#4 ヘビに睨まれたカエル

「皆川くん、今日どうしたの?」


 事務のボス……いや、事務のアネゴの山田さんがお茶を出してくれた。


「ありがとうございます。何がですか?」


「いつもより戻って来るの、遅かったじゃない。何かあったの?」


 とっても嫌な予感……

 アネゴの勘の恐ろしさは知っている。

 同じ課の先輩の素行の悪さを飲み会で暴露したり、部長が取引先の人と不倫していることを直接問い詰めて破局させたり、

 社内の人間の恋愛事情にやたら詳しくて「○○くんと○○ちゃんは同棲始めたらしいわよ」とか「○○課の○○くん、あんなに上から目線で偉そうにしてるけどさ、彼女の前だと赤ちゃん言葉になるんだって」とか……


 僕の知らないことをたくさん知っている。

 アネゴに知られたら終わりだ。

 誰よりも敵に出来ない。いや、絶対に敵にしてはいけない相手なのだ。


 どうやら僕は、そんなアネゴにロックオンされたようだ。




 ヘビに睨まれたカエルって、こういう気持ちなんや……



「あっ、ああ!お昼ご飯食べた後、いろんなお店回ってウチの商品どんなふうに置いてくれてるのかなって……リサーチしてたんです!」


「そうなんだ!仕事熱心ね!……で、どうしたの?」


「うん?何がですか?」



 まさか……内勤のアネゴに見られているわけないはず。

 アネゴは一体、何を探っているんだ……

 山田さんは僕の耳元で小さな尋問を開始した。


「で……女の子と話してたのは何のリサーチなのかな?」


 やっぱりさっきのことだったか……なぜ?どうして?誰かリークしたのか?

 疑心暗鬼になり、頭が軽いパニックを起こし始めた。

 こんなとき、どうしたらいいんだ?

 とりあえず、ここはシラをきろう!いつも通り明るく切り返す。




「えっ?ちょっと何のことですか、山田さん!誰かと勘違いしてませんか?もう、山田さんったら!」


 しかし、冷たく鋭い尋問は容赦なく続いた。


「さっき、そこのカフェで可愛い女の子と楽しそうにお喋りしてたでしょ。あれ、何のリサーチしてたの?」



 完全に目撃されていたようだ。

 顔は笑顔に見えるが、目の奥が笑ってない……

 アネゴの鋭い視線が僕を追い詰められた犯人のような気持ちにさせる。

 もう逃げられない。自白しよう。せめて罪は軽くしてもらおう。



「あの、実は事情がありまして……」


「言ってごらん」


「僕が駅着いて歩いてたら、あの子が目の前で倒れて……」


「そんな漫画みたいなことないでしょ。冗談はいいから」


「冗談やないです!ほんとなんです!信じてください!」


「わかった!とりあえず続き、話しなさい」


 まったく信じていない模様。

 再びキリッと鋭い目つきで促され、僕は事情を説明した。


「そんで貧血みたいやったんですけど救急車呼ぶほどでもなかったし、本人が医務室行きたがらなかったんでベンチ探したんですけどなくて……そんで放っておくわけにいかんし、休むついでにカフェに入りまして……」


「でも、具合悪い子があんなに楽しそうに笑うかな?」


「ほんとに倒れたんです!すごく顔色も悪かったし、途中意識もボヤーってしてたし、あれは元気になったからあそこまで喋れるようになっただけで……信じてください!僕、ウソなんてついてないです!」


 悪いことなんて一つもしていないのに追い詰められると、ウソでも「僕がやりました!」って言いたくなってくる……胸がキリキリと痛い。



 冤罪にされた人ってこんな気持ちなんやな。



「わかったわよ!私だってたまたま銀行に用事があって出たら、カフェに皆川くんがいると思ってよーく見たら隣に可愛らしい子がいて、まさか仕事中にナンパでもしたのかなって」


「ナンパちゃいます!僕がそんな大学生になんかしませんよ!軽く犯罪やないですか!そこまで飢えてませんって!」


「へえ……大学生なんだ、あの子」


「あっ、いや……でも、もうすぐ卒業やって言ってました」


 口を滑らせつい放ってしまった言葉をすべて聞き逃さなかった山田さんは、敏腕刑事のように続けた。


「4年生だと、22歳か。8歳差か……三十路の男が女子大生とねえ……」


「ちょっと、その言い方悪意ありません!?それに彼女とは今日話しただけで、別に……」


「別に?」


「その別に……なんもないですよ!」


「へえ……ということは連絡先交換したんだ!」


「ちょっと!何でそう思うんですか?」


「だって交換してなかったら、別に……なんて、何かあるように言わないでしょ?」


「図星ですけど……」


「サボってたわけじゃなくてよかったわ。事情が事情だったし、あなたがナンパなんかするような子じゃないって思ってたから、ビックリして聞いただけよ!問い詰めてごめんね」


「いや、別にいいですけど……他の人には絶対に言わないでくださいよ!」


「わかってるわよ!サボってたわけじゃないんだから!」


「ちょっと!声小さくしてくださいよ……」


「ごめんごめん!応援してるからね、女子大生と仲良くね!」


「もう!そういう言い方せんといてください!」


「ごめん!じゃあ、仕事頑張ってね!あっ、ここ間違ってるわよ、仕事はキッチリしなさいよ」


「あっ、すいません……気をつけます」


 アネゴの勘と鋭い観察眼の恐ろしさを身に染みるほど思い知った。

 僕はもうあの人に隠し事は出来ない。

 どこで誰が見てるかわからないとよく言うが、まさか、一番見られてはいけない相手に見られていたなんて……




 とりあえず今度風子ちゃんに会うときは、会社の近くはやめよう。

 どこか別の静かなところか、人の雑踏に紛れるようなところで……



 アネゴの洗礼に魂を抜かれ放心状態になっていると、スマホが振動した。



「なんや!もうほっといてくれ……」



 冷たい視線の後遺症が取れない僕は、どうせ会社の人間から冷やかしが始まったんだと思った。


 でも無意識に、男の勘というか僕の本能がスマホへと手を引っ張っていった。

 そして、本能がスマホを覗かせた。



【吉川 風子 先ほどはありがとうござ……】


「えっ、風子ちゃん!?」

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