ただ「うるせぇ人間が来たな」と思っていたが、どんどん声が聞こえてくるたびに、拳を握りしめ、自分が次第に怒りを覚え始めていたことに気付いた。


 でも、俺にそんなこと言える資格なんてない。


 そう思うと握りしめていた拳を……そのまま力なく解き、小さく「だから、人間は嫌いなんだ」と力なく……呟いた。


 現にこの二人の言っていることはかなり過大表現をしているが、内容的には間違っていない。


 俺は……今、罵声ばせいを言う『お金持ち』の言葉に耐えているあの人に拾われ、そして育てられた。


 言ってしまえば確かに、俺は『どこの馬の骨かも分からない奴』だ。何も間違ってはいない。


 間違っては……いない。


 いつもの俺であれば、さっきまでの様に「また言っている」程度にサラッと流して気にも止めていなかっただろう。


 しかし、身寄みよりも何もない赤ん坊だった俺を今まで育てくれた親代わりの人が笑われている――。


 そんな状況に、どうしても黙っていられなかった。


 今すぐ出て行って一発殴って、今まで我慢に我慢を重ねた口から「帰れ!」と大声で言ってやろうふすまに手をかけたが―――。


「……お言葉ですが」


 だが俺は、出て行く事なくふすまに手をかけたままその場で固まった。


「はっ?」


「彼は、私たちの大事な息子です。彼の生みの両親が来られて、彼が望むのであれば、ここを出て行っても引き止めはしません。ですが……部外者ぶがいしゃであるあなたたちにとやかく言われる筋合すじあいはありません。いますぐお帰りください」


「あっ、あなたねぇ!」

「お帰りください……。今すぐに」


 何か言いかけた女性だったが、突然母さんの隣に現れた大柄おおがらの父さんの存在感そんざいかん威圧感いあつかんに圧倒され、そのまま黙りこんだ。


 しかし、俺はそんな女性との態度以上に、父さんの言った言葉に驚いた。


  確かに父さんは、家の玄関にすら頭がつきそうなくらい大柄おおがらな人で、『職人しょくにん』だ。


 仕事に対しても「何も言わず、何も聞かず、とにかく仕事は背中を見て覚えろ」という昔ながらの職人で寡黙かもくなタイプである。


 だからなのか、いつもこの様な人が来た場合、特に自分の意見も言わず、じっと耐えて、ずっと黙って話が終わり、その人が帰るまで何もせずにその場にいるだけ……。


 しかし、どうやら今回は違ったらしく、父さんは罵声ばせいを浴びせ続け二人に言い返した事に母さんも最初は驚いていたが、すぐに「お帰りください」と二人を玄関から追い出した。


「…………」


 俺は、何も言わず黙ったまま両親に気づかれないようにそっ……と倉庫へと戻ったが、俺は視線しせんらしても、いつもとは違う両親の姿を誇らしく思った。


「まさか……」


 ただ、あんな風に俺の事を思っていたなんて、正直知らなかったし、思ってもいない。


 確かに、今までそういった話をしたことは無かった。でも、あの人たちの前でそう言ってくれたことが……本当に嬉しかった――。

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