第5話 和製英語

全国の中高生諸君らに告ぐ。


大学は授業が五限までしかない。

これだけ聞けば有益な情報を聞いたと大喜びするかも知れないが、残念ながら私がこの話題を切り出したのは諸君らを甘えさせる為ではないぞ。

いいかよく聞け。大学の五限は午後6時前に終わるのだ。

つまり、五限が終わる頃には身も心もヘトヘトになってしまう。一人暮らしをしていれば尚更。

"大学は人生の夏休み"と、軽い事を考えられるのは今のうちだ。

何故に断言出来るのか。

私が今、身をもって体験しているから言える事だ……。


ようやく五限が終わった。

冬が終わり、春が日に日に過ぎていく午後6時の空は影が濃い雲と夕陽の残照が広がっている。

美しいが、飛び出してみようとは思わない。


燃えるような空を眺めていると、昔見た宝石を思い出す。

確か、都内にある博物館で見た。二回も。

一回目は言葉を完璧に覚えていない頃だった。

「よく見て御覧」

初めて義母と出掛けた時だ。

「綺麗だろう」

言われるままに私は頷く。

手のひら大の三角形が硝子のショーケースに入れられて、静かに輝きを放っていた。

「この宝石の色は大切な色。よく覚えておきなさい」

二回目に見た時は言葉の意味が理解出来たというよりも、言葉の重みがのしかかってきた。私は思春期だった。

ああ、成る程。義母の言いたい事はつまり。


「あの宝石の色の液体が、私の全身を巡っている。」


三角形の宝石は、私の言葉を待っていたかのように溶け出して、躰に染み込んでいった。

以来、私はあの博物館に足を運んでいない。


「何をボソボソ言っていたんだ」

つれない友人の声で、意識が過去から現在に戻ってきた。私は窓の方を向いて、廊下の真ん中にぽつんと立っている。

隣にはつれない友人が気怠そうに待っていた。

「私、何か言ってた?」

苦し紛れに訊くと、友人はスマホを仕舞って言う。

「宝石とか液体とかどうのこうの」

別段、興味深く言ってこなかったが、なかなかに恥ずかしい事を聞かれてしまった。

「そうかあ。記憶にないなあ」

熱くなった顔を押さえながら、誤魔化すように歩き出した。

「ご飯食べに行こうよ」

「どこ行くんだ」

「ナポリタン。美味しいイタリアンのお店知ってるんだ」

「ナポリタンはイタリア料理じゃないぞ」

「え、そうなの」

「和製英語だよ。日本生まれのジャパニーズ・フードだ」

再び友人はスマホを取り出して、検索エンジンを開く。

「美味い洋食屋なら近くにあると思う」

「よし、じゃあ少し探検してみようよ」


十五分程歩き回って見付けた洋食屋でナポリタンを食べ始める頃には、燃えるような夕陽の残照は跡形もなく夜の闇に消し去られていた。

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