第6話 怪我 けが


「…………」


 ある日。兄さんは顔に何かで殴られたような傷を作って帰って来た。


「どっ、どうしたの! その顔の傷!」


 しかし、兄さんは心配する母さんの言葉に煩わしい……という様子でムスッとした表情で視線を合わせない。


「……何でもない」

「何でもないって……あなた」


 俺の耳には、そんな二人のやりとりが聞こえていた……。


 いや、聞くつもりはなかったが、母の大袈裟おおげさな声が俺のいた倉庫にまで聞こえるほどだったのだから、気にもなる。


「とっ、とりあえず薬を塗るから」


 ただまぁ大方おおかた、学校帰りの人たちと喧嘩けんかでもしたのだろう……という事は容易に想像出来た。


「…………」


 気付かれない様にチラッと見た兄の顔には、殴られたようなあとと、何で切ったのかいや、どこで切ったのか……腕には切り傷もある。


 しかし、珍しく兄さんは、母さんの問いかけに全て「何でもない」の一点いってんりだ。


 それこそ「よっぽど言いにくいことなのかな?」と俺が不思議に思う程である。それほど兄さんは母さんに今日あった事をペラペラと喋っていたのだ。


 そんな兄さんの話を母さんは、いつもにこやかな笑顔で聞いていた。


 しかし、今回に限ってはなぜか兄さんはかたくなに口を開こうとしない。


 ただ、母さんとしても何があったのかは知らないが、息子が突然大きな怪我をしたとなれば理由を聞きたくのも当然だ。


 でも、兄さんも父さんと同じ様に頑固がんこなところがあるから多分……言わないだろう。


「…………」


 俺としては兄さんが怪我を作ろうが関係のない話だ……。


 そう思いながら俺は少し開けたふすまを閉め、空いていた片手に持っていた古い本を持ち直し、未だに口を閉ざしている兄さんをもう一度見た後、倉庫へと戻っていった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「…………」


 一瞬扉が小さく開き、その際入った少し風で「扉の向こうに人がいる」ことが分かった。


 しかし俺は、『誰が』倉庫の前に立っているのか……実は分かっている。


「入ってきたければ入れば?」


 そう声をかけながらゆっくりと扉を開け、外にいる人物に声をかけた。


「……」

「……やっぱりな」


 兄さんは俺が扉を開けたことにより、行き場の失った自分の手をすぐに引っ込めていた。


「…………」

「黙っていないで、とりあえずどこか座って」


 しかし、この倉庫に『椅子』と呼べるモノはない。だから、兄は、黙って何が入っているか分からない箱をジーッと見ている。


 ただ、元々『倉庫』という場所は、基本的に普段は使わないモノを置いてある場所だ。


 だからなのか、ここはいつもほこりっぽい。


 そこで兄さんは、たまったほこりを見て、一瞬戸惑っている様に見えたが、少し考えた後……結局その『箱』に座った。


「……ずいぶん、派手にやられたね。それ」


 俺は兄さんが座ったことを確認し、本を閉じながら、チラッと見て呟いた。


 着物の袖から見えた兄さんの腕には、母さん手によって多少大袈裟おおげさに包帯がグルグルに巻かれており、兄さんの貧相ひんそう細腕ほそうでの太さがさらに強調されている。


「……別に、母さんが大袈裟おおげさなだけで、見た目ほど大きい怪我じゃないから……大丈夫だ」


 しかし今の兄さんに、俺の言葉に反撃をする元気はなく、小さい……まるで蚊の音ぐらいの声だ。


「なぁ」

「……なに?」


「なんで、お前は……」

「……??」


 兄さんは、少し口ごもりながら俺を見ている。いや、見ていたのは俺自身の姿……というより、なぜか俺の『顔』を見ていた。


 ただ、俺からしてみれば「いや、そんなに見ても俺と兄さんじゃ、親が違うんだから顔は「全く」と言っていいほど似てないけど?」と言いたい気分だ。


「……いや。何でもない」

「えっ」


 しかし、兄さんは俺の予想にはんして「邪魔したな」と言った後、すぐに立ち上がり、そのまま倉庫から出て行ってしまった。


「なっ……何だったんだ?」


 突然現れ、これまた突然去って行ってしまった兄さんに、俺はただ呆然ぼうぜんとしていることしか出来なかった……。


 でも、俺は兄さんを追いかける……なんてことはしない。


 なぜなら、兄さんは「何でもない」と言ったからだ。そう言われた事に対して、下手に探りを入れるのは、例え、家族といえども気持ちの良いものではないだろう。


 だから、俺は気を取り直して読みかけていた本を開き、そのまま読み始めた……のだが、問題だったのは、兄さんが去った後の話だった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る