② あなたたち、楽しそうね
宇宙遺伝子学研究所。
兄が読み上げてくれた表札の和訳を聞いて、
「うちゅういでんし学……けんきゅうじょ? なんだろうねここ。ミコト分かる?」
「いや、聞いたことないな」
宇宙遺伝子学。名前から察すると、宇宙空間が人の遺伝子に与える影響を研究する学問だろうか。
ミコトがそう考えている内に、ヤマトが門の前まで行って、開いているかどうかを確かめ始めた。
「……だめだ、鍵閉まってる」
錆びた鉄格子を握り、引いたり押したりしてみるが、がしゃがしゃ言うだけで一向に開く気配がない。
「よーし、そんじゃあいっちょ飛び越えますか!」
ヤマトはそう言って早々に門を開けることを諦めると、そこから2、3メートルほど歩いて離れ、ジャンプして跳び越えるために勢いよく助走をつけ始めた。
が――。
「やーめーろっ!」
「ぐぇ」
跳躍する寸前、ミコトがヤマトの首根っこを捕まえて、助走を無理やり止めてしまった。自分の走る勢いで首を絞められ、ヤマトは悶絶している。
「何すんだよミコトぉ、ひっぱったら苦しいだろぉ!」
咳き込みながら反論するヤマト。
しかしミコトは聞く耳を持たず、そのままヤマトの顔面を鷲掴みにしてアイアンクローをかけながら、満面の笑顔でこう言った。
「人様の建物に勝手に入ってはいけません」
ミコトの口調は至って冷静だったが、ヤマトはむしろそこに恐怖を感じた。
しかも表情は笑顔なのに、目が笑っていない。怖い、めっちゃ怖い。
その上、ものすごい力でヤマトの顔面を握りつぶそうとするので、ヤマトの顔面が、みしみしみしと音を立てて軋んでいる。痛い、めっちゃ痛い。
「……あい。ごべんなざい、もうじまぜん」
『アカン、これは殺られる』そう思ったヤマトが、滝のような汗を流しながら返事をすると、ミコトはゆっくりとアイアンクローを解除した。
「次はないぞ」
と、兄弟がそんなギャグ漫画みたいなやり取りをしていると、門の向こう側から『くすくすくす』という女性の笑い声が聞こえて来た。
「あれ、あんなところに……女の人」
ヤマトが声のする方を見ると、門の向こう側5メートルくらいのところに、シンプルな白いドレスを着た女の人が立っていた。
年のころは16か、17歳くらいだろうか。
兄弟からすれば大分お姉さんと言う印象だが、とにかく現実離れしているほどに美しい少女だった。
肩口くらいまでの長さに揃えられた白銀の綺麗な髪、白く透き通った美しい肌、その宝石みたいな瞳から向けられる視線は、蠱惑的な魅力すら感じさせていた。
((――まるで、何かの物語に出てくる女神さまみたいだ))
少女に見とれながら、兄弟は同時にそう思った。
そんな兄弟の視線に少女は気づいたのか、少し意外そうな表情をしたあと、ほほえみを浮かべながら口を開いた。
慈愛に満ちた、優しい響きのある声だった。
「あなたたち、楽しそうね」
「あ、すみません。門の前でうるさくして」
少女に話しかけられ我に返ったのか、ミコトは慌てて謝罪をした。
「いいえ、気にしないで。もうこの研究所に、ほとんど人は残っていないから。
……それよりもあなたたち、どうしてこんな場所へ?」
少女に目的を問われ、ヤマトは思い出したように笑顔を浮かべ、元気よく答えた。
「おれたち、バスケがしたいんです! 2人で一緒にバスケが出来る場所を探してて、そしたら塀の向こう側からルナバスケのゴールが見えたから……」
「あの、もし良ければ、そこにあるバスケットゴール、使わせてもらえませんか?」
続けて嘆願したミコトの表情は、真剣そのものだ。
そんな2人の少年の言葉に、少女は人さし指を顎に当ててしばらく考えたあと――。
「そうね、良いと思うわ。きっとあの子も喜ぶ」
と言って快諾してくれた。
『わぁ!』と喜びの表情をあらわにする兄弟。
「少し待っていて。今、門のロックを解除して来るから」
「ありがとうお姉さん!」「ありがとうございます」
ヤマトとミコトが同時に感謝の意を述べてから数十秒後、ぴぴっという電子音と共に、門のロックが解除された。
ヤマトが取っ手を押すと、錆びた鉄の擦れる音と共にゆっくりと門は開いた。
敷地内に入って行く兄弟。少女は2人を笑顔で迎えると――。
「バスケのゴールはあっちにあるわ。怪我をしないように気をつけてね」
と言って、施設の左奥の方を指さしてから去って行った。
その後ろ姿に、再びお礼を言ったヤマトとミコト。
「キレイな人だったね」
「ああ、それにいい人だったな」
そのあと、兄弟はそんな会話をしながらゴールへと向かった。
少女の示した方向にしばらく歩くと、古びた建物の
施設入口方面を向いたそのゴールは、所どころ錆びたり傷ついたり汚れたりしていて、相当に古いようだ。
ゴールの周りはゴム製の床で出来ているみたいだが、そこ以外の地面は土で出来ていて草木が生い茂っていた。
長いこと手入れされていないようにも見えるし、建物内にも人の気配はあまりなく、どことなく寂しい感じのする場所だった。
だがそんな風景とは裏腹に、やっとルナバスケが出来ることの嬉しさからか、兄弟の表情はとても明るかった。
「よーし、じゃあひとまずドリブルとシュートの練習をしてみて、慣れてきたら1on1で勝負するか」
「オッケー。どっちから先にやるかはジャンケンな」
ヤマトの意見が採用され、ジャンケンが行われた。
兄・チョキ。
弟・パー。
「うああああ、負けたぁぁー!!」
一発で勝負が決まってしまい、その場に崩れ込んでヤマトは悔しがった。
ヤマトが初手パーを出す確率が圧倒的に高いことは、ミコトだけの秘密だ。
「大げさなんだよ、こんな順番くらいで」
新品ピカピカのバスケットボールを、右手の上でぽんぽんと投げながら、ミコトは言った。
とは言え、このボールを手に入れられたのは、両親に頼み込んだヤマトの手柄なわけで、最初に使うのは少し忍びなかった。が、勝負は勝負だ。
「じゃ、ひとまずオレからシュートするぞ」
そう言うと、ミコトはゴールから約15メートルほど離れた位置、ゴム製の床の上に立った。
そして、地面に向かってボールをついてドリブルを始める。
ボールは、6分の1のゆっくりとした速度で落下し、跳ね返ってミコトの手に戻ってくる。しかし、戻ってきたボールの感触が何か、違う。
まるで手に吸い付くかのように、上昇する力が無くなるのをなかなか感じないのだ。
(やはり、地球とはドリブルの感覚が全然違うな。でも……無理じゃない、いける!)
心の中で気合を入れたミコトは、ドリブルしながらゴールに向かっていった。
「……くっ」
改めてやってみると、ただドリブルで移動するのも、地球とは全く感覚が違った。
ボールをついてから跳ね上がってくるまでのタイミングの違いもあるが、普通に走ろうとして少し両足が地面から離れただけでも、思った以上の距離を跳んで進んでしまう。
そのやりづらさを何とか制御し、ミコトはゴールへ向かっていく。
そして、ゴールから1メートルほど離れたところで、ボールを左手で持ち上げながら真上へ跳躍。
約3メートル近くは跳んだだろうか。6.1メートルのゴールリングには届かないものの、ミコトの身長プラス腕の長さを足せば、シュートするには十分な高さだ。
そのままミコトは、ジャンプの頂点に達した所で、リングの上にボールを置くようにしてリリースした。
基本に忠実なレイアップシュート。
ふわっと舞い上がったボールは、リングにぶつかって跳ね上がってから、なんとかネットを通過した。
「おおー入った! ミコトやるぅ」
ぱちぱちと拍手しながら称えるヤマト。
しかしミコトは、この結果に納得がいかなかった。
(くそ、きちんとボールの上昇距離を計算してリリースしたつもりだったのに!)
実はミコトは、自分の通う小学校で休み時間に密かにバスケの練習をしていた。
結果、地球のバスケであれば、レイアップシュートくらいなら《リングに触れさせずに》決められる自信があった。
だが、地球と月のバスケの違いである《重力の差》は、ミコトが想像していたよりも大きかったようだ。
ミコトは悔しそうに着地を遂げたあと、6.1メートルも上にあるリングを、たっぷり十数秒かけて見上げたあと、納得いかなそうにヤマトにボールを渡した。
「よーし、今度はおれの番だな、へへーん」
ボールを貰うやいなや、ダン、ダン、ダン! と小気味よいリズムで、心底楽しそうにヤマトはドリブルを始めた。
「うわ、何だこれ。地球でドリブルするのとなんか違う!」
ヤマトも、地球と月の重力の違いに戸惑いを覚えた。
しかし運動神経の良いヤマトは、すぐに半ばコツをつかみ、ゆっくりドリブルをしたまま、先ほどミコトがスタートした位置に立つと、一直線にゴールに向かって走り出した。
低重力の影響から、大股でぴよんぴよん跳ねながらヤマトは進む。
(ミコトにはカッコよくシュート決められちゃったからな。おれはもっとすごいことしてやる!)
そんな風に心中で気合を入れた、負けず嫌いのヤマトは、ゴールの5メートルほど手前で――。
「うおおおおお、だったらおれは……ダンクシュートだぁぁぁぁぁ!」
と言いながら勢いよく跳躍をした。
しかし――。
すかっ。
「あれ? えええええーーーーー!?」
ダンクシュートをしようとしたヤマトだったが、その両手はリングに届くどころか、その遥か下を通過して、そのまま『ずっでーん!』と地面に落下してすっ転げてしまったのだ。
「いてててて」
「大丈夫かヤマトっ」
ミコトは慌てて駆け寄った。
「ああうん、だいじょーぶ、高さの割にはあんまり痛くなかった」
下がゴム製の床だったことに加え、落下速度も6分の1だったため、怪我などはしていなかったようだ。
高さ的には約3メートル以上、ミコトよりは高く跳躍していたヤマトだったが、重力6分の1とは言え、小学生がダンクシュートを決められるほど、ルナバスケは甘くないのだ。
仮にジャンプしてリングに
ちなみに月で4.2メートル跳ぶということは、地上に換算すると70cmは跳べなければ到達できない高さということになる。小学生にはとても無理な芸当と言えるだろう。
「まったく、いくらルナバスケとは言え、小学生がそんな簡単にダンクなんてできるわけないだろう」
ミコトはヤマトに手を差し伸べ、引っ張り上げながら言った。
「それに、バスケの魅力はダンクシュートだけじゃないぞ。シュートってのは、遠くから入れてこそ価値があるんだ。いいか、見てろよ」
ミコトはそう言いながらボールを持つと、ゴールから約7メートルほど離れた位置(だいたい3Pラインと同じ距離)に立ち、シュート体勢に入った。
誰かに教わったわけではなく、自分で調べた知識をもとに自ら練習し作り上げたものだが、地球のバスケではなかなかの高確率で3Pシュートを入れられるミコト。
綺麗なフォームとシュートタッチで、ボールは放たれた。
――がしかし、ミコトの放ったボールは、想像以上のものすごい勢いで上昇し、バックボードのやや上を通過して、ゴールの裏側まで飛んで行ってしまった。
「あ……」
(そんな、ちゃんと6分の1Gを計算してシュートしたはずだったのに)
ミコトは愕然とした。やはり、重力の違いによる感覚の差は思った以上に大きいようだ。
「えーなんだよ、全然ダメじゃんミコトー、ぷぷぷ」
珍しく失態を見せた兄をからかうように、ヤマトが手のひらで口を覆いながら笑い声を上げた。
「シュートってのはっ、遠くから入れてこそっ、価値があるっ(ドヤ顔)」
「真似をするなっ!」
と言いながら、ミコトはヤマトにボールを投げ返す。
ボゴっ!
「あいてっ」
ボールはヤマトの頭に直撃した。
(くーっ、ったく……ミコトはすぐ手が出るんだから……)
などと思いつつ、ヤマトは頭を撫でながらボールを拾った。
そして、先ほどミコトがシュートを放った位置にまで歩いて行った。
「よーし、ミコトが外したなら、ここでおれがカッコよ~~くシュートを決めて、メイヨをヘンジョーしないとね! 絶対入れてやるぞ!!」
(いや、名誉を返上してどうする。汚名を返上しろ汚名を!)
と思ったが、あえて口には出さないミコト。
「やぁぁぁぁぁあ!」
それは、フォームもへったくれもない、まさにめちゃくちゃなシュートだった。
ヤマトはボールを両手で横から握りしめ、ちょうどサッカーのスローインの時のように頭の後ろから振りかぶると、ものすごい跳躍と共に、乱暴に投げ飛ばした。
するとボールは――。
どぎゅぐおおおおおおおおおお!
という今まで見たこともないような勢いで、ゴールどころか空の遥か彼方まで飛んで行って、お星さまになってしまった。
恐るべし6分の1G。
「バカ、どこまで飛ばしてるんだ」
「あっれぇーーーー、おっかしいなぁ」
とは言え本当にお星さまになってしまったわけではないので、2人がボールの行方を見てみると、どうやら建物の角をかすめて、その裏側にまで跳んで行ってしまったようだった。
しばらくすると、建物の裏側から『ぼとん』というボールの落下音と共に――。
「きゃっ」
という声が聞こえて来た。
顔を見合わせる兄弟。
「やばっ、誰かに当たっちゃったのかなぁ」
「とりあえず見に行くぞ!」
ミコトの意見に賛成し、兄弟は庭の奥に向かって走っていった。
「すいませーん、ボール大丈夫でしたかー……?」
と言いながら、先行していたヤマトが角を曲がり、建物の裏側に到達すると、そこに立っていたのは白いワンピースを着た、金髪(きんぱつ)碧眼(へきがん)の小さな少女だった。
「あなたたち……誰?」
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