第6話 眠らない街、眠れない夜

スーパーで買い物を済ませ、外へ出た時、まだ昼間だというのに曇天が広がり街には影が掛かっていた。


もうすぐ雨が降るのか。今日の雨で、桜は完全に散ってしまうだろう。

スーパーの駐車場の桜は既に葉桜と化していて、アスファルトには幾つもの花の化石が散らばっていた。


街が光を失う時は二つある。

一つは夜。

小さい頃は、何で夜になると空が暗くなるのかよく分からなかった。

不思議な力でもあるんじゃないか、本気でそう信じていた。

"夜"が"現象"である事に気付いた時は、なんだそんなものか、と減滅したものだ。

二つ目は今のような、曇天。

特に、ネズミ色よりも更に深い色、最早黒とも言える厚い雲が空を覆う、曇天がいい。時間を問わず、曇天は街を飲み込んでしまう。暗くて太陽が見えない。"夜"が作られるのだ。



--だとするなら?

俺は途端に、気味の悪い違和感に襲われて立ち止まった。

「今は"夜"か?」

腕時計の針は2時を指している。

今の今までごく普通に買い物をして、帰ったら昼寝をしようと思っていたのに、感覚が迷子になった。

もしかしたら俺は夜中に買い物をして、帰ったら本格的な睡眠を取ろうとしていたのではないか?

辺りの街灯が光を灯し始めて、スーパーの電光掲示板も光を放つ。

雨の匂いが漂ってくる。だが、街ゆく人々は雨を心配する気配を見せない。

俺も傘を持って来ていなかった。天気予報は昼まで寝ていたから見逃したし、見逃していたとしてもスーパーに行く途中までは降っていなかった。

「すいません」

堪らず俺は駐車場に居た女性に声を掛ける。

「はい、何ですか?」

女性は見た目の想像よりもやや低い声をしていた。

好みの声かも知れない。

「今は昼ですか、夜ですか?」

女性はしばらく俺を不思議そうに見つめて黙る。

天候がすこぶる悪くなったとはいえ、昼夜の区別が付かなくなってしまった人間を訝しがるのは、当たり前か。

「たぶん」

女性が言い掛けたが、遠くの空で鳴った雷鳴に阻まれて上手く聞こえなかった。

「だと思います」

「……そうですか。可笑しな事を訊いてすいませんでした」

女性は不思議そうな顔を和らげ、微笑んでくれた。俺はお礼に今しがた買ったばかりのほうれん草を渡した。

「セール品ですが」

「いえいえ、ありがたいです。今日はおひたしでも作ろうと思っていたので」

安堵した心で、大きく腕を振ってスーパーから去っていった。女性はほうれん草を振ってスーパーに向かっていった。

俺は慣れない新生活で疲れてたんだろう。

昼と夜の区別も付かないで、買い物に行くなんて。


翌朝、目を冷ますとまだ空は曇天に包まれていた。

夜と見間違う程の天気の悪さだと言うのに、雨が降らないのが不思議だ。

ここまで天気が悪いと大学に行くかどうか迷う。どうしようかとベットの上で考え込んでいると、不意にインターホンが鳴った。


「やあ」

宅配便ですと言われたのでドアを開けると、何故か馬鹿が片足立ちで立っていた。

「何しに来た」

「寝込みを襲いに来た」

身も蓋もない答えに、俺はしばらく思考を投げ出していた。

「まあまあ、冗談はさておき。夜半のデートにでも誘おうかと思ってさ」

馬鹿の一言で、投げ出した思考が急に戻ってきた。

「今、何て」

「え?夜のデートに誘いに来たのって」

青天の霹靂という言葉があるのならば、俺はまさに今青いイナズマに打たれた気分だった。

「もしかして」

何か勘付いた馬鹿が俺の顔を覗き込んでくる。その拍子に玄関に上がられたが、今は気に留められなかった。

「間違えたんだ」

言葉が自然と口から漏れ出す。

「昼と夜を間違えたんだ」

その時、馬鹿が不敵に笑った。

俺が言う言葉を分かっていたかのように。




「眠れない夜の始まりだ」




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