第19話 さすらい
フランツ・シューベルト作曲
「さすらい人が月に寄せて D.870」さんからのお手紙
『さすらいは 水車屋の 喜びさ、
さすらい!』
歌曲集「美しき水車屋の乙女」の冒頭で、旅に出る若者はそう宣言します。
むかし、若者はやがてマイスターになれる日まで、こうした徒弟修業をしていたとか。
でも、やがてこの若者は、新しい仕事場で、恋に落ち、フラれ、落ち込み、川に身を投げます。(そうじゃなくて、暗く冷たい、次の「冬の旅」に出かけたんだという解釈もあります。)
こうした、「さすらい」ものを書かせたら、シューベルトさんは超一級だったのです。
ぼくも、その一人です。
でも、この「水車屋・・」さんとか、「冬の旅」くんだとか、歌曲の「さすらいびと」さんとか、そういう有名歌曲さんに比べると、ぼくはちょっとマイナーで、あまり世の中に登場しません。
でも、ぼくをぜひ聞いてみてください。
ぼくは、短い歌曲です。あなたが、ちょっと他の事に気を取られてしまうと、その間に、すぐ終わってしまいます。演奏時間、三分にも満たないのです。普通の歌謡曲より、ずっと短いのです。
『ぼくは、地上の上、君はお空の上、
ぼくたちは、両方とも憩い無くさすらう・・・』
短調の重く苦しい歌が始まります。
『ぼくは、国から国をさすらう、よそ者。
故郷はなく、知ってる人もない・・・・』
暗い調べを繰り返したあと、ぼくの歌は、ふわっと長調に転じて、日本の童謡唱歌のような、とてもわかり易い、なにか、もうすべてをあきらめきったような調子に変わってゆきます。
日本風に言えば、悟りきった、澄み渡った心の境地です。
このあたりの移り変わりのすばらしさは、さすがシューベルトさんです。
「自分はさすらうだけ、でも君は、自分のいるところのすべてが故郷だ。・・・どこにいても、故郷を離れる事のないものは、幸せさ・・・」
ぼくは、謎のように、お月様に語り掛けます。
そうして、ぼくの永遠の旅は続きます。
そう、今もまだ続いています。
どこまで行っても、けっしてどこにも、ぼくはたどり着かないのです。
それは日本の松本俊介さんが描いた「都会」という絵の中の、一人の歩き続ける女性のように・・・。
ぼくは、ザイドルさんという方がお書きになった詩に付けられた歌ですが、シューベルトさんは、この方の詩で「鳩の便り」という傑作も書いています。たしか、シューベルトさん最後の歌です。(歌曲集「白鳥の歌」に収録)
多分、恋の「あこがれ」を明るく楽しく歌う・・・でもなんだか、少し切ない悲しいものも、どこかに感じる歌です。
そう、お月様と言えば、ドヴォルザーク先生の、歌劇「ルサルカ」の初めの方で歌われる「月に寄する歌」さんという、素晴らしいアリアがあります。
「人魚姫」によく似たお話で、人間の王子様に恋をした「池の精」さんが、お月様に「あの方に、どうか会わせてください。」とお願いする、もう切なくて切なくて、とても涙なしには聞けない素晴らしい歌です。
たぶん、人は、大昔に生まれた時から、集団でさすらい続けてきました。
新しい食べ物を、新しい支配地を、新しい権力を、新しい仕事を、新しい苦しみを、新しい喜びを、そうして新しい知恵を、探し求めて。
その途中で、沢山の犠牲を払い、敵や仲間を殺し、奪い合いました。
でも、ぼくたちのような「さすらい人」は、そうしたしがらみからは離れて、平和に、ただ一人で、さすらうのです。あの「ファウスト」さんのモデルになっただろう人物も、ぼくのような「さすらい人」だったのかもしれません。争いも、戦いも、恋も、出世も、栄光も、もし持っていたら捨て去って、持っていなければ、あきらめて。
しかし、人は必ず、最後には「さすらい」に旅立つのです。
たったひとりで。
だから、人は「さすらい」にあこがれ、また嫌うのでしょう。
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(参考)
シューベルトさんの歌曲の録音は、星の数よりも多いくらいあるでしょう。ここでは、あえて参考に、昔出ていたCDを一つだけ・・・。
フランツ・シューベルト作曲
歌曲集「冬の旅」抜粋
歌曲集「白鳥の歌」抜粋
「夜と夢」「夕映えの中で」「さすらい人」
「さすらい人が月に寄せて」
バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ピアノ :アルフレッド・ブレンデル
フィリップス 国内盤 (432 559-2)
(追加)
女声によるCDを一枚
アンネ・ゾフィー・フォン・オッターさんの様々な録音を集めたCDに
入っています。女声による「さすらい」も、感動的。
DG 独(457 688-2)
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