ヴァレンタインデー短篇SP:チョコと幸せの対価

Hetero (へてろ)

第1話 ヴァレンタインの前の週の

 小野寺太一と冬樹雪が付き合い始めてから初めての年末年始を経て、

 ヴァレンタインの前の週になった日のことである。


 今年に入ってから二人の距離は意外にも速いペースで近くなってゆき、

 冬樹は小野寺の住むアパートにも気軽に出入りするようになっていた。

 半同棲だねなどと二人ともテンションも上がったのだが、

 まだ互いに手を繋ぐ程の肌の触れ合いさえもしてはおらず、

 ただ今の時間が楽しい、とそろそろもう一歩近づきたいな、とが入り交じる時間を焦らして過ごしていた。


「ただいまー」


 二ヶ月前まではその声に返事はなかったのだけれど。


「あ、小野寺君お帰りなさい、バイトお疲れさま」


 と優しい声が返ってくる。

 玄関続きのリビングから顔を覗かせて、迎え入れてくれる彼女は今日はバイトが休みで、

 何やらリビングの机で作業していたみたいだった。

 目線が合うと互いに少しだけ意識してしまうが、学生の分際としては上出来過ぎる

 半同棲生活なんて響きが頭に過ぎって、太一の方も、雪の方も内心嬉しくなってしまう。

 靴を脱ぐのに背中を向けるときも、その背中に視線が感じられるのは嬉しく暖かく、

 立春を迎えたからではなく人生の春なんだよなぁと心が綻んでしまう。

 彼の背中に視線を留めていた彼女もまた、嬉しい気持ちを抑え、降ろした黒髪を耳に掛ける。

 彼がゆっくり立ち上がって後ろを向いたときも視線が合ってしまう。

 柔らかい彼の目線を受けつつ、彼女は今やっていた作業のことを思い出し、

 今年は頑張らなければと思う。


「先輩、今日はバイト無かったんですね、ん? リビングの机で何かやってたんすか?」

「うん、ちょっとね」


 二人でリビングに戻り、太一が机上の画用紙を見る。


「コーヒー、淹れるね、しまってある場所覚えたんだ~」


 嬉しそうに言う彼女。

 机上の画用紙を手に取り見つめる彼、そこには色鉛筆を使って綺麗に描き出された、

 ケーキのラフがあった。


「ケーキのデザインなんかも先輩がするんですかー?」


 コーヒーメーカーにフィルタを付けつつ、彼女は恥ずかしそうな目線で彼に答える。


「うん、そうなんだけど、それはお店に出すやつじゃないよ」

「ていうと?」


 ラフは3,4枚あって、どれもチョコレートケーキのようだ。

 デザインはそれぞれ違うがどれも美味しそうだし見た目もすごい華やかだった。


「その、今年のヴァレンタインに、あなたに、小野寺君に食べて貰うケーキを、デザインしてたの」


 その言葉にビックリしてちょっと躍び上がってしまったが、

 単純に彼女にケーキが作って貰えるなんてことが想像以上に嬉しくて、

 すぐに嬉しさが爆発してしまいそうだった。


「ホントですか!? ありがとうございます」


 彼は満面の笑みで、彼女に向かって一礼までした。


「えへへ、そんなに喜ばれると恥ずかしいよ」


 彼女はコーヒーを二人のカップに注ぎつつ小声で返した。


「いやー、うわー、ホントにすっごい嬉しいなー!

 オレ、ヴァレンタインデーとか期待してたことなかったんですけど、今年はいきなりすごいなー!!」


 椅子に掛け、それぞれのケーキのラフを見比べて見ている彼は本当に嬉しそうで子供のようにはしゃいでいる。

 コーヒーカップをふたつ手に持って、彼女が彼の前に片方を差し出す。


「はい、どうぞ」

「先輩、ありがとうございますー」

「ふふふ、そんなに喜んでくれるなんて、私も嬉しいな」


 彼女が反対側の椅子を引いて席につき、カップを両手で包むように持ちながら、


「あのね、ホントは当日までヒミツにしようかなとも思ったんだけど、

 どのケーキが良いか、小野寺君に選んで貰いたくて、まだデザインだけど……」


 彼女はケーキ店でバイトをしているが、バイトだけに留まらず、

 高校の時から働いていて、調理師の免許も取ったのもあるだろうけれど、

 デザインなんかもしているらしい。

 お店ではヴァレンタインのチョコケーキは量産品かも知れないが、

 彼女が彼に提示してくれている物はどれもオーダーメイドで、

 恐らく彼女がクリスマスケーキと同様に彼女の手で持って作ってくれるのだろう。


「悩みますねー、どれもすごい素敵っす。それに先輩のイラスト、すごい好きです」


 何気ない会話の端々だけど、好きとかそう言う言葉を入れられると彼女も胸がときめいた。


「そ、そーかな」


 イラストから視線を上げて、彼女の顔を見ると、彼女はすごい優しい顔で破顔していて、

 あ、今の好きって言葉か、と彼もなんとなく解る。

 今度は彼女の視線を捕まえた状態で、


「はい、すごい好きです」


 と、彼が屈託無く言うと。

 彼女はそのやりとりにしてやられたことを理解して、


「――ありがと」


 溜めてからゆっくりと呟いた。

 とっておきの笑顔付きで。

 二人にとっての初めてのもうすぐやってくるヴァレンタインは良い日になるだろうなと

 二人とも思った。

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