第6話 事故 じこ


「うそ……だろ」


 俺は病院のベッドで寝ているさくらの姿を見て、小さく呟いた。もし、ただ眠っているだけならこんな言い方をしない。


「……嘘じゃないわ」

「だって、あいつは! さっきまで俺と……!」


 そんな大声を出してしまう程、俺は取り乱していた。しかも、こいつがいる場所は病院の『集中治療室』だった。そんな事実がさらに俺を責めた。


「…………」


 あの後、一体……何があったのか……。俺は何も知らない。


 確かに昨日、俺たちは喧嘩した。でもいつもそんな時はお互い、別々に帰った。そして、大体次の日。もしくはその日の内に仲直りをする……今回もそれと同じ。何の変哲へんてつもない日だと……心の中で思っていた。


 いや、そう『勝手に』思い込んでいた。


 だってそうだ。喧嘩をしたのは、これが初めてじゃない。いつもの様に……って、誰だって普通思うはずだ。


 それが……「なぜ? どうして?」そんな、誰も分かりはしない疑問ばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。


「……とりあえず、今日は帰りましょ? 」


 俺には母のそんな優しい言葉が……とても遠く聞こえた。


 それくらい俺は、目の前に広がる……その光景を受けられる様な状態ではなかった。いや、もっと言うなら……周りの人たちがなんとかフォローをしたくなるくらい。その時の俺の落ち込み具合は半端じゃなかった様だ――。


「…………」


 ここまで後悔するくらいなら「せめて、何か行動すれば、よかった……」なんて今更ながら俺は、あの喧嘩の後の自分の行動を責めた。


 だから、何も知らない俺は喧嘩の後、自分の部屋で爆睡していたのだ。


 いや、そもそも最初は寝ていなかったはずだ。ただベッドでゴロゴロしていただけだったのだが……、いつの間にか寝てしまっていたらしい。


広幸ひろゆきっ! ちょっと! いるんでしょ!?」


 そんな、急いで帰って来た母の大声に起こされた。


「んー? なんだ?」


 いつもはこんな『夕方』と呼ばれる様な早い時間には帰って来ないのだが、今日は帰って来るのがやたら早かった様に感じた。


 そもそも、母はノックなんてものはしない。


 俺は、それに対して文句はない。と言うより「家族の間にプライバシーなんてないのよ!」と口癖だから、この事はもはや諦めている。


 でも、大抵大声で呼ぶ時は、「洗濯物でも取り込め」とかそういう要求でも言われると思っていた。


「あー、おかえり」

「おかえり。じゃないわよ!」


 ただ、この時の母の反応がおかしい……。


 それくらいは慌てている姿で、寝ぼけている俺の頭でもすぐに分かった。しかし、その理由が分からない。


「どうしたんだ? そんなに慌てて」

「お隣のさくらちゃんが、事故にったのよ!」


 その一言が俺の寝ぼけた頭を起こさせた。しかし、イマイチ状況が理解できず、俺は間抜けに「えっ?」というのが、その時は精いっぱいだった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「…………」


 俺はとりあえず母の運転する車に乗り込だ。だが、真っ先に思い出してしまうのは『集中治療室』の光景だった。


 聞いた話によると、さくらは俺と別れた後、いつもとは違う道を歩いていたらしい。それは多分、俺と鉢合わせを避けたからだという事は容易に想像出来る。


 ただ、問題はここからだった。


 俺たちがいつも使っている帰り道は、基本大通りで近所の人もよく通る。だが、今回さくらが通った道は住宅が密集しており、道幅も細い通りだった。


 その上、昨日降った雨のせいでもやがかかっており、かなり視界が悪いという最悪の状態だった。


 しかし、さくらは何事もなくその細い道を通り過ぎ、大通りに合流する道の横断歩道を渡っているところで事故にあったらしい。


「元々あの道は、大通りの合流地点だっていうのに横断歩道しかない。信号がない……って言うのがそもそもおかしいのよ」


 ブツブツと言う母の言葉に、俺も心当たりがあった。


 確かにあの道は危ない。何度か通った事はあったが、俺も事故に遭いかけたことがあり、そこら辺に住んでいる人であれば出来れば使うのを避ける。


 しかも、実は何度か事故も起きていた。


 ただ、さくらもそれは知っていたはずだ……。


 つまりさくらはその道を使ってでも、俺と会うのは避けたかった……という事なのだろう。でもやはり、あいつのあんな姿を見るのは……正直、かなりこたえる。


 そして、こんな状況になってようやく反省している自分を恥じた。


「マドンナは……」

「えっ? ごめん。何か言った?」


 ポロッと思わず出た俺の言葉に、母はシートベルトを付けると聞き返してきた。


「いや、なんでもない」


 すぐにそう言うと「あらそう?」と心配そうな表情だったが「それならいいけど」と気を取り直して車のエンジンをかけた。


『あなたは、もう少し自分の気持ちに素直になってもよろしいと思います』


 あの時は、その言葉の意味が分からなかった。いや、今も分かっていない……。


 現に俺は、こんな状況になっても、ちっともマドンナの言葉が分かっていない。しかし、1つだけハッキリしたのは……


『あまり気づくのが遅いと取り返しの付かない事になりますよ』


 マドンナの言っていた『取り返しの付かない事』は……


「今、この状況のことだったのか」


 後部座席で俺は母にも聞こえない小さい声で呟きながら、窓に映る景色を見ていた。この窓に映る大きな世界は何も変わらない――。そう、変わったのは……


 俺が過ごしている日……いや、『さくらがいる』俺の日常……だったのだと察した。


 しかし、そんなことが今更分かっても「取り返しのつかない」この状況は、どうしようもなかった――――。

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