第32話 笑うドミネーター

 先制を許しても暁平にまるで動揺はなかった。先に失点することは織り込みずみだったし、新しく加入した二人の実力の片鱗を見せてもらう授業料としてはこんなものだろう。


「なら、うちも出し惜しみなしでいきますか」


 鬼島ボールで試合が再開される。相変わらず暁平はフォワードの位置におり、それまでと何ら変わるところはない。

 しかしボールが最終ラインの政信まで下げられたのに合わせるようにして、暁平のポジションもどんどん後ろへと下がっていく。五味を追い越し、筧と井上が並んでいるあたりまでやってきた。


「どういうつもりなんだ……?」


 何人ものFCの選手がそう言いたそうな顔をしている。

 政信から佐木川へとボールが渡り、佐木川から筧へと縦のパスが入ってきた。すると先ほど同様、すーっと寄ってきたFCの選手たちにまた筧が囲まれてしまう。

 だが今度は筧の判断は早かった。迷わずそばまできていた暁平へとパスを出す。

 一列分を丸々飛ばして急激にポジションを変えた暁平に対して、FCのディフェンスも戸惑いを隠せていないが、だからといってフリーにさせるわけにはいかない。すぐに近くの選手がマークに付こうとする。

 ボールを受けるとき、いつでも暁平は漫然と足元にトラップしたりはしなかった。まず周囲の様子をあらかじめ確認しておき、誰かが体を寄せてきていれば、トラップする際にボールを予想外の向きへと変えてやる。だいたいはこのプレーで一人目のマークを外すことができるのだ。

 次にどういうプレーへと移っていくか。パスか、ドリブルか。最初に考えるのは前線へのロングボールだ。決定的なチャンスをつくりだせる、アメリカンフットボールでいうところのタッチダウンパスを狙えるならそれがいちばん効率がいい。いかにしてゴールへと結びつけるか、それが暁平にとっての優先順位だった。

 ただ現在の局面において選択すべきはドリブルである。パスを受けるよりも前にその結論を出していた暁平は、トラップでボールを動かすことによってマーカーをかわし、そのまま猛然とFC陣内へのドリブルを開始する。

 これに慌てたのが姫ヶ瀬FCだ。筧に対して複数の選手で「ボール狩り」を仕掛けていたせいで、いってみれば中盤の網目がひどく緩んだ状況となっている。もちろん暁平はそこを見逃したりはしなかった。

 電光石火のドリブルで中央突破してきた彼をどうにか食い止めようと、背番号6の吉野が行く手に立ちはだかる。キャプテン同士のマッチアップだ。


「こいや!」


 腰を落として構える吉野が吠えた。

 抜かせまいとする闘志に満ちた彼を見て、スピードを落としつつ暁平は足元のボールをぽん、と無造作にさらすようにしてぎりぎり足が届く範囲へと転がす。

 奪える、と確信したのだろう。やはり吉野は間合いを詰めて食いついてきた。すかさず暁平は左足の裏を使ってボールを引く。そのまま体を回転させながら吉野を手でブロックし、右足でボールを持ちだしながら入れ替わるようにして彼の脇をすり抜けていく。

 マルセイユ・ルーレット、もしくはマルセイユ・ターン。フランスのマルセイユ出身であるジネディーヌ・ジダンが得意とした技だ。


「キョウくんずるいぞ! おれにもボール! ボール!」


 左サイドで手を上げている五味が大声でパスを要求する。とにかくテクニックを披露するのが大好きな五味のことだ、自分も何か魅せるプレーをしたくてたまらないのだろう。

 そんな彼を暁平は囮として使う。失点時の兵藤のプレーをトレースするかのように五味へと顔を向けてフェイクを入れる。敵の守備が反応するとすぐさま右足のインフロントキックでペナルティエリア付近にいる畠山大へと浮き球を送る。


「ダイ!」


 決定力という面では、たとえば久我あたりと比べれば見劣りするものの、こういったポストプレーをさせれば畠山ほどの選手はそうはいない。それを暁平はよくわかっている。

 このときも畠山は確実に自分の仕事をこなしてくれた。

 ポジション取りをめぐる相手センターバックとの肉弾戦に勝利した畠山は、パスを出してすぐ走りこんでいった暁平の呼びかけに応じ、ゴールを背にジャンプして自分の左側へとヘッドでボールを落とす。

 残るは最後の仕上げだが、頭で考えて歩幅を合わせる必要はない。感覚に身を委ねればきちんとアジャストできるのだから。


「いけ」


 ボールのバウンドに合わせ、暁平は左足を振り抜く。狙いはゴールマウスの向かって右側、ニアサイド。

 全国レベルと評されるキーパー友近もあまりのシュートの速さに一歩も動けなかった。しかし、残念ながらボールはゴール内にはおさまっていない。

 暁平のシュートはものすごい勢いでゴールバーを叩いて、そのままはるか後方へと逸れていったのだ。その威力を物語るように、しばらくの間バーの震えは止まらなかった。

 ははっ、と暁平の口から乾いた笑いが漏れる。


「あらら、1点損したじゃねえか。おれもまだまだだな」


 そんな暁平に対し、拳を手に打ちつけながら五味がぷりぷりと怒っていた。


「だからキョウくん、おれに出せっていったのに! 一人でやりすぎだっての!」


「すまんすまん、派手めの挨拶をかましておきたくてさ」


 五味をなだめつつ暁平は「でも決まらないと格好悪いな」と肩をすくめる。

 そこに絶好の得点機を逃した脱力感はまるでない。チャンスは幾度となくつくれるだろうし、そのうちの何回かを決定的なものにすればいい。

 不遜にして楽観的にも暁平はそう考えていたのだ。

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