第2話 ヴァレンタインの前日の

 ヴァレンタインの当日は、彼女は当然ケーキ屋のバイトに駆り出されるとあって、

 前日の夜が二人で決めたヴァレンタインデーだった。

 夕飯も今日は彼女が太一の部屋を訪れて、手作りしてくれ、その後のデザートの

 チョコレートケーキが彼女が太一に宛てた特別なケーキだった。


「デザインね、散々悩んだんだけど小野寺君が良いっていってくれたのにしたの」


 彼女が店の箱に丁寧に梱包されたケーキを取り出すと、

 二人分に相応しい小さめなホールの、チョコに苺と飴で作られた金色の葉が載ったケーキだった。


「うわ、すごい! この飴細工も先輩が作ったんですか?」

「うん、お店の人にね、教えて下さい! 

 って頼んだら、なーんだ、彼氏用かぁってすぐバレちゃったんだけどね。

 丁寧に教えてくれたからこの飴の葉は綺麗に出来たかな」


 金色の飴細工で作られた、ケーキの大きさと同じくらいある葉は、

 葉脈の部分によく見るとHappy Valentineと英語の文字が織り込まれている。

 それ自体が繊細な細工なのだが、文字がどことなく彼女が書いたものと思わせる可愛らしい字形で、

 それを割って食べてしまうのは勿体ないような気がする。


「あ、勿体ないとかそんなことないからね! 飴の部分もケーキの味の一部になるように作ったんだよー

 だから二人でサクサク割って食べるの。今切り分けるね」

「でもこんなに綺麗だから。うーん、あ、写真撮っといて良いです?」

「うん、いいよ」


 太一が携帯を取り出して一枚、

 ちょっと考えてから、彼女も写るようにして一枚撮った。


「あ、私も入れてくれたでしょ! 恥ずかしいなぁ、言ってよー」

「いや、折角作者が近くに居るし、先輩のケーキ扱っているときの顔が可愛くて」


 なんて言われると彼女は照れてしまい、

 それでも手元が狂わないように慎重になりつつ、4号(直径12㎝)サイズのケーキを半分に切り分ける。

 飴の部分はサクサクと崩されると、それ自体が金の粉のようにチョコケーキの上に振りまかれたようになって、それも美味しそうに見えた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 切り分けたケーキをそれぞれの皿に載せて配る。食後にチョコケーキに合うと思って紅茶も

 彼女の持ち込んだティーポットで淹れてある。

 チョコと紅茶の甘い香りが部屋に広がった。


「じゃ、食べよっか! 味はちょっと頑張ったから、期待してね」


 そう雪先輩が言う笑顔が可愛くて、今がチャンスと、右手をポケットに突っ込んで

 小さな箱を取り出して、


「その前に、オレからも先輩に、はい、どうぞ」


 と、彼が取り出したのは女性なら大抵察しが付くであろうライトグリーンの箱だった。

 太一が彼女にする初めてのプレゼントだった。

 彼は相当悩んだし、最初何を渡すか全く検討も付かなかったので、

 女性の友人にさんざっぱらリサーチなどをして。

 それでも結果は思いがこもってれば何でも嬉しいはずだよと言われてしまい、悩んだのだが、

 太一のバイト先の近くにティファニーの店があったので、通りかかるフリをして、

 店員さんに相談してみたら、思いの外親身に話を聴いてくれ、

 お財布的には相当頑張ったのだが、去年の冬からの感謝も籠めてこれにしたのだった。


「わっ、え、ありがとう、……あの、いいの? 高価なんじゃ――」


 彼女も今まで貴金属なんてプレゼントされた経験は無いので慌ててしまう。


「いいえ、そんな大したもんじゃないですよ、あの、良かったら食べる前に開けてみてください」


 上は数百万の値札を見たのだ。そう思うが、それは自分でも大したもんだったには違いない。

 購入するまでの決意も加味したら相当なもんだった。

 でも要らないとか言われたらと考えると、地に脚が着いた碌な台詞なんて出てこなかった。

 彼女が細い綺麗な指でそっと箱に掛けられた白いリボンを解いて、箱を開ける。

 中にあったのは四つ葉のクローバーをあしらった銀のネックレスだった。

 彼女は視線を落としてネックレスを手に取り、それをぼんやりと眺める。


「あの、先輩、金属アレルギーとか無いですよね。

 普段もネックレスしてたし」


 太一が慌てて確認の意味も込めて訊ねる。彼女の胸元には今日はしていないけれど、

 いつも銀色のネックレスが輝いていた。


「うん、大丈夫」


 ぽーっと上気した顔で初めて大切な人から貰ったネックレスを見つめる。


「良かった、それだけ心配で――」


 目線を上げて彼と眼が合う。

 急に嬉しさがこみ上げてきて頬が熱くなってしまう。


「あの、ありがとう。こんな、こんな、綺麗な物。私貰ったことなくて」


 少し先輩の体を見失って居る彼女は、少女が綺麗な物を初めて見たときのような表情で、

 彼も嬉しくなる。


「よかった、そんなに喜んで貰えて! オレその、こういうのの知識とか全くないから、

 女友達とかに色々聞いたり、給料三ヶ月分とかってジンクスもあるから値段も頑張ってみようかって思ったし。――あ、これはまだまだ婚約とかってのじゃないですけどね」


 彼もまた頬を赤らめて否定して、言う必要も無いことも口走ってしまってはいたが、

 今は彼女も嬉しさの余りあんまり頭に入ってこないのだった。


「でもよかったな! 先輩から貰いっぱなしだったから、早いうちに返せて。

 さ、チョコが溶けないうちにいただきましょ」


 あんまり見つめ合って顔がほころびすぎてもどうなってしまうか解らないので踏ん切りをつけて

 チョコケーキに視線を戻した。

 彼女が優しく微笑んで、ふふふ、と鼻で言ってくれているのが部屋の暖房の音に混じって微かに耳に届く。


「小野寺君。ホントにありがとう」


 彼女は頭を下げてから、


「うん、先にケーキ食べちゃおう!」


 ととびっきりの笑顔を彼に見せた。


 食べながらケーキの話と、ネックレスの話を互いに交互にして、

「大人のケーキにしたかったから少しビター目なんだけど、甘い苺が手に入ったから、それを

 アクセントにしてみて、飴も甘いから丁度良いかなって? どうかな」

「オレ甘すぎるケーキは苦手なんですけどこれくらいだったらすごい好きですね。

 いやーそのネックレス買ったときすごい親切に店員さんがしてくれて、良い物が選べて良かったです。ハート形は初めて送るなら辞めた方が良いかもしれませんね、とかいろいろ――」

 彼は隠し事は全く出来ないようで、そこは彼女に伝えなくても良いだろうという所まで、

 懇切嬉しそうに話して、彼女もそんな彼を頑張ってくれたんだなーと暖かい気持ちで受け容れることが出来た。


「ご馳走様でした。美味しかったです! 先輩のケーキすごい好きだな~ ありがとうございました」


 彼は飴の欠片も残さず綺麗にケーキを食べ、

 彼女も程なく食べ終えて、


「お粗末様でした。綺麗に食べてくれて嬉しい」


 今ならいつもより幾分素直な気持ちで話せそうだった。

 ケーキのお皿を片付けて、二人で紅茶を飲んでいてふと、


「……ねぇ、小野寺君、このネックレス。今着けても良いかな?」


 と問われ、カチャリと音を出して紅茶のカップを置いてしまった。


「ええ、どうぞ」


 彼女は再びそっと箱を開けて、ネックレスを手に取り、しばらくしてから、

 きゅっとペンダントトップを握って、彼の方を見つめ、


「ね、その、着けて貰ってもいい?」


 躊躇いがちにそう訊ねた。


「え、オレが?」


 こんなことがよくあるからだろうか、彼は店員さんにはプレゼントする前段階でそういえばネックレスの付け方まで指導されていた。他に誰が居るのよとは言わない先輩は、ちょっとだけ恥ずかしそうにして彼の返事を待っている。


「――はい」


 と言ってから彼女の後ろに廻ると、

 お願い、とネックレスを渡され、

 彼女は長い髪を片手でするりと抑さえ、斜め下を向いている。

 白いうなじに少し紅みが差していて、彼女も何とか興奮を隠しているんだと云うことは伝わる。

 思えば彼女にこんなに近づいたことはなかったし、

 ネックレスを首に回して着けるときに、彼女の首筋に指先が触れ、

 そう言えばこれが初めて彼女に触れる事になる機会だったと気付く。

 近づいた彼女の髪からはチョコとは違う甘く華やかな香りがしていて、

 あんまり近すぎて緊張しすぎていたから、そういう所は目に入らないんだろうと思っていたのに、

 上から見下ろした彼女の白いVネックのセーターのブイの字が降りたその先に、

 赤いブラジャーのラインが見えてしまい、焦って2回ほど留め具をかけ損なった。


「あ、掛けられました」


 なんと阿呆な声しか出なかった気もするが、

 彼が彼女の後ろの立ったままそう言うと、

 彼女はそのまま斜め上を見上げて後ろを向いて彼の眼を捉え、

 胸元を押さえ、


「どうかな?」


 クローバーは彼女の胸の斜面に載っている。

 相変わらずブラのラインは見える位置なだけにドキドキしながら、


「あのっ……似合ってます」


 精一杯で言うと、


「ありがとう。小野寺君」


 と言ったのに続けて、


「そういえば、今触れてくれたのが初めてだったね」


 と彼女も解っていたようで恥ずかしそうに呟いた。


「そうですよね、オレもそうだなって。手も繋いだこともなくてその――」


 どう言ったらいいものかと思っていたら、その姿勢のままで彼女が彼に抱きついた。

 最初はパニックになったが、彼も彼女の頭に手を回してすぐに抱き締め返す。

 しばらくそうしてから、彼女が上を向いて、


「私には優しくて素敵すぎるかも」


 と言って微笑んだ。


「あの、先輩だって優しすぎて可愛すぎます」


 と言って返す。


「先輩じゃなくって、二人きりの時はユキでいいよ」


 抱き合ったまま彼女が言うので、


「解りましたユキ……さん」

「ありがとう、太一君! これからもよろしくね」

「はい、こちらこそ」


 もっと二人で仲良くなって行けると良いなと思う初めてのヴァレンタインだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る