第9話 貧血 ひんけつ


「……だって、先輩言ってくれないじゃないですか」

「えっ」


「私たちも、ただミスしただけなら文句を言うつもり、なかったんです。自業自得だって。でも、今回はちゃんと確認した。っていう事実があったじゃないですか」

「事実? あっ、あなたもしかして……」


 そう、会話だけであればそこまではっきりと「事実」とは言えないはずだ。しかし、そこにははっきりとした『証拠』があるという事になる。


 つまり、後輩は私が『確実に』確認したっていう証拠を見つけたという事になる。しかし、そうなると『ある事』が決定づけられる。


「すみません。先輩の机の中、見ちゃいました」

「やっぱり」


「だって先輩、基本的にメモを取ったらその紙、捨てないじゃないですか」

「まぁ、そうね」


 否定はしないし、出来もしない。


 それに私は基本的にメモを捨てない。仮に捨てたとしても、その用件が確実に終わったと分かった時にしか捨てない。おかげさまで、私の机の中はメモだらけだ。


「だから、もしかしたらそのメモ、残っているんじゃないかって探したら」

「出てきた……って訳ね」


「はい」


 そして、そこには「いつもと発注数が違う(要確認)」という走り書きと、その走り書きとは違うペンで矢印が引いてあり、「確認済」と書かれてあったらしい。


「それに、先輩が確認しに行っている姿を私たちも見ていたので、これはもう、決まりかな。ってそれで言いに行ったんです」

「なんて無茶な事を……」


 一歩間違えれば辞めさせられる可能性もある行動だ。しかも、後輩曰く言いに行ったのは一人ではなく、いつも私がフォローしていた人たち全員で言いに行ってくれたらしい。


「おかげさまで、先輩のメモが決め手になって、係長が間違えたって認めて、部長のお説教を食らった……って訳です」

「…………」


 とりあえず、間違いに気づいたのが早かったのが幸いしたのか、発注の訂正は出来たらしく、『なんとか』はなったらしい。


「でも、なんであなたたちがそこまで……」

「……たまには、フォローさせて下さいよ」


「いやだって、私のミスなのに」

「先輩はいつも私たちがミスした時は、フォローしてくれるじゃないですか」


「そう……だけど」


「困ったときはお互い様です。だから、あまり……背負い過ぎないで下さい。だから、『貧血』になっちゃうんですよ」


「うん……ん?」


 後輩の何気ない言葉に私は引っ掛かりを覚えた。


「えっ、『貧血』?」


「はい。先輩が倒れた原因は『貧血』です」

「そう……なの?」


 あまりにもはっきりと断言した美紀ちゃんに、私は思わず聞き返した。


「さっき、医者からそう言われたので間違いないと思います。ただ、あまりにも目を覚まさないからって、ここに連れて来てもらったんですけど……」

「えっ、あっそうなんだ」


 ただ、『水玉みずたま』の水が増える条件は、『ストレス』とは限らないかも知れない……という疑問が出てきた。


 もちろん確証はない。しかし、少なくとも今は『貧血』というちゃんとした理由がある。


 しかし、購入した当時この水玉は、『耐えられるストレスの限界を示している』ということではない。ましてや死ぬなんてことはないと思った。


「……」


 私はそのまま自分の世界に入り込み、口に手を当てながら考え込んだ。すると、後輩は腕を組んだまま私に問いかけた。


「ところで先輩、ここ最近ちゃんとご飯食べていますか?」

「あっ、えっと……」


 後輩にそう言われ、私は言葉に詰まった。実はここ最近、仕事に追われ、ほとんど『食事』と言えるほど食べ物を食べていなかったのだ。


「あまり……、食べてないかも」

「ダメですよ。ちゃんと食べないと! しかも、睡眠不足もひどいって言われましたよ!!」


 あまりの不健康さに怒っているのか後輩は、腕組みをしたままジッと私の顔を見た。


「うっ、ごめんなさい」


「全く。さっきの彼氏さんじゃないですけど、先輩は何でも一人で背負い過ぎなんです。たまには、私たちも頼って下さい」

「…………」


「そりゃあ、先輩ほど頼りにはなりませんけど……」


 後輩は、私が黙っているのを見ると少し寂しそうに顔をうつむかせた。


 もちろん、今でも仕事でもミスをすることは多い。しかし、そんな彼女たちも入社直後に比べれば、目に見えて成長している。


「いっ、いやそんなことは……」


 ――ない。と言う前に後輩は少しニヤッと笑った。それは、何かイタズラを考えている様な意地の悪い顔だ。


「なーんて」

「えっ」


「ちょっと辛気臭く言ってみたかっただけです。でも、早く治して欲しいっていうのは本当です。だって先輩がいないと、仕事の進み……悪いんですから」


 そう言った後輩の顔は、優しい笑顔だった。


「うん……。ありがと……」


 そんな顔を見ると私は、つい涙を流しそうになった。しかし、年齢を重ねるごとに涙腺が緩くなるのか、こらえきれずに涙を流しながら頷いた。


「えっ! ちょっ、先輩、泣かないでください」

「うっ、分かっているけど……! 」


 私のことを必要としてくれている人がいる。それが……その事実だけで、こんなに嬉しいなんて……。


 そう思うと、なぜか無性に泣けた。そして後輩は、そんな私をどうしようとオロオロしていた。


 後輩のそんな姿に私は、少し笑いそうになったのをよく覚えている――。


 しかし、それからというもの。死を覚悟したあの時以上に、あの『水玉みずたま』の水が増えたのを私は、今まで見たことはない……。

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