第3話 ヴァレンタインの当日はあまーいあまーい

 ユキのバイト先の表参道駅の近くの半分が喫茶店になっているケーキ店は

 外から少し見ただけで凄い混みようだった。


「わー、さすがに当日だな」


 今日はいつもより延長して9時半までの営業だと言っていたので、

 夜の9時丁度位に店の前に太一は着たのだが、それでも店は大盛況だった。

 人気のスイーツ店だからということでもあるが。

 太一はそれでも少しずつ掃けていく客足を見て、

 二台あるレジのうちユキが担当している方の列に並ぶ。

 もうこの時間になってしまえば、家族か大切な人に渡す分だけを購入する客が殆どの様で、

 一人一つのチョコを大切に抱えているだけだったので、会計はすぐに済んでしまうらしく、

 あっという間に列は掃けていく。

 太一は店で一番人気なんだと以前ユキが言っていたマドレーヌを一つ選んで持って行っていた。

 前の前の女性客が会計を終えた時、ユキと眼が合って、

 彼女はパティシエの恰好をしていたが、パッと顔を明るくしてくれていた。

 前の客も女性客だがチョコは一つだけですぐ会計が済む。

 太一の番になる。


「いらっしゃいませ! ありがとう、太一君、来てくれたんだ」


 先輩には店が終わるのを待っているとメールを送っていた彼だったが、

 家で待っていても今日がこのまま終わってしまうのが癪だったし、

 彼女がパティシエの衣装で頑張って働いているところも前々から少し見たかったので、

 今日は彼女のバイト先を訪れたのだ。


「せんぱ……ユキさん、あの、これ、お願いします。オレ外で待ってますから」


「はい。お預かり致します。

 ゴメンね、いつもは店内席もあって珈琲とかも飲めるんだけど、

 今日は店内はやってなくって。

 外寒くないかな?

 あ、珈琲持ち帰りのカップでも出せるけどいかがでしょうか?」


 凜とした雰囲気の彼女は、それでも店員として半分、彼の彼女としての嬉しい気持ち半分で、

 必死に応対しているのだけれど、それは彼にも伝わるようで。

 互いの眼が合うと笑みが顔に浮かんでしまう。


「はい、じゃあ珈琲も持ち帰りでお願いします」


「はい。仕事終わるのはあと40分くらいかなぁ、外寒いから、暖かいところで待ってて。

 それではただ今珈琲を淹れて参ります、少々お待ち下さい」


 彼女がくるりと踵を返すと、

 パティシエの帽子の後ろからポニーテールにした長い髪がサラリとゆれた。

 奥に居たこちらも美人な店員さん、ユキと同じような大学生だろうか、

 が、目敏く彼と彼女の会話に気付いていたらしく、珈琲を淹れる彼女にちょっかいを出している。

 太一には聞こえなかった。


(ねぇ、あの人、ユキのカレ?)

(うん、そうだよ。迎えに来てくれたみたい)

(うっわー、いいなー! しかもカッコイイじゃん! 羨ましいなーこのこのー)

(ちょっと、アズサ! 手元が狂うよー)


 ちょっとしてから彼女が戻ってきて、


「ミルクとお砂糖はあちらにありますのでご自由にどうぞ。

 お会計合わせて860円です」


「はい、じゃ千円で。ユキさん、急がないで良いですからね。外で待ってます」


「140円のおつりになります。うん、ありがとう。わざわざ来てくれて」


 じゃね! と言って太一は店を出て、慌ただしい店の様子を外から眺めつつ、

 彼女の淹れてくれた珈琲を飲む。

 慌ててしまって、ミルクと砂糖を入れ忘れた事に後から気がついたが、

 彼女が淹れてくれただけでとても美味しく感じられた。


「砂糖入れ忘れた分はマドレーヌで良いか」


 小さい小分けされたマドレーヌを一つ袋を破いて食べてみる。

 なるほど彼女が自慢するだけあって美味しかった。

 昨日食べた彼女の手作りケーキほどじゃないけど……

 なんて思ってたら、店の中を見ている自分のガラスに写っている顔がにやけてたので、

 不審者に思われてはたまらないと、道路側に向き直って白い吐息をついた。

 今年のバレンタインデーの天気は良くて、都内でも夜空が綺麗に見えていた。

 星は眼を凝らさないと見えないぎりぎりの所だったけれど。

 しばし珈琲をのみつつ彼女のバイトが終わるのをまった。


 数十分して、クローズのサインが出され、店の中の掃除が始まり、

 ヴァレンタインの戦場の一つだったこの店の長い一日が終わったようだった。

 従業員が出てくるまでは少し時間があったが、太一は不思議と彼女を待つのが苦では無かった。

 少し寒かったけれど。


「太一君、待たせてごめんなさいー」


 視界に彼女のブーツの先が見えたので顔を上げると、

 白いコートのユキがいた。

 いつもより顔が明るいし、外で見る彼女も素敵だなと思う。

 と、彼女が彼の手を取って、両手で包み込んだ。


「わっ。ユキさん?」

「わー、こんなに冷たい。無理して外で待っててくれなくても良かったのにー」


 はーっと息を掛けてくれる。包まれた彼女のてのひらも、彼女の息もとても暖かい。


「ありがとうございます。

 でも今日頑張ってるところ見たかったから。

 それに待ってる間はちっとも寒くなかったですし」

「もう、風邪引かないでよー?」


 と言いつつも彼女も微笑んでいた。


「素敵なお店とか、そういうデートプランも考えておけば良かったんですけど、

 その、今日勢いで来ちゃったのでそういうの無くって」


 太一がたじたじと言うと、


「ううん、いいよ、来てくれただけでとーっても嬉しいから。太一君のお家に帰りましょ」

「はい」


 と言って二人で太一の家に向かう。

 銀座線と山手線を渋谷で乗り継いで彼のアパートのある高田馬場へ。

 帰宅ラッシュが終わって一段落の時間の10時手前の車内には、

 今日は特別カップルが多かった。

 自分たちもご多分に漏れず。


「みんなデートの帰りなのかな~」


 隣り合う席に座って何気なく彼女が言うと、


「そうなんでしょうねー。バレンタインデーですもんねー。

 ユキさん、うち、着くの10時過ぎちゃいますけどお腹空きませんか?

 どこかで食べていきます?」


 んー? とちょっと考えるそぶりを見せてから、


「ううん、大丈夫。ご飯は私が作るから。帰りにお買い物していこ?」

「はい。あの、自分で迎えに行ったのに先輩に甘えることになっちゃって済みません」

「いいの、迎えに来てくれる人がいるって凄い嬉しかったんだからー」


 彼女はそっと彼の手を取って繋いで。上機嫌にしている。

 電車の中は暖かかったが、それでもユキの手の方が太一の手より温かく感じられた。


 買い物を済ませ二人で太一の家に帰宅する、彼が玄関を開けると。


「お邪魔しまーす。あれ? チョコの匂い?」

「ああ! しまった!」


 当初ユキを驚かせようと思っていた太一だったが、

 慌てて出てきて匂いのことまで考えが及んでいなかった。

 綺麗に片付けたキッチンの食卓の上には、白い四角い箱。

 何が入っているかは言うまでも無く。

 彼女が買い物袋を置くと、


「ユキさん、ちょっと段取り失敗しちゃったんですけど、そのプレゼントです」


 と彼がその箱を差し出した。

 前日にはものすごいプレゼントだったけれど、今日もプレゼントがあるの? とビックリしつつ、

 彼女も中身が何かは解ってしまったけれど。


「開けていい?」

「はい」


 彼女が箱を開けると、ちょっと不器用に型どりされた数個の手作りのチョコレートだった。


「わ、太一君の手作り!?」

「はい、あの、ネックレスとかも良いんですけど、でもやっぱり手作りケーキとか貰っちゃって、

 手作りに勝るものが無いかなって思って、午後になって思い立って、

 市販のチョコを買ってきて湯煎で溶いて固めただけなんですけど――」


 と太一が説明しているうちにユキは眼を潤ませていた。


「ありがとう。すごーい嬉しい。

 ご飯作らなきゃいけないけど、その前に一ついただいてもいい?」


「はい、もちろん。味はたいしたこと無いと思いますけど」


 ユキがチョコを一つ摘まんでそっと口に運ぶ。

 市販品だと彼はいうけれど、愛情入りの手作りチョコだ。

 これ以上美味しいものなんてないに違いない。

 口に含んでころころ溶かして、甘さを味わってから、


「ふふふ、不思議、すごい美味しいよ。それにとっても甘い」


 まさかそんなことないですよーと言う目線を彼が向けたので、

 まだチョコの欠片が口の中で溶けきってないままで、


「そんなことないよー」


 と呟いてから、彼の唇に、そっと彼女は自分の唇を重ねた。

 最初のキスだった。

 少しお互い身体が強張っていたけれど、彼の方から彼女の身体に手を回して包んでくれた。

 長めのキスの後唇を離して、


「ね、甘かったでしょう?」


 と彼女は微笑んだ。


 ――Happy Valentine Day――

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ヴァレンタインデー短篇SP:チョコと幸せの対価 Hetero (へてろ) @Hetero

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