第12話
――試験運用の成功から数日後。
ミンチョー社ゴキブリ対策課の社員達は、チャベナー殲滅用兵器完成を記念した祝賀会を開き、エマーソンをはじめとするオナガゴキブリ一同を招待しました。
「いやはや、君達のおかげでこれまで実現不可能と思われてきたチャベナー殲滅の目処がついた。まったく、これは驚くべきことだよ」
課長はこの日のために用意されたワラジムシの像とゾウリムシの像の間に立ち、ワイングラスを掲げながら、オナガゴキブリ達を讃えました。
オナガゴキブリ達の大半は、彼らのために用意されたシイタケやタケノコやゼンマイを食べることに夢中になっていて課長の言葉をほとんど聞いておりませんでしたが、先頭に立つウィルソン大統領とエマーソンはさすがに自制しました。
そんな二尾を、少し距離をおいた後方からヨハンセンが静かに見つめています。そのすぐ隣には揚げたて熱々のかき揚げがありましたが、ヨハンセンもまた食事には手をつけようとしませんでした。
「ゴキブリホイホイを置いても全てのゴキブリを捕らえることはできない。ホウ酸団子を置いても全てのゴキブリが食べるわけではない。燻蒸剤は使う時に食器や精密機器にかからないようカバーする必要があるが、カバーをかけたその内側にゴキブリが潜んで生き延びてしまう。……結局、これまではいかなる手段を用いても一匹残らず奴らを殺し尽くすことはできなかった。だが、あの箱は違う。あの音楽の力で、家中のゴキブリを全て誘き寄せることができる。あの音楽は確か、かつて君達の王が仲間を導くために使っていたものだという話だったかな?」
「いかにも」
課長の問いに、ウィルソン大統領はしっぽを振って肯きました。これまで、人間との交渉をエマーソンに一任してきたウィルソン大統領でしたが、こうして自ら人前に姿を現したからには、オナガゴキブリの代表として語るべきは彼に他なりません。
「今でこそ民主政を敷いている我々だが、かつては祭政一致の政治体制をとり、巫王が全てのオナガゴキブリを治めていた。初代の王は、『我らの愛の対象であり、我々自身でもあり、またこの宇宙そのものでもある次元を超越したオナガゴキブリ』の託宣により、我らの脳の最も原初たる部分に働きかけ、自らの後に続いて歩かせるための歌を知った。この歌の力を以って、まだ教育体制が整っておらず、まとまりがなかった頃の社会を一つの方向へと動かすことができたのだ。民主政への移行後、独裁を避けるために歌の知識は全てのオナガゴキブリへと伝えられた。そして、『オマール海老のように高い知性とオマール海老のように優美なしっぽ、そしてオマール海老のように気高き精神』を持つと讃えられた賢者・タベナキャソンが、この歌がチャベナーどもを誘き寄せるのにも有効であると気づいたのだ。脳の最も原初の部分に働きかけるが故に、原初のままであるチャベナーの脳にも同様の効果があるということだろう」
「そのような便利な歌を持ちながら、何故に残り1コロニーになるまでチャベナーどもに追い詰められるようなことに?」
課長は尋ねました。話を聞いている最中もそうでしたが、こんな時でもボディビルダーのように筋肉を誇示する様々なポーズを取ることは忘れません。
「あの歌には、歌う者の後にチャベナーどもを続かせるだけの効果しかない。自在に奴らを操れるわけではないのだ」
ウィルソン大統領のしっぽが、左右に振られます。
「我ら自身があの歌を使ってチャベナーどもを殲滅しようとすれば、歌い手自らがポテトを揚げている油や、闇鍋や、野島部長の熱々のブラックコーヒーの中に飛び込まねばならない。そうすれば、奴らもそれに続いて飛び込まずにはいられない。だが、そのやり方ではこちらも歌い手となった一尾が必ず犠牲となってしまう。美しいしっぽふりふりが無くとも平気で異性を受け入れるモラルが崩壊したチャベナーどもと、貞淑な我々では、繁殖力に格段の差がある。こちら一尾につき多数の奴らを道連れにできたところで、勢力が衰退していくのはむしろこちらの方なのだ」
「なるほど、それで我々の力を頼ったというわけか。我がミンチョー社の、筋肉の力を」
課長は深く頷きました。その顎と鎖骨の間には超強力なバネでできた『ターミネーター養成ギプス』が取り付けられており、頷くだけでヒグマを倒すほどの力が必要なのですが、課長にかかれば何の不自然も無い動きとなります。また、そうしている間も、ワイングラスを持っていない方の手では胡桃を割り続けることを怠りません。おかげで、課長の足元は胡桃の殻だらけです。
「……ところで、今の話だと、あの音――君達にとっては歌か――はチャベナーだけでなく、君達自身にも有効ということで良いのかな?」
「無論そうだ。元々は我々オナガゴキブリを導くためのものなのだから、当然である。だから、あの歌を使ってチャベナーを倒す時には、仲間を巻き込まないよう必ず一尾だけで奴らに挑むようにしていた。……それがどうしたというのだ?」
課長の顔が、不敵な笑みをかたちづくりました。言うまでもありませんが、それは表情筋の力によるものです。
「フッ……それを聞いて、安心したよ」
言うが早いか、課長は脚の筋肉の力で一歩後ろへ飛び退ると、左右にあったワラジムシの像とゾウリムシの像を――それぞれ1トンはありそうなそれらを軽々と――真ん中へと引き寄せました。
ワラジムシとゾウリムシが接・吻!
その途端、祝賀会場中央に飾られていたゴールデンイセエビ像がガタン、と音を立てて左右に開きました。ワラジムシの像とゾウリムシの像は、不自然にならないようさりげなく置かれたスイッチだったのです。
三人の社員達が、壁に取り付けられた巨大なハンドルを回し始めました。するとどうでしょう、彼らの動きと連動するように、ゴールデンイセエビ像の中から何かがせり上がってくるではありませんか。スイッチはゴールデンイセエビ像を開くだけで、そこから先は人力なのです。人力とはすなわち、筋肉の力。ここでも筋肉は大活躍です。
日本に、筋肉があって良かった。
この物語を通じて、筋肉の魅力をあますところなくお伝えできているのではないかと筆者は自負しております。
筋肉の力でせりあげられてきた台に乗っていた物、それは――Oh, イセエビジーザス! なんとあの箱ではありませんか!
いち早く危機を察知したエマーソンは叫びました。
「まずい! みんな逃げろ!」
しかし時既に遅し。いつの間にか課長は箱の傍まで移動しており、そのぜんまいを巻き終えたところでした。
「バカな! いつの間にあそこに?!」
エマーソンは狼狽えます。無理もありません。エマーソンの目は、ほんの一秒前まで、箱から離れた位置に立っていた課長の姿を捉えていたのですから。しかし今やそこには、あのターミネーター養成ギプスが落ちているのみです。
――そう、課長はついに、隠されていた真の筋力を解放したのです。直前までエマーソンが課長だと認識していたそれは、実は残像でした。
ほんの数日前までなら、残像ができるほどのスピードで動くのに十分な筋肉を有しているのは三人目の社員だけでした。しかしターミネーター養成ギプスを装着した上でいつもより多めに朝の最強土下座を続けた課長は、ついにそれを可能にするほどの筋肉を手に入れたのです。
『課長の筋肉は、まだまだ伸びる』
部下達のその期待に、彼は見事に応えたのです!
試験運用の時と同様、ぜんまいを巻かれた箱から音楽が流れ始めました。それは、オナガゴキブリ達に伝えられてきた歌。彼ら自身の脳の最も原初たる部分に訴えかけるという、あの歌です。
「ああ! 飛び込まずにはいられない!」
オナガゴキブリ達は歌の魅惑に抗うこともできず、次々と箱の中へ飛び込んで行きました。
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