第31話 勝負師の矜持

 羽仁浦会長の知人からの紹介で、途中入団のテストを希望している中学三年生の子がいると聞かされたとき、相良は特に何の期待もしていなかった。

 アメリカから両親の仕事の都合で姫ヶ瀬市に戻ってきたらしく、申し込みの書類にはアメリカのクラブに所属していた旨が記されていた。

 海外帰りといってもサッカー文化がまだまだ根付いているとはいいがたいアメリカなのだが、紹介してくれた会長の知人の顔を潰すわけにもいかない。姫ヶ瀬FCの事務方にそう説得され、渋々ながらテストを兼ねて彼のプレーを見学することにした。

 そして相良は幸運にも自分がとんでもない拾いものをしたのだと知る。あとで思い返せば、あの羽仁浦会長が見込みのない者をコネクションでどうにかしようなどとするのを認めるはずがなかったのだ。

 とにかく相良が驚いたのはその少年、兵藤貴哉のキックの精度だった。ジュニアユースの練習生たちがまだやってくる前に、試しに得意だというフリーキックをさせてみたのだが、どんな位置からでも彼の右足は決めた。それも確実に狙ってゴールの隅へ。

 こんな逸材をよそにやってなるものか、とその時点で合格だと告げた相良だったが、兵藤はさらりととんでもないことを口にした。


「利き足は左なんですけど、見なくてかまいませんか?」


 結論からいえば彼の両足に差はなかった。どちらが利き足なのか相良にも見抜けないくらい、左足でも右足でも兵藤は正確無比なボールを蹴ることができた。

 兵藤の才能はそれだけに留まらない。広い視野を持ち、相手の急所を瞬時に見抜くその眼。フィールドにおいて何手も先を読むことができる戦術的思考と相まって、彼はゲームをコントロールする能力を相良へ存分に証明してみせた。

 一方で弱点もあった。フィジカル面ではお世辞にも強いといえず、スピードにも欠けている。守備面ではまったく戦力として計算できない。

 それでも相良は兵藤をチームの軸に据えた。


 細切れに分割された狭いスペースをめぐって、お互いが素早く攻守を入れ替えながら戦わなければならないのが現代サッカーだ。フィールドでの無駄を削ぎ落とし、合理性をひたすら追求した結果といえる。

 整備された組織力と、ハードワークを可能にする強靭な体力。恐ろしくハイレベルな攻防ともなれば、どうしてもそのふたつによって相手の長所を打ち消しあう展開にならざるをえない。

 隙をみせたほうが負けるのは当然といえば当然だが、それだけでは試合の趨勢を決定づける何かが足りないのも事実だった。でなければ欧州のビッグクラブが途方もない金額を投じて、特別な能力でゲームに君臨する一握りのスーパースターを買おうとするはずがないではないか。


 兵藤の起用は相良にとっていわば賭けであった。ただ、もうひとつ幸いなことに、このチームには兵藤とほぼ時を同じくして入団したブラジル育ちの大和ジュリオと、ハイレベルなスコアラーである久我健一朗の存在があった。

 兵藤の想像力あふれるプレーイメージについてこられる二人がいたことで、相良のチーム構想はすぐに固まる。中盤の選手構成は兵藤の能力を最大限に活かすことを優先した配置となった。中盤の底に吉野、ここは動かせない。そしてインサイドハーフを務める二人は、献身的でタフな選手を控えから抜擢した。守備において彼らには兵藤の分までカバーしてもらわなければならないからだ。

 兵藤を中心とした自分の戦術が「トレンドではない、古くさい」と一部から批判されているのを相良は承知している。

 だが「違うね」というのが彼の答えだ。

 戦術とはそもそもじゃんけんに似たものであり、そこに絶対的な優劣はない。それが相良の持論だった。ならば、手元にいる選手の個性に合わせてオーダーメイドのシステムを構築するのが監督の仕事だ、と。


 無名ながら最強の盾であると相良自身が認めた榛名暁平率いる鬼島中学ディフェンス陣との勝負は、兵藤や久我らにとって今後の試金石となる一戦のはずだった。

 榛名暁平の思いがけないポジションコンバートでそれが叶わなかったのは残念だが、向こうには向こうの事情がある。仕方のないことだと割り切るよりほかにない。

 相良はベンチにどっかりと腰かけ、ピッチ上で才能を見せつけている兵藤にチームのタクトを委ねて微動だにせず見守っている。

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