#11 二人のベッド②

 彼女はフレンチトーストを黙々と食べていた。

 少しでいいと言っていたのに、だいぶボリュームのあるフレンチトーストをもうすぐ完食しそうだ。相変わらず、気持ちの良い食べっぷり。

 それに比べて僕はフレンチトーストの半分くらいのチーズケーキ。

 コーヒーと一緒にちびちびと食べて、まだ残っている。

 マスキュリンな彼女、フェミニンな僕。自分で自分が情けない。豪快でいかにも男らしい男になりたかった。


「風子ちゃん、おなか空いてたんか?」


「そこまで空いてないです。でもほら、働いた後って糖分欲しくなりません?」


「まあ、疲れた後の甘いものって染みるもんなあ。そういえばさ、この後どうする?まだ時間あるし、どこでも行けるで」


「う〜ん。じゃあDVD借りて、この間行った定食屋さんでご飯食べて、スーパーに寄って、晴翔さんちに帰りませんか?」


 シンプルすぎる希望に僕は驚き、思わず飲んでいたコーヒーが気管に入りそうになる。


「えっ!?ゴホゴホッ……そんなんでええの?まだ6時前やで。気遣わんでええから、行きたいところ言って」


 彼女は僕の背中をさすりながら話し、心配そうに覗き込んだ。


「もう、晴翔さん大丈夫ですか?私は気なんて遣ってません。明日も一緒なんだし今日は二人でゆっくりして、行きたいところは明日にしませんか?」


 僕は背中をさする彼女の手をそっと掴んで、テーブルの上で握った。


「うん、ありがとう。風子ちゃんがええなら、俺はええよ。でも、今日もあそこの定食屋でええの?せっかくやし、お酒飲めるとことか……」


 言い終わる前に彼女は笑顔でキッパリと話し、握る手をそっと解いた。


「今日はいいです。ちょっと貧血気味なので、晴翔さんにまた迷惑かけちゃうといけないし」


 今日の彼女はなんだか変だな。緊張してるのかな?少し避けられてるような気がする……


「大丈夫?具合悪いんやったら、すぐに帰るか?」


「そこまでじゃないので、全然大丈夫です!」


「そうか。じゃあ、ちょっと落ち着いたらDVD借りに行こか?」


「行きましょ!晴翔さんはいつもどんなの観るんですか?」


「なんやろ?気になったらジャンル問わず観るで。あっ、ホラーとかも一人で観るなあ」


 彼女は驚き、眉をひそめた。


「えっ!?一人で観れるんですか?私、絶対無理です!興味はあるんですけど、観たらお風呂入れなくなっちゃいます」


「そんなん入ってから観たらええやん」


「それならお風呂は入れますけど……でも、寝るとき怖いじゃないですか?」


 ホラーの話になったら、彼女はいまにも泣き出しそうな子どもみたいな顔でわかりやすいくらい怯え出した。


「風子ちゃん、怖がりなん?あんなん作り物やで」


「作り物ですけど、本当に出て来たら怖いじゃないですか!」


「まあ、びっくりはするやろな。でも、元は俺らと同じ生きてた人やで。そう思たら、なんも怖ないやん」


「そうですけど……じゃあ、晴翔さんは真っ暗にして観れますか?」


「ああ、全然平気やで!じゃあ、今日はホラーでも借りようか?」


「嫌です!絶対無理!!お風呂入れなくなるし、眠れなくなるじゃないですか」


 僕は笑いながら、冗談でバスルームに誘った。


「今日は俺んち来るやろ。そんなに怖いなら一緒に入ろうか?」


いや、本当のことを言えば……冗談が30%くらい。つまり70%本気で。


「それじゃ、晴翔さんに襲われるじゃないですか……」


 怯える彼女を笑わせたくて、僕は幽霊退治の方法を話した。もちろんこれは冗談だ。幽霊なんてそう簡単に退治できるものじゃない。でも彼女が笑ってくれるのなら、僕はなんだってする!


「襲うって、失礼やな。こっちは幽霊から守ろう思ってたのに。あんな、俺と一緒に入ったら風子ちゃん安心やで。よく映画とかである、湯船からブクブク〜て出て来るやつあるやろ?あんなん後ろから抱き締めて入っとけば、俺らで湯船ギュウギュウやから出て来る隙間なくなるし、もしちっちゃい隙間から手でも出して来よったら、俺が引っ張り出してしばいとくから大丈夫やで」


「いやいや、幽霊って隙間とか関係なく出て来るじゃないですか。それに幽霊って透けてるイメージあるんですけど、どうやって退治するんですか?」


 僕は幽霊退治を身振り手振りで演じてみせることにした。カフェの中だから立ってできないし、日々営業で鍛えられた話術と得意の顔芸でも限界が……そうだ、日本の伝統芸能である落語だって座ったまま表現しているじゃないか。それだ!それで行こう!でも、どうしよう落語に詳しくない……そういえば、小さいころ父がよくテレビで落語を観ていたな。そうだ、あの雰囲気を思い出して僕なりの伝統芸能を見せてやろう!


 僕の心の中は熱く燃え、顔はクールに装った。脳内の舞台の楽屋で着物に袖を通し、僕は出囃子の合図で舞台へと向かった。そして、座布団に座り客席に頭を下げ手前に扇子を置いた。

 僕の演目【幽霊退治〜冷たいキミを抱き締めてごらん〜】は幕を開けた。


「そんなん心理戦で勝てるわ。そやな、相手が女の幽霊やったら、包むように優しく両手を握って見つめて一喝してからの強く抱き締める感じの流れやな」


「えっ、幽霊抱き締めちゃうんですか!?」


「幽霊も女の子やからな、いつの時代も胸キュンはてっぱんやろ?うっとりさせな退治できへんからな」


「ずいぶんと胸キュンには自信があるみたいですね……」


「自信はないけど、風子ちゃん守るためなんや!はよ幽霊うっとりさせて、二人のハッピーバスタイム満喫したいねん!」


「ハッピーバスタイム、ですか……えっと、とりあえず退治始めてもらっていいですか」


「わかった!風子ちゃんが湯船浸かってるとこに俺が後ろから抱き締めて入るんやけどな。一応、乳白色の入浴剤入れとるんやけど、お湯ん中ではいろんなとこ密着してるから風子ちゃんが照れてもうて、もっと照れた顔が見たなって俺がキスしようとしたら、風子ちゃんの前あたりがブクブク〜てなったと思ったら急にザバァーて勢いよく青白い手が出て来んねん!そして、その手が風子ちゃんに向かって来んねん!そこで思わず風子ちゃんが「キャーーー!!!」て叫ぶねん」


 僕はテーブルの上のフォークを幽霊の手と見立て、カチャカチャと動かした。扇子がないなら、フォークを使えばいい!


「そんで俺が真剣白刃取りみたいにバッと青白い手を掴むねん。俺は手を掴んだまんま湯船から出て、マグロを釣り上げるみたいに必死に引っ張り出したらずぶ濡れの髪の長い白いワンピースを着た女が出て来んねん。そんで、あっちが俺を襲おうと「うわあーーー」って奇声上げて立ち上がって向かって来んねん。そしたら、その勢いでギュッとすんねん。そこから説得のハグタイムが始まんねん!」


 彼女はまだ僕の演目について来れていないようで、引きつった顔で笑った。苦笑いってこういう顔のこと言うんだってくらいだった。


「説得のハグタイム……すごく良いように言いますね」


 やばい……全然笑ってない。ちゃんとやらないと失笑からの沈黙……最終的には気を遣われて気まずいまま僕の家に向かうことになる。僕が女性なら“つまらない情けないどうしようもない男”と甘い時間を過ごしたいときっと思わないだろう。

 そしてもし、いまここで面白くてかっこいい男が現れたら、すぐに彼女を連れ去られてしまうだろう。

きっとクラブ通いしてそうなサングラスを掛けたイケイケのシュッとした芸人が声を掛けるんだ。


「こんなおもろない男とおらんと、俺の単独ライブに来いよ。もちろん場所は俺の家やけどな♪」


そして、彼女は男の雰囲気に影響され、チャラついた感じに答え、人が変わったようにニコニコと笑いながら悪女のように一撃で打ちのめすような鋭い言葉を言うのだろう。


「マジで!?行く行く!この人全然面白いこと言わないし、飽きちゃった。私面白い人じゃないと絶対イヤ!ということで、おもろな〜い晴翔さん。さようなら〜!」


男は勝ち誇った顔をして彼女の肩に腕を回し、いかにも“俺の女だぜ”と言わんばかりのだいぶ密着した格好で僕を見下ろし、二人は夜の繁華街へと消えて行くんだ……


 うわああああ!!!それだけは絶対に嫌だ!こんな屈辱死んでも受けたくない!例え、全然ウケなかったとしても一生懸命やれば伝わるはずだ!

“つまらない情けないだけど好きな男”くらいには、なんとしても留まらなくてはいけない!!

 北極とアフリカのような激しい温度差を埋めるべく、僕はここから熱の込もった本気の演技に入った。


「力強く抱き締めて、頭を撫でる手は優しくして『あかん!そない俺らのことが羨ましいからって、こんなとこ出て来たらあかんで!妬んでる暇あったら、はよ成仏して来世でええ男と幸せになった方がええよ!君みたいな優しい子に、妬み嫉みの感情なんか似合わへん!こんなに美人なんやから笑ってる方が可愛いで!……えっ、私のなにがわかるのよ?ああ、わからへんよ!わからへんけど、野生の感や!俺かて30年間ただ生きてきたんとちゃうねん!伊達にいままで姉ちゃんたちにコキ使われてきたんとちゃうねん!いまでもな、実家着いたと同時に“リモコン持って来て〜”とか、“ボサッとせんとはよ夕飯の手伝いして”とか、着いてすぐ言われんねんで!玄関ちゃう、門に手掛けた瞬間や!どんなセンサー着いてんねん。おかげでここ何年もただいま言うてへんわ。姉ちゃんたちからしたら、ええ下僕が来たしか思ってへんで。そんな男やで。なあ、説得力あるやろ!……おお、そない笑わんでも。いやいや泣かんでもええって!……かわいそう。ずいぶん苦労してきたのね。私よりもずいぶん辛い思いしてきたのね……って、自分では可哀想思ってへんし。そない同情せんでも。ちょっと〜俺めっちゃ可哀想な子みたいになってるやん。なんやねん、君。泣いたり笑ったり忙しいなあ……妬んだりしてごめんなさい。私、あなたのこと好きになっちゃった。この後、一緒に飲みに行かない?あなたと夜景の見える部屋で朝までたっぷり話したいなあ……って、おいおい!気持ちは嬉しいけど、この後大事な予定があるから行かれへんわ。そこにいる俺の彼女と朝まで徹底討論せなあかんねん。議題はもちろん愛について。どっかのテレビみたいに夜通し喋っとるから生憎、君との時間はないねん。……私と討論した方が絶対楽しい!二人っきりでずーっと愛の話ができるわ。朝までどころじゃないわ、え・い・え・ん・に♪……って、おいおい!そない上目遣いで俺の乳首触ってきてもあかんで。悪いけど俺まだ生身の人間やし、君みたいな疲れ知らずのハイスペックな人間とちゃうから、体力持たんとすぐ飽きられてまうわ!だから、ごめんな。もし来世で逢うたらたっぷり話聞くな。でもまあ、君みたいな魅力的な子。俺と出逢う前にええ男と一緒になってるんやろなあ。俺なんかすぐに忘れられるで。……あなたって本当に優しい人。あなたみたいな人に早く出逢ってたらこんなふうに……って、そない泣かんでも!なあ、泣いてる暇あったらはよ成仏して生まれ変わろうや!君やったら大丈夫や!もし、ダメやったら俺と徹底討論すればええやろ。俺を滑り止めと思ってくれ!滑り止めあったら、気い楽やろ?ほら、くよくよせんと、はよ行き!もう、俺はええから!次は幸せになれよ〜!』って、嬉しそうに笑う女に手を振って、気持ち良く逝ってもらうやろな」


 舞台上で僕は“お後がよろしいようで”と気持ち良く言い放ち、座布団の上から深々と客席の彼女に向けて頭を下げた。

 そして清々しい気持ちとともに頭を上げると、彼女はぽかーんと口を開け、すっかり圧倒された様子。僕の迫真の演技に感激したのか、彼女は目をキラキラとさせ、周りの客にバレないように控えめに拍手をした。


「すごい……晴翔さん、幽霊と対等に話しちゃうんですね。しかも、女の人相手だから優しい!でも……」


 だが、キラキラと輝く目に少しずつ暗雲が立ち込めてきた。真っ青な空にネズミ色の雲がもくもくと流れてきて空の色を暗くしていくように、眉間に皺を寄せ明らかにご立腹な様子だった。

 なぜだ?あんなに必死になって演じたのに……僕の演技がいけなかったのか?それとも、内容がいけなかったのか?


「優しすぎてすっごく胡散臭い。褒めてるわりに全然心が込もってないし、“相手女やし適当に褒めとけば喜ぶやろ?”って感じに見えました。しかも、お風呂だから……晴翔さん裸ってことですよね?それって私は湯船に浸かりながら、晴翔さんが知らない女と抱き合ってるとこをしばらく見てることになりますよね?なんですか、この状況!!晴翔さんはなんで見ず知らずの幽霊とそんなに楽しそうにお話しできるんですか?お部屋に誘われるし、胸元までいやらしく触られて嬉しそうにニヤニヤしちゃって……晴翔さんの恋愛対象には死人も含まれるんですか?!」


 彼女には“お後がよろしいようで”とはいかなかったようだ。

 これはあくまで演技で、僕の妄想上のことなのに。なんでそんなにあたかも現実の話みたいにムキになって怒ってしまったんだろ。

 あれ?もしかして……彼女は女の幽霊に嫉妬してる?


「なに言うてんねん!生きてる人間だけや!だって、出て来たのがお風呂やったし、一刻も早く成仏させな風子ちゃんに危険が及ぶやろ。相手は幽霊でも女やし、多少胡散臭なっても優しくなだめて気持ち良く逝ってもらわな!てか、さっきから風子ちゃんヤキモチ焼いてるやろ?」


 僕が言うと、眉間に皺を寄せたえんま様のような表情が見る見るうちに真っ赤に染まり、いつもの照れた表情が可愛い彼女に戻っていた。どうやら図星のようだ。嫉妬が見透かされ、彼女は恥ずかしさからますますムキになった。

 怒ってるとき、恥ずかしさを隠したいとき、彼女はいつも少しだけ早口になってしまう。


「ヤキモチじゃないです!けど……裸のまま目の前で知らない女と楽しそうに話してて、こっちは黙って湯船に浸かってて……きっ、気まずいじゃないですか!しかも、急に俺の彼女とか紹介されて女の幽霊に睨まれるし、余計危険じゃないですか!おまけに晴翔さんは裸でそんな……せせっ、せめて大事なところは隠してもらわないと目のやり場に困るじゃないですか!!」


 ヤキモチとそれの恥ずかしさね。これは完全に脳内で二人で浸かるところを想像してたな。


「さっきから裸、裸って。もしかして風子ちゃん、俺のこと想像してたん?まあ、ええ体に思われてたら嬉しいけど、逆にめっちゃハードル上げられてもな〜ちょっと困るなあ。実際見たらそうでもないわってがっかりされたくないしなあ」


「そっ、想像なんかしてません!想像なんか、するわけないじゃないですか!だから、実際見てもがっかりしませんから、ご心配なく!そっ、そういえば!さっきは女の幽霊退治してましたけど、じゃあ、男の幽霊ならどうするんですか?相手が男なら同じようにはいきませんよね」


「そやな、男やと相手に寄っては俺より力あるから、まともにキレたらこっちが負けるやろな。まあ、とりあえず友達になっといた方がええな」


 僕は今度こそ気持ち良く“お後がよろしいようで”と締めくくれるように、再度役者スイッチを入れた。


「今度はお友達になっちゃうんですか!?」


 今度の演目は【幽霊退治〜畳の上の絆〜】だ。幅の広さを見せつけるのには持って来いの演目だ!次こそは彼女から笑いを取れるように、いざ!


「そんでさっきと同じように引っ張り出したら体育大生みたいなガタイのいいTシャツ短パンのずぶ濡れの若い男が出て来んねん。で、相手が動き出す前にとりあえずチョークスリーパーで呼吸困難にして動きを鈍らせて、卍固めで首と肩をダメージ与えて、全裸で技掛けとるから敢えて俺のめっちゃ押しつけて精神的なダメージも与えつつ、ぐったりしてきたら放してやって。そんで倒れた幽霊の隣に河川敷で寝転がるように大の字で横になってな」


 彼女は僕の躍動感溢れる実況に口をあんぐり開けていた。なんだか呆れているようにも見える……


「プロレス技掛けちゃうし、大の字になっちゃうし、さっき忠告したばかりなのに全然隠すつもりないじゃないですか……」


 また彼女は僕の熱の込もった演技から脳内で想像してくれているようだ。いかに観客に想像させられるかが、僕の腕の見せどころだ。ここから彼女を引き込むぞ。


「そりゃそうや。隠してる暇あったら退治せな!そんで同級生に話す感じで『どうや、参ったか。はあ〜俺も若いときは、よう友達とこんなことして遊んどったわ!なんか懐かしいなあ!おまえ結構強かったけど、中学何部やったん?……えっ、柔道?どおりで強いわけや!!おまえ、こんな強かったら来世で金取れるで!おまえ、やったらすぐやで!生まれたらすぐ始めて、中学くらいで全国大会常連組になって、そんですぐ日本代表になって、あっという間に表彰台やで!……おまえも強いからイケるで。いや〜俺はあかんわ!ただのサラリーマンやし、結構平日忙しいし!……仕事なんかええから一緒に世界目指そうや!いや〜俺、世界目指すよりもやらなきゃいけないことあんねん!そう、この子守らなあかんねん。そういや紹介してなかったな、俺の可愛い風子ちゃんや!よろしくな。おい、おまえ!いま風子ちゃんのことエロい目で見たやろ?風子ちゃんに手出したら許さへんで!……なにノロケとんねん。金取ったら世界中の女集まって来んで。いろんな女を毎晩相手できんで!いや〜世界中の女より俺は風子ちゃん相手にできたらそれでええわ。あんな、俺はこれから風子ちゃんと大事な試合があんねん。だからいま、お風呂で体清めて二人で試合に備えてたとこやったんや。俺らの未来がかかった大事な試合なんや!だからな、ごめんけど俺の分まで金取ってな!応援してるから!……ありがとう。俺、おまえのためにも金取るわ!そしたら風子ちゃんと試合したいからおまえ倒しに来るわ!……ちょっ、おまえなに言うとんねん!風子ちゃんと試合だなんて百万年早いわ!残念やけど風子ちゃんには俺がおるから永遠に無理や!でもまあ、また戦ってやってもええで。今度はもっと強なって俺んとこ来いよ!……おう、なに泣いとんねん!来世で会うたらいろんな技教えたるから泣くな、男やろ!俺はええから、はよ成仏せえ!次は俺に勝てるようによう特訓しとけよ〜!』って、ええ感じに仲間になって送り出すやろな」


 今度こそ気持ち良く“お後がよろしいようで”が決まった。すると、彼女はクスクスと楽しそうに笑っていた。そして、客席からは拍手の渦が巻き起こっていた。僕は座布団の上で深々と頭を下げたまま、右手でこっそりとガッツポーズをした。


「今度は友情ドラマみたいな展開でしたね。柔道に掛けたのかわかりませんけど、試合って言ってたことってつまり……そういうことですよね?言葉を置き換えただけで、ただの下ネタですよね」


 まずい。ちゃんと綺麗な言葉にしておいたのに、すっかりバレていた。でも、これだけは一つ言える。愛する人と愛し合う行為を下ネタなんかで片付けてほしくない!!

 僕は彼女に試合について興奮気味に熱く語った。


「下ネタちゃうよ!ほとばしる汗、腕と腕が絡み、肉体が熱く激しくぶつかり合う立派な試合やんか!いい試合やったら友情も愛情も芽生えてよりお互いの仲が深まるし、これって二人にとってめちゃくちゃ大事なことやで!」


 僕の熱さに圧倒された彼女は恥ずかしそうに頬を火照らせた。


「そっ、そんなに熱く語らなくても。お風呂はさすがに恥ずかしいですし、一緒に入る人の手が一番危険だと思うんですけど……そんなに言うのなら、晴翔さんはもし一緒に入ってもいやらしいことしませんか?」


 先ほどの演目で味を占めた僕は二人のハッピーバスタイムを身振り手振りで表現した。これは冗談ではなく本気で誘うつもりで。


「せえへんよ!包み込むように後ろから優しく抱き締めてるだけやし、シャンプーしてるときも風子ちゃんに危険が及ばんように後ろで仁王立ちして見張ってるし、体洗ってるときも後ろとか無防備で危ないから、なんなら俺が風子ちゃん洗ったるわ!でも、俺んちのタオル硬めやからな……せやから風子ちゃんの柔らかい肌が傷つかんようにボディーソープめっちゃ泡立ててやさ〜しく手で洗うから安心して!もはや泡が動いてるようなもんやからほぼ俺の手ちゃうし、綿あめみたいにモッコモコやからなんも見えへんし、恥ずかしないで!それにめっちゃソフトタッチで隅々洗うから美肌効果抜群で、びっくりするくらいすべすべになんで!ほら、ハワイとかにあるスパみたいなもんや!でも、アロマオイルちゃうし泡やからな、まあバブルスパってとこやな!そういう店、ようあるやん!これ、風子ちゃんにとっても悪い話やないと思うで?なあ、映画見たら一緒にお風呂入ろ?」


「ウソつき!いやらしいことするつもりじゃないですか!しかも、バブルスパってまったく聞いたことないんですけど、そういうのって男の人が行くお店なんじゃないんですか?」


「風俗ちゃうよ!だって、よう駅の近くに“アロマ洗体”って書いてあるやろ?!」


「だからそれがそういうお店ですよ!やっぱりいやらしいことするつもりじゃないですか!ひどい。絶対やだ、晴翔さんと入りません!私一人で入りますから!」


 やってしまった。風俗なんてもう何年も行ってないから、すっかり忘れていた。ここまでの苦労が水の泡だ。これじゃあ、せっかく“つまらない情けないだけど好きな男”に留まることができたのに、これで“つまらない情けない下心丸出し男”に降格じゃないか。

 ここで僕はもう一回、幽霊という彼女を弱らせる最強の言葉を発した。


「じゃあ、幽霊に襲われてもええの?」


「それは……お風呂入ってから観れば一緒にいられるでしょ。そしたら、幽霊が来ても守ってくれるんですよね?」


 怒りは一瞬で消え、いとも容易く彼女は弱り出した。そして、僕に甘えてきた。チャンス到来。

 僕は優しく微笑み、低音強めの甘い声で彼女を罠に誘った。


「もちろん。風子ちゃんに指一本も触れさせへんよ。でも、観る前からウワサを聞きつけてお風呂に出て来るかもしれんで?」


 弱みに付け込む姑息な作戦だが、ハッピーバスタイムが実現するのならなんだってする!


「わかりました、お風呂入ってからホラー観ましょう!」


 だがしかし、あっさりとかわされた。彼女はそんな簡単な女じゃなかった。いとも容易く落とせたなんて思った僕が馬鹿だった。


「ええ〜!エステ並みのゴットハンドで洗うつもりやったのに」


「そのかわり、もう一本借りていいですか?ホラーを忘れちゃうくらい楽しいやつ」


「しゃーないなあ。ホラーは俺が選ぶから、風子ちゃんはそっち選んでええで」


「よかった!どれにしようかな?あれ観たかったし、あれも観に行けなかったもんな〜」


 そう言うと彼女は楽しそうにスマホをいじりながら、残りのフレンチトーストを食べ終えた。

 僕はそんな彼女を眺めながら、残りのチーズケーキをコーヒーで流し込んだ。


 僕らはカフェを後にして、レンタルビデオ店でそれぞれDVDを物色していた。

 ホラーを観るとは言ったがそこまで詳しくない。最近もあんまり観てなかったから少し前に大ヒットした和製ホラーにしよう。これならハズレないし、なにより何度も観たからどこでなにが来るかわかる。これなら彼女をいじめるのに打ってつけだ。


 あれ?……気づけば、彼女がいない。先ほどまでずいぶんと声を弾ませ近くで物色していたのに。

 レンタルビデオ店とはいえ、販売も書籍コーナーもある大型店舗。レンタル専門フロアでも広くて品数も多く、その分背の高い棚が多く迷子になりやすい。

 それに彼女はカフェでアニメやら邦画やら洋画やら、いろんなジャンルのタイトルを言っていたから検討がつきにくい。

 とりあえず手当たり次第探すが、新作も話題作コーナーもいない。土曜日の夕方ということもあり、店内は人手で賑わっている。おまけに彼女のような若い女性も多いから、勘違いしそうになる。血眼になって必死に辺りを見渡していると、アニメコーナーから聞き覚えのある声と見覚えのある後ろ姿があった。


「あ〜これもいいなあ!あっ、これも面白かったな!あっ、でもこれも観てみたいし〜!」


 そこまで大きくないから聞こえづらいが、弾んだ声ですぐに彼女だとわかった。後ろからそっと近づき、コートの首根っこを掴む。


「こら、迷子猫。なに勝手にはぐれとんねん。お店の中広いんやから、置いてかんといてよ!めちゃくちゃ心配したで!」


「ごめんなさい。嬉しくてついウロウロしちゃって、気づいたらこんなとこまで来ちゃってて……」


 僕は首根っこから手を離し、その手で彼女の手をギュッと握った。


「すぐどっか行きよるんやから。もう放したらあかんで。次は迷子センター行きやからな。目黒区からお越しの吉川風子さ〜ん♪って、だだっ広い店内に響き渡るで」


「それはやめて!ごめんなさい。もう放しません!」


「絶対やで。それより、風子ちゃんは決まった?」


 彼女は三つのDVDを持って、そのうち一つの作品を嬉しそうに僕に見せた。


「決まりました!これとこれとこれと迷ったんですけど、やっぱりこれかな。さっき、晴翔さんが幽霊の人と友情ごっこしてるの見てたら楽しそうだったから、モンスターの友情もの」


「友情ごっこって、想定の話やで。てか、俺のことまでモンスターにせんといてよ!」


「ふふふ。よく見たら、晴翔さんこっちのよく喋るキャラに似てますよ」


「似てへんよ!俺、こんな変な顔してへんし、もうちょっとカッコイイやつにしてよ!」


「変な顔だけど、可愛いからいいじゃないですか。そういえば、晴翔さんは決まったんですか?」


「おう、決まったで!でも、教えな〜い!」


「えっ、教えてください!すっごく怖いやつだったら嫌です」


「大丈夫やって!そこまで怖ないから。ウチに着くまでのお楽しみ。よし、はよ借りてご飯食べて帰るで!」


「はい、帰りましょう」


 レンタルビデオ店を後にして、電車に乗り、僕の住む街に着いた。僕たちはこの間行った定食屋に入り、向かい合って座り、おかずとサラダを分け合いながら、穏やかな時間を過ごした。

 食事を済ませ近所のスーパーに立ち寄り、明日の朝ごはんの買い出しをした。

 彼女が前を歩き、僕はその後ろをカートを押してついていく。

 手際良く目利きして、さっとカゴに入れていき、しっかり特売品で抑えるところから、普段の彼女を垣間見た気がした。

 こういう姿を見ていると、頼もしいというか安心できる。


「なあ、明日はどんなの作ってくれんの?」


「定番のものです。鮭を焼いて、卵焼きとほうれん草のおひたしを添えて。あと、お味噌汁も作って、もちろんご飯も炊きます」


「美味しそうやな!明日の楽しみにしておくわ。もし寝坊したら、俺が起こしてあげるからな」


「ありがとうございます。でも、寝坊しないようにしなきゃ!」


 買い物を済ませスーパーを出ると、彼女はドラッグストアの前で足を止めた。


「晴翔さん!ちょっと買いたいものがあるので、ここで待っていてくれませんか?」


「ええよ。俺、この辺で待ってるから!」


「ありがとうございます!急いで買って来ます」


 彼女は慌しく店内に消えていった。


 化粧品でも忘れたんかな?歯ブラシはこの間のがあるし、具合悪い言うてたけど薬ならある程度ウチにもあるし、俺んちにないものなんかな?でも、女の子やしお泊まりすんのにもいろいろ必要なんやろな。男みたいにスマホと財布ポケットに突っ込んで出て来るわけにいかんし、大変やな。


 そんなことを思いながら、入り口のあたりから何気なく店内を見ているとレジに並ぶ彼女が視界に入った。

 チョコレート菓子の箱とレースやお花などのカラフルでガーリーなパッケージのビニールの四角い包みを抱えて並んでいた。

 一瞬で気づいた。体調不良、貧血気味、お酒を控える、家でゆっくりしたい。

 そうか、一ヶ月に一回女の子にやってくるやつか。姉たちもそのときになると、同じようなことよく言ってた。男が買わない、男に必要ないものを抱えてるわけだから、そうだよな。


 頭では理解しているが、本音を言えば期待してしまっていただけに……

 それでも来てくれただけで嬉しかった。

 過去に付き合った女性に「女の子の日だから……」と何度かドタキャンされたことがあった。別に泊まりに来たから必ずするわけじゃないし、僕だって相手のことを考えている。一緒にいられれば、それでよかったのに……

 たぶん彼女も僕が期待していることを気づいている。この間のは予期せぬお泊まりで、今日が付き合ってから初めての正式なお泊まり。

 彼女も大人だから男女交際ですることなんかわかっている。

 それでも今日会ってくれている。そして、これから二人で僕の家に帰る。

 レジを済ませた彼女がこちらに向かって来る。真っ青な中身の見えない袋を提げてきた。ここの店は通常透明なレジ袋を使っているから、当然だがデリケートな商品だと真っ青な袋に入れられる。

 彼女は袋からお菓子の箱を取り出し、僕に渡した。


「お待たせしました!これ、待っててくれたご褒美です。映画観ながら食べましょう」


「おお、ありがとう!そういや、さっき甘いやつ買うとくの忘れとったもんな。風子ちゃん、気が効くなあ!」


「ふふふ。それほどでも!」


「ほな、帰るで」


 お菓子の箱をスーパーの袋にしまい、僕は彼女の手を握った。そして、指を絡ませ自分でも先ほどより力が込もっていることに気づくくらいしっかりと繋いだ。


 いつも一人で帰る道を彼女と手を繋ぎ、二人で歩いていく。

 明日の夜まで彼女と一緒にいられる。それだけで僕は充分だ。

 体を結ばなくてもまず先に心を結んでいきたいんだ、彼女とは。

 だから今夜はありったけの理性を使おう。いつか彼女とすべて結んでいけるように、そのための夜なんだ。


だけど、僕は正真正銘男だ。彼女の唇が僕の本能を突き動かさなきゃいいんだが……

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