#16 壊れたらいっそ粉々にすればいい
「うわぁ!!」
僕は布団からガバッと起き上がった。
額や体には汗が滲み、心臓は大きく動いていた。肩で呼吸をしながら辺りを見ると、いつもの朝じゃないことに気がついた。
ああ、そうだ。昨日、彼女の家に泊まったんだった。
ふとベッドの隣に敷かれた布団に視線を移すと、彼女の後ろ姿が見えた。毛布が静かに膨らんで縮むのを繰り返していた。夜遅くまで僕の看病をしてくれていたんだ、ゆっくり寝かせておこう。
昨夜までの熱っぽさや息苦しさが嘘のように軽くなっていた。枕元に置かれた体温計で測ると、熱は37℃台まで下がっていた。だがしかし、大事をとって午後から出勤しよう。
彼女が起きてしまわないようにそっとベッドから出て、トイレの中で会社に電話をした。電話に出たのは事務の山田さんだった。
こんな忙しい時期に半休だなんてと怒られるんじゃないかヒヤヒヤしたが、予想に反して山田さんは心配してくれた。無事に午後から出勤できるようになり、僕は安堵して電話を切った。
そしてトイレから出ると、布団の方からか細い声が聞こえてきた。
「晴翔さん、起きてたんですね。ゴホッ、ゴホッ」
彼女は布団の中からひょこっと顔を出してこちらを向いていた。
「ああ。ごめんな、起こしてもうて。寝ててええよ。俺、半休取ったからお昼までおるし、気遣わんでええよ」
僕は彼女に微笑んでベッドに腰掛けた。
「それより……ゴホゴホッ、具合はどうですか?」
「だいぶ下がったからもう大丈夫や。てか、風子ちゃん大丈夫?さっきから咳しとるけど」
「起きたらなんだか咳出ちゃうようになって。たぶん、寒暖差アレルギーってやつかな。私、空気冷たいと咳出ちゃうんです。ゴホッ、ゴホゴホッ」
「寒暖差アレルギーちゃうと思うけど……」
僕は彼女の枕元にしゃがみ、覗き込んだ。
顔を近づけると、蒸気したように頬がほんのり赤くなっていた。
彼女の額に手を当てると、驚くほど熱を持っていた。
「熱っ!風子ちゃん熱あるで!!ちょっと熱測ろ」
「え?熱なんてないですよ。寝てたから体温上がってるだけです」
ベッドに置きっぱなしにしていた体温計を手に取り、彼女に手渡した。
ピピピッ……
電子音が鳴り、彼女は脇から体温計を抜き取った。そして、表示を見て慌てたように体温計を素早く枕の下に隠した。
「へっ、平熱でした!なんでだろ?おでこがちょっと熱かっただけかな」
「なに隠しとんねん。ちょっと見せてみ。平熱やったら隠す必要ないやろ?」
僕は無理矢理枕の下に手を入れ、体温計を取り出した。
「えっ、40℃?!あかんて!めちゃめちゃ熱あるやんか!!」
「違う!ごっ、誤表示!体温計がおかしいだけです!!実家から持って来たやつだから古いし壊れてるのかな?私、ほんと熱なんかないでゴホゴホッ、ゴホ」
いくら誤魔化しても彼女の咳は止まらず、僕は某時代劇で悪党に印籠を見せつけるあの名シーンのように、彼女にもう一度体温計を見せた。
「誤表示ちゃう!間違いなく熱あるやん。俺のせいや。うつしてもうてごめん」
「だから、違いますって!熱なんかありません!!」
そう言って、彼女は布団の中から勢いよく立ち上がった。
「ほら、このとおり!今日も風子は元気で……」
しかし、立ち上がった瞬間大きくよろけ、彼女は後ろに倒れた。
「風子ちゃん!」
彼女の体は床に向かって落ちていき、僕は咄嗟に手を伸ばした。彼女の後頭部が棚にぶつかりそうになった瞬間、間一髪のところで僕の腕に引き寄せた。
安堵した瞬間、僕は足を滑らせ彼女を包み込んだまま布団に落ちた。布団の上とはいえ、派手に尻餅をついたせいでじんわりと痛みが残った。痛みと引き換えに、幸い彼女は僕の腕の中に収まっていた。
「風子ちゃん大丈夫か?」
「ごめんなさい。バランス崩しちゃいました」
「どう見ても倒れたようにしか見えへんかったで。やっぱ熱あるで。ほんまに無理したらあかん」
「熱じゃないです。低血圧なのに急に起き上がったから、めまいしただけです」
彼女は無理に笑って僕の腕から出て行こうとした。僕は彼女をギュッと腕の中に閉じ込めて説得した。
「もうええって。そないバレバレの嘘言わんといてよ。もう無理に元気な顔せんでええから。とりあえずもっかい測ろ。そしたら、ほんまかどうかわかるやろ?」
僕の問いかけに彼女は観念したように静かに頷いた。そのまま彼女を布団の中に戻し、脇に体温計を挟ませた。
ピピピッ……
電子音が鳴り表示を見ると、先程と同じ40℃と示されていた。
「ほら。間違いちゃうやんか!!別に隠さんでええから寝とき。でも、こんなに熱あったらインフルかもしれへんから、念のため病院行こか。あっ、でもまだ病院開いてへんよな……」
そう言って僕はベッドの上のスマホを手に取った。すると、空いた僕の左手を掴んで彼女は言った。
「大丈夫。病院に行かなくていいです。前にインフルになったことあるから、わかるんです。絶対インフルじゃないから、薬飲んで寝てたら平気です」
その、まっすぐな目。どこかで見た。
「いや、風子ちゃん医者ちゃうやろ。決めつけはあかん。インフルやなくてもそない熱あったら心配やし、とりあえず行こ。俺も一緒に行くから安心して」
「行かなくていいです。だるいから横になってたいし、本当に大丈夫です」
静かにキュッと、僕の手を掴んで離さない。
「いや、でも」
「いいから。まだ寝ていたいの」
息を吞むほど美しく、切ない瞳。
「とりあえず、様子を見させてください」
心臓までキュッと掴まれたように、苦しくなる瞳。
「だから、ご心配なく」
泣いていないはずの君が泣いて見える。赤い涙を流して。
「わかった。いま、水持ってくるから」
僕はそれ以上言えなかった。
そういえば、僕たちが出逢った日。駅で彼女を助けたときも同じ目をしていた。
瞳にどこか寂しさを浮かべた女の子。放っておけないような危うげな瞳。
けれど、話してみると印象は変わった。目を細くしてふにゃっと柔らかく笑う、どこにでもいる女の子。
倒れた人を助けた、ただそれだけのこと。だから、その場限りもう会うことのない人になるはずだった。
なのに、その瞳は僕の手を掴んで“行かないで”と言っているような気がした。
そして、気づけば彼女は僕にとって大切な人になっていた。
いますぐ助けたいのにそんな目をされたら、僕はなにもできないじゃないか。
どうして……
彼女の額に冷たいジェルシートを貼り薬を飲ませた。コップの水を飲みきると、彼女は布団を頭からかぶり僕に背を向けた。
時計の針は8時を半分過ぎようとしているところ。なにもできず、僕はまだ少しだるい体を再びベッドの中に潜らせた。隣の布団から苦しそうに咳を何度も繰り返す声がする。
胸が締め付けられる想いのまま、僕も彼女に背を向けた。
再びアラームで目が覚め、隣の布団に視線を移すとすやすやと寝息を立てていた。
僕は静かに起きバスルームに向かった。手短にシャワーを済ませ髪を乾かした。
身支度を済ませて、眠る彼女を残してそっと部屋を出た。そして近くのコンビニに向かい、買い物をしてアパートへと戻った。
合鍵を挿し込みドアを開けると、ブランケットに包まったまま玄関マットにちょこんと座る彼女がいた。
「おかえりなさい」
「ちょっ!なんでここおんねん?」
「なんにも言わないで出て行くから。晴翔さん、怒っちゃったのかと思って」
僕は靴を脱ぎながら彼女に言った。
「怒ってへんよ。ちょっと買い物行っただけやで。風子ちゃんは心配性やな」
そう言って、僕は彼女の頭を撫でた。
「それより風子ちゃんにゼリー買うてきたで」
僕がレジ袋を見せると、彼女の顔色がパッと明るくなった。
「嬉しい。ありがとうございます」
「こんなとこおったら治らんで。はよお布団戻り」
彼女は僕に手を差し出して微笑んだ。
「連れてってください」
「しゃーないな」
レジ袋をキッチンに置いて、僕はブランケットごと彼女を包むように持ち上げてベッドまで運んだ。
頬は火照り熱に侵され潤んだ瞳が苦しそうだが、それに反して彼女は僕の腕の中ではしゃいでいた。
「いまからこっちで寝るんやで」
ベッドに下ろして布団を掛けていると、彼女は寂しそうに僕に言った。
「晴翔さん、もう行っちゃうんですか?」
「あと30分くらいはいられるで」
「よかった。じゃあ、たっぷり看病してもらお」
僕は時間が来るまで彼女のそばにいた。大したことはできなかったが、彼女は心なしか穏やかな表情になり睡魔で目がとろりとしていた。
部屋を出る時間が近づき、繋いだ手を離そうとしたとき彼女は名残惜しそうに言った。
「晴翔さん。なにかあったら連絡してもいいですか?」
「ええよ。てか、なんもなくても連絡してええから」
「やった。お仕事の邪魔にならないようにしますね」
そう言うと、彼女は嬉しそうに僕の手を握り返した。
「あのさ、仕事終わったら風子ちゃんち来てもええ?」
「いいですよ。でも、ウチ来たら風邪うつっちゃいません?晴翔さんせっかく良くなったのにそれじゃあ……」
彼女は心配そうに僕を見た。
こんなときまで僕のことを……
僕は握ったままの彼女の手を両手で包んだ。
「俺のことより、いまは自分の心配したらええんとちゃうか?風子ちゃんのことが心配なんや。それに、俺がうつしてもうたわけやし。そこは責任持って風子ちゃんが良うなるまできっちり面倒見たいねん」
「でも、忙しいんだし、私のことは構わずゆっくり休んだ方がいいんじゃ……」
あれ?この感じ、前にも同じようなことあったよな。
「構へん構へん。風子ちゃんに会えたら疲れもふっ飛ぶねん。はよ風邪治して俺に穴埋めさせてくれよ。クリスマス過ぎてまうけど、二代目として風子ちゃんを笑顔にしたいねん」
そういえば、初めて会ったときに少し似ている。
カフェで僕が二人分の勘定を済ませようとしたとき、なかなか払わせてくれなかった。あのときは説得するの大変だったな。
真面目すぎるところは彼女の良いところだけど、いまは僕をもっと頼ってよ。
「そんな優しいこと、いま言わないでください」
彼女は瞳を潤ませ、溢れた涙を指先で拭った。
「別に泣かんでもええやろ。心配やから一緒におりたいだけ」
「ありがとう、晴翔さん」
泣き虫の彼女にティッシュを渡しながら、僕の口からふいに言葉がぽつりと零れた。
「同じ部屋におんのに、隣に風子ちゃんおらんとやっぱあかんな。なんか昨日はよう寝られへんかった」
こんなこと言うつもりなかった。けれど、彼女の涙を見ていたら、なんだかつられてひとりごとみたいに寂しさが溢れていた。
「私も昨日はなんだか落ち着かなかったな」
そう言うと、彼女は天を仰いでどこか寂しそうに笑った。
「晴翔さんがいるのに、隣がぽかぽかしてなくてすごく寒かった。だから、珍しく風邪引いちゃったのかな」
僕は彼女の零れ落ちた寂しさを拾い集めるように微笑んだ。
「具合良うなったらまた一緒に寝よう」
「はい。もちろん」
「約束やで。じゃあ、そろそろ行くわ」
そう言って、僕は繋いだ手を離し立ち上がった。そして、カバンを持って玄関に向かおうとすると、彼女はベッドから起き上がろうとした。
「待って。私も玄関まで行きます」
「ええから。見送らんと寝とき」
「でも、心配ですから」
「心配なのは風子ちゃんの方や。ちゃんと鍵掛けてくから、安心して眠り」
彼女は申し訳なさそうに言った。
「車とか気をつけてくださいね」
「ほんま心配性やな。子どもちゃうんやから大丈夫や。残業せんと帰って来るから」
僕は彼女に布団を掛けて頭を撫でた。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
玄関に向かい、僕は部屋を出た。
彼女の部屋がどんどん遠ざかっていく。心配と寂しさが入り混じって喉の奥がちょっと苦しいような感覚のまま、僕は電車に乗り会社へと向かった。
なぜだろう。今日はふしぎと出逢った日のことを思い出す。
それに意識なく言葉が出てしまうなんて。心の声が漏れるなんて、今までなかったのに。
彼女の涙の前だと、僕は裸同然になってしまうな。
そんなことを思っているうちに電車を乗り換え、あっという間に会社の最寄り駅に着いた。改札を抜けて階段を登ると、いつもの景色が広がっていた。
けれど、僕の頭の中はいつもと違って、彼女のことでいっぱいになっていた。
あかん、仕事や。切り替えな!
デスクワークをしていると、彼女からメッセージが届いた。周囲にバレないように合間を見てやりとりをした。
〈いま、晴翔さんが買って来てくれたリンゴジュース飲んでます。ちょっとだけ元気出てきました!〉
《そんならよかった!もっと時間あったら皮むいて食べさせたかったんやけどな》
〈ジュースでも嬉しいですよ。でも、食欲出てきたら晴翔さんのむいてくれたリンゴ食べたいな〉
《なんぼでもむいたる!風子ちゃんには特別にウサギさんのリンゴにしてあげる。もちろん、可愛すぎて食べられへんくらいめっちゃ可愛いやつやで》
《てか、眠たないの?》
〈ふふふ。晴翔さんのウサギちゃん楽しみにしてますね〉
〈うん。なんだか苦しくて眠れない〉
《大丈夫?急いで帰るから病院行こ!》
〈大丈夫。たぶん薬がまだ効いてきてないのかな?〉
《いや、薬飲んだの午前中やんか。もうとっくに効いてるはずやけど、なんでやろ?ちょっと心配やから、定時になったら急いで帰るから待ってな!》
《あっ、食べたいもんとか必要なもんあったら言うてな》
〈うん。ありがとう〉
《そういや、プリンなら食べれる?風子ちゃんの好きなやつって、ひよこさんやったっけ?それともウシさん?》
僕がメッセージを送った後、定時の時間になっても既読にならなかった。
きっと薬が効いて安心して眠ってしまったのだろう。
僕は宣言通り定時で上がり、一旦自宅に戻り明日の分の服などを持って、歩いて彼女の部屋と向かった。途中、スーパーに寄って簡単な買い物を済ませてようやく彼女の待つアパートに着いた。
僕の手から振り子のようにゆらゆらと揺れるレジ袋を見て、ひとりほくそ笑んだ。
これで祖母直伝のレシピの栄養たっぷりなお粥も食欲が戻ってきたときに食べさせる可愛いウサギのリンゴも準備万端だ。愛情たっぷりの料理と献身的な看病をすれば、すぐに元気になるだろう。
僕たちだけのちょっと遅めの熱くてスペシャルなクリスマスナイトのために二代目サンタが頑張らなくては!
そして、彼女の中でクリスマスが穏やかで幸せな冬の日になるように。
思いを巡らせながら階段を上がろうと片足を掛けたとき、僕は大事なことに気づいた。
「あかん。プリン買うてくんの忘れた。まっ、また出掛けたらええか」
階段を上がりドアの前に着くと、キッチンの窓は真っ暗だった。
ぐっすり眠っているんだろう。
コートのポケットから合鍵を取り出し、ドアを開けた。
「ただいま。風子ちゃん、寝とんのか?」
ひんやりと冷たく暗い部屋。なんだろう、この気持ち悪いくらいの静寂は。なんとなく嫌な予感がした。
電気を点けて、乱雑に靴を脱ぎ、急いでキッチン前のドアを開けた。
そこにはカーペットの上で横になっている彼女がいた。
「風子ちゃん!ちょっ、こんなところで寝たらあかんやろ!」
僕が抱きかかえると、彼女はゆっくりと目を開いた。
「あっ、晴翔さん。おかえりなさい」
「おかえり言うてる場合ちゃうで。どないしたん?」
僕が言うと、彼女は無理におどけて笑顔を作った。
「トイレから出てベッドまで歩いたはずなんですけど、力尽きちゃったのかな?てへ♪」
「てへ♪とか普段言わへんやろ。可愛く言うてるけど、結構やばいで。無理せんでええから」
幸い怪我がなく安堵していると、腕の中の体温が気になった。コート越しからも直に伝わるほど、彼女の体は熱を帯びていた。
「なあ、出掛ける前より体熱なってる気するんやけど?」
「気のせいですよ。外が寒かったからそう感じるだけなんじゃないですか」
彼女をベッドに戻し、体温計を脇に挟ませた。
「ほんまか?」
額に手を当てると、触れただけでわかるほど熱くなっていた。
「熱っ。気のせいちゃうで」
冷却シートも端の方がペラペラになるほど固まって浮き上がり、全体的に乾燥して冷却成分がどこにもなくなっていた。
新しいシートに貼り替えたところで体温計が鳴った。
ピピピッ……
体温計を脇から抜き取ると、画面には41℃と表示されていた。
「上がってる。病院行こ」
「イヤ。行きたくない」
彼女は力なく言って、僕に背を向けた。
僕は背中越しに彼女を説得した。
「なに言うとんねん。こんだけ熱あんのにそのままでいられへんやろ?」
「少し寝れば落ち着きます」
彼女は肩まで深く布団に潜る。
「寝てこれやん。てか、気失ってたんやで?ほんまあかんて」
「それは、ただの貧血です」
彼女は僕を遠ざけるように、壁にピタッと体をくっつけた。
「あほ!貧血がこんな熱出して苦しそうにしてるか?」
「少しすれば落ち着きます」
「少し寝れば?少しすれば?!さっきからなにごちゃごちゃ言うとんねん!時間経ってようなるんやったら、とっくに熱下がってるって。ええから行くで」
起き上がらせようと肩に手を掛けると、彼女は僕の手から逃げるように頭から布団をかぶった。
「なあ、自分の状況わかってる?」
「わかってます」
「それやったら、なんで?」
「行きたくない。それだけです」
僕はため息混じりにミノムシみたいに丸まった彼女に言った。
「俺の体やないし、別にええけど。でも、いま正直しんどいんとちゃうか?なあ、ほんまにそのままでええの?」
「いい。病院に行くくらいならずっと辛いままの方がマシです」
僕はミノムシの頭のあたりを覗き込んだ。
「俺も一緒に行くから大丈夫やって!せやから、はよ病院行こ?」
彼女は布団の中から消えそうな声でつぶやいた。
「イヤ。よりによってなんで今日……」
「クリスマスやからか?そんな場合ちゃうやろ。ええから、とりあえず病院行こ」
僕の言葉の後、彼女はガバッと勢いよく布団をめくりこちらを睨んだ。
「しつこい!苦しいのも辛いのも自己責任。すべて望んでしてることなんです。もう、ほっといてよ!!」
「ほっといて良くなんのか?もっと悪なったらどうすんねん!」
「別にいいの!晴翔さんには関係ないでしょ!」
「関係あるわ!俺の女が苦しんでんのにほっとけるわけあるか。ええから行くで」
彼女は涙目になって少し早口で僕に畳みかけた。
「出てってください。こんなわがまま言って困らせる彼女イヤでしょ?嫌いになりましたよね?病院行くくらいなら、別れてもらって結構です」
「めんどくさっ。風子ちゃんがこんな子やと思わへんかったわ。でもな、こんくらいで別れようなんて一切思わへん!いくら嫌われても構わへんから、風子ちゃんのこと病院に連れてく!」
感情的になって彼女の手を強く握り連れて行こうとすると、彼女は僕の手を強く振り払った。
「出てって!晴翔さんのこと嫌いです。もう私なんか……ほっといてください!!」
彼女は目を真っ赤にして涙を流して僕に言い放った。
「わかった」
そう言って、僕は静かに玄関へと向かった。
玄関のドアを開ける前、彼女に背を向けたまま僕は言った。
「もし俺が風子ちゃんのお父さんやったら、こんな娘の姿見たないわ。自分のせいで娘まで死んだらイヤや」
僕は下駄箱の上に合鍵を置いてドア開けた。バタンと冷たく虚しく閉まるドアの音が背中越しに聞こえた。
階段を降りる僕の足音が鍵盤の端の低い音みたいに僕の脳内に重く響いた。音はどんどん重なっていき、不協和音が鳴り響いた。
こんな音聞きたくなかった。
ドアが閉まる瞬間、彼女のすすり泣く声が聞こえた。
“置いてかないで”と言っているような気がした。けれど、振り向かず僕はドアを閉めた。
こんな声聞きたくなかった。
心臓のあたりをギュッと絞めつけられ息のつけないほど苦しかった。
彼女の部屋がどんどん遠ざかっていく。目の奥から痛みを堪えるように滲んだ涙が溢れてきた。無色透明の液体が赤くなって頬を滑っていく感覚がした。
こんな想いしたくなかった。
けれど、こうするしかなかったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます