JUMP2 私、そんなに小さくないもんっ!
① 宇宙遺伝子学研究所?
西暦2107年、6月3日。
アメリカ領、月面都市〝ノースカルパティア・コロニー〟
その市街地の一角にそびえる高層マンションの一室。
白熱したLBAファイナル第1戦から一夜明け、ヤマトたち
試合が終わったのは夕方5時前のことだったので、ヤマト達はチームの勝利に大興奮したまま、近くのステーキハウスで食事をしてから父親の家へと帰宅した。
この《家》というのは、国際宇宙ステーションに単身赴任中の父が、休日時などに一時的に住むために借りている物件で、試合を観戦したアーク・アリーナのある〝ニューテキサス・コロニー〟内ではなく、そこから約1000キロメートル離れた隣のコロニーである〝ノースカルパティア・コロニー〟にあるマンションの一室だった。
つまり、食事を終えたらすぐに、月面コロニー間を繋ぐ鉄道に約2時間揺られて移動しなければ、父親の家があるコロニーにはたどり着けないわけである。
LBAファイナル第2戦の会場は、変わらずパイレーツの本拠地であるアーク・アリーナなのだが、試合日は第1戦から中2日空けた6月5日なので、その日までは家族で父親の家に滞在することになったのだ。
とは言え神凪兄弟は、地球から月面に着いて、そのまま試合観戦に来ていたので、着替えやら何やらを入れた大きなリュックサックを背負ったままでの移動になってしまい、体力的にとても大変だった。
しかし、アーク・アリーナを後にする直前、もう一つ大きな荷物が増えてしまうにもかかわらず、神凪ヤマトは両親に《ある物》を買って欲しいとねだった。
それはもちろん、《バスケットボール》だ。
ヤマトは昨日の試合中、ブライアンのプレーに感動し『ルナバスケ始める!!』と決意を口にしたわけだったが、その勢いのままに、帰る道すがら立ち寄ったアリーナ内のファングッズショップで、いきなり親に『ルナバスケのボールを買って欲しい』とねだったのだ。
唐突な息子の要求に、両親は『荷物が増えるだろう? ちゃんと持てるのか?』とか『まだルナバスケはヤマトには早いわよ』などと言って、やや後ろ向きな反応を示した。
だがしかし、そこはもうヤマトの『買ってくれるまで絶対にここを動きませんからね!』というセリフと共に繰り出される〝店内であぐらをかいてテコでも動かない攻撃〟によって、難なく突破されてしまった。
仕方なく、しかしどこか嬉しそうにバスケットボールを購入し、レジで会計を済ませる両親たち。
こうして、ヤマトたちはルナバスケットボールの公式球を手に入れたのだった。
そんな経緯もあってか、一家がその日マンションに到着したのは、深夜0時近くになってのことだった。
へとへとの状態で部屋に入った神凪兄弟は、すぐさまベッドで眠り朝を迎えた。
そして現在――時刻は午前9時を回ったところだ。
LBAファイナルは17日間に渡って行われる長期戦だが、あいだに数日休みを挟みながらの日程なので、次に試合観戦に出かけるのは、明後日の話だった。
ならばこの機会にルナバスケをやらない手はない、と思った神凪兄弟。
2人は朝食を食べ終えると、両親に『外でバスケしてくるー!』と元気よく告げてから、新品でぴかぴかのボールを持って、勢いよく玄関を飛び出した。
父親が借りているこの部屋は、真新しい高層マンションの3階で、家族全員で住んでいてもおかしくないような4LDKの立派な物件だった。
しかし、ヤマト達は単身赴任中の父の家に来るのは初めてだったので、この家から『行ってきます』と言って出かけるのはちょっと不思議な感じがした。
2人はエレベータに乗って1階に下り、エントランスホールからマンションの外に出た。
そこに広がるコロニー都市部の街並みは、21世紀のアメリカ・ニューヨークを髣髴とさせる、大近代都市だった。
マンション出口の目の前には、大きな車道が左右に伸びていて、数えきれないほどの車がせわしなく走っている。
道路の向こう側にまで目をやると、そこには巨大な高層ビルがいくつも林立し、周りにはたくさんの人が行ったり来たりしていた。
そんな街並みを見渡してから、ヤマトが空を見上げると、そこには雲一つない青々とした晴天が広がっていた。
そして、東の空にはさんさんと輝く白い太陽が顔を出し、兄弟の身体を優しく照らしてくれていた。
「うわぁ超いい天気! 最高のバスケ日和だね、ミコト!」
「ああ、そうだな。ヤマト」
そう言って、大きく背伸びをする神凪兄弟。
涼やかで心地のよい風が2人の間を抜ける。うららかな春の陽気さえ感じられた。
と、その時ヤマトがおもむろに呟いた。
「あれ、ここって月面コロニーの中だよね。なのになんで、空も太陽も普通にあるんだっけ?」
弟のその言葉に、兄は『おいおい今更かよ』と思いつつ、月面コロニーの《空》のことを説明し始めた。
「あそこに見えるのは本物の空じゃない。このドームコロニーの天井にあるスクリーンに投影されている偽物の空だよ」
それを見て『これも学校の授業で習うんだがなぁ』と思いつつ、ミコトは言葉を続けた。
「いいか、ヤマト。《月面コロニー》ってのは、月の地表に超巨大なドーム状の建物を建設し、その中に都市を構築する形で出来ているんだ。
そして、ドーム内の状態を可能な限り地球上と同じにするために、天井一面のスクリーンに擬似的な空の映像を映し出しているんだよ」
「ほあー、空の映像……!」
そうは言ったものの、ミコトの話を聞いてみても、ヤマトは正直、今見えている空が偽物だとは到底思えなかった。
頭上に広がる光景は、何度瞬きしてみても、地球とまったく同じ空と太陽であるようにしか見えなかったのだ。
西暦2107年の技術力は、かくも凄まじいものである。
なんにせよ、細かいことを気にしないのが取り柄のヤマト少年は、深く追求することはしなかった。
月の都市についての話はひとまず終わりにし――。
「そんじゃミコト、さっそくバスケしにいこうぜ!」
と言ったあと、意気揚々と歩きだした。
「ああ、それはもちろん良いんだが、バスケと言っても一体どこでやるんだ?」
「そんなの大丈夫だって! その辺歩いてたら、バスケ出来る場所くらいあるよ、きっと!」
そう言いながら大股でずんずんと進んでいくヤマト。
その背中を追いかけながら、ミコトはやれやれと苦笑をした。
考える前に行動してしまうその性格は、ヤマトの短所なのか長所なのか――。
だが、そんな真っ直ぐで素直な弟の生き方を、ミコトは時々羨ましく思うことがあった。
しかしミコトはというと、正直、自分がルナバスケを始められるとは、すぐには思えなかった。
理由はいくつかあるが、まずは《環境の問題》だ。
ルナバスケとは、その名の通り月のスポーツである。
当然のごとく、6分の1Gの月面都市でなければプレーできない競技なわけで、地球に住んでいる神凪兄弟が始めるのならば、月面都市に移り住まねばならない。
だが、神凪家では、両親なりの考えがあって息子たちを地球で育てているわけで、むやみに『月に住みたい』などと言い出すのは、ミコトにとっては気が引けてしまうことだった。
それに、もう1つの大きな理由。
それは、ルナバスケが《ルナリアン絶対有利》のスポーツだということだ。
6分の1G下でのバスケにおける身体の動かし方やボールさばきには、長い訓練を必要とする《独特のコツ》がいる。
地球人のバスケプレーヤーは、この重力の違いという大きな差になかなか適応できないのだ。
しかし、月育ちのルナリアンは、始めからこれを身に着けているも同然だ。
その上、地球の人間よりも平均身長が20cmも高いのだから、その有利さは推して知るべしだろう。
《地球人がルナバスケをする》というのは、例えるなら、生まれてこの方一度も雪を見たことのない常夏の国の人間が、雪国の人間とアイススケートで勝負するようなものだと言える。
つまり、《幼いころからの環境の違い》という、絶対的なアドバンテージがルナリアンにはあるのだ。
そんな事情があることを知っていたミコトは、いくらブライアンのものすごいプレーに感動しようとも、いくら心がルナバスケをすることを望んでいようとも、行動に移そうとすぐには思えなかった。
成績優秀・冷静沈着。なまじ頭の良い少年であるがゆえに、自分の気持ちに素直になることが出来ない。それが、神凪ミコトの欠点でもあったのだ。
しかし、そんなミコトのためらいは、ヤマトの放った《あの一言》によって簡単にぶち壊されてしまった。
『おれ、ルナバスケ始める!!』
目いっぱいの希望に満ちた笑顔とともに放たれた、その言葉。
ヤマトのド直球で、前しか見ていないその姿を見た時、ミコトは悩んでいた自分がバカらしくなってしまった。
いくらヤマトだって、月でスポーツを始めることが、いかに大きな決断か分からないほどに馬鹿ではない。ヤマトだって、それくらいは理解していた。
だがしかし、ルナバスケを始めることの難しさを踏まえてもなお、ヤマトはそれに挑戦することを選んだのだ。それも、ためらわずに。
いつもそうだった。
ミコトには決してできないことを、時にヤマトは平然とやってのける。
やがてミコトはこう思った。
何をうじうじ考えているんだ自分は、と。
ルナバスケを出来ない理由、やらない言い訳ばかりを考えて、自分の気持ちに嘘をついた。
地球人だからなんだ。月に住んでいないからどうした。体格の違いなど知ったことか。
大切なのは《出来るか出来ないか》ではなく、《やるかやらないか》だ。
やりたいから始める。理由なんてそれだけで十分じゃないか。
恐らくヤマトは、いつでもそれが分かっているのだろう。
理屈ではなく、心でそれが分かってしまう。
そんな弟の一面を、ミコトは凄いことだと思った。
だからこそ、羨ましいとも思っていた。
街を歩きながらミコトがそんなことを考えていると、気づけばヤマトの姿がどこにも見当たらなくなっていた。
いつの間にいなくなったのだろうか。ミコトは途端に慌てだした。
「あいつ……ちょっと目を離すとすぐいなくなって!」
ミコトは辺りを見回した。しかし、どうやら近くにはいないようだ。
バスケットゴールのある場所を求めて、先程から2人はマンションの前の歩道を10分ほど歩いていたのだが、気づけばミコトの傍らには、2メートルほどの高さの古い赤レンガの塀が続いていた。
どうやらいつの間にか、何かの施設の外周を歩いていたらしい。
ミコトはその塀を見上げてみた。
もしかしてヤマトは、この塀を飛び越えて施設の中に入ってしまったのだろうか。
いくら6分の1Gで高く跳べるからと言って、油断も隙もあったものではない。
と、そんな風にミコトが考えた、その時だった――。
案の定、ヤマトが塀の向こう側から、ひょっこりと顔を出したのだ。
「へへへ! おーいミコト、こっちこっち!」
「なっ……ヤマトっ! 何、勝手にそんなところに入ってるんだよ!」
「いやあ、この塀の中にルナバスケのゴールが見えたから、つい」
言われてミコトが塀の中を見てみると、近くに並んでいる木に紛れて、ルナバスケ用の高いバスケットゴールが見えた。
「ああ、ホントだ……って! そんなことは良いから、とにかく早く降りてこい!
まったく、不法侵入じゃないかこれじゃあ!」
「えへへ、ごめんごめん」
兄の厳しい口調に諭されて、ヤマトは頭を掻きながらそう言ったあと、軽やかに塀の外側に着地を遂げた。
そして、そのまま間髪入れず、満面の笑顔で元気いっぱいに口を開いた。
「よーし、じゃあ塀の中の人に頼みこんで、あのゴールを使わせてもらおう!」
あまりにも前のめり過ぎる弟の姿を見て、ミコトは『いくら家から10分の近場にあるバスケットゴールのためとは言え、何の施設かも分からない場所へ、よくもまあ入ろうと思えるもんだ――』と、ため息交じりに呆れかえった。
しかし、ヤマトの表情はもう、《早くルナバスケがしたくてしょうがない》という状態で、ふんふん鼻息を荒くさせていた。
こうなったらもう誰かの言うことなど聞きはしないということを、ミコトはよく知っていたので、素直にヤマトの意見に乗ることにした。
その施設の入口と思しき場所には、少し塀を伝っていくとすぐにたどり着いた。
錆びついた鉄格子製の、大きな洋風の門。
その先にあるコンクリートで出来た4階建てくらいの大きな白い建物は、何かの学校、いや病院だろうか。どこか怪しげな雰囲気すら漂わせていた。
入口に特に管理人などがいるわけでもないようなので、どうやって入ったものかとミコトが悩んでいると、周囲を探索していたヤマトが、この施設の名前らしきものが書かれている表札を、門の脇に見つけた。
どうやらそれは英語で書かれていたようだったが、西暦2107年の小学生は、英語くらい普通に習っているので、問題なく読むことができた。
ミコトはその表札をじっと見つめ、一度、頭の中で読み上げてから、日本語に訳してみせた。
――International Institute of Space Genetics
「……宇宙遺伝子学研究所?」
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