第8話

 くしゅん、と、狭い一室の中に小さなくしゃみが響いた。

「……妖精も、風邪とかひくんだな」

 買ってきたばかりのりんごを皮ごと齧りながら、フォルカーがしみじみと呟くと、マルレーネは「それはそうですよー……」と弱々しい声を返してくる。

 あの後……フォルカーとマルレーネは、ボロボロのフラフラになりながらも、何とか北の霊原に辿り着く事ができた。

 北の霊原は、精霊の村と言っても差し障りがない程、精霊や妖精、それに魚人などの他種族に対して友好的な獣人が住んでいる。住んでいる者が多いので、それなりに店や宿泊施設もある。

 二年前にも逗留した宿屋に転がり込み、宿屋の主人に心配されながらも何とか手続きを終えて、幾日ぶりかの毛布にくるまった。

 フォルカーは丸一日眠った事で心身とも元気になったのだが、マルレーネが熱を出してしまい、現在に至る。体が小さい分、疲れも溜まりやすく、そして冷えやすかったのだろう。

 この状態のマルレーネを無理に連れ歩くわけにもいかず、かと言って放って出発するのも寝覚めが悪い。結果、マルレーネが復調するまでは動くに動けなくなってしまったフォルカーである。

「……っつーか、こういう時ってどうすりゃ良いんだ? 食って寝れば治るもんなのか? 他に何かした方が良いのか?」

 自分の体調不良なら、それこそ食べて寝れば一日二日で元の調子に戻る。……が、だからと言ってマルレーネもそうとは限らない。ただでさえ、獣人と妖精で体の作りも違う。

「こういう時は、テレーゼの出番なんだけどなぁ……」

 りんごを齧りながらぼやくフォルカーに、熱で顔を赤くしながらもマルレーネが呆れた口調で言う。

「まず、病人の近くで、自分だけりんごを食べてるのが有り得ないですよ、フォルカー兄……」

「あ、悪ぃ。ちびすけも食いたかったのか?」

 そう言いながら、フォルカーは紙袋から新しいりんごを取り出し、枕の上で横になっているマルレーネの横にどん、と置いた。

「そういう事じゃない……そういう事じゃないんですよ、フォルカー兄……」

「あ、そっか。これじゃあ、ちびすけにはでか過ぎるよな」

「……そういう事じゃないですけど、そういう事で良いです……」

 マルレーネの嘆きに首を傾げつつ、フォルカーは荷物の中から短剣を取り出した。刃が汚れていない事を確認するとりんごにさくりと切り込みを入れ、少しりんごの位置をずらしてまた切込みを入れる。

 薄く切り取ったりんご片を差し出すと、マルレーネは両手で受け取り、しゃくりと齧った。懸命に食べるその姿を眺めながら、フォルカーは「なぁ」と声をかける。

「やっぱさ、家族か誰かを頼った方が良いんじゃねぇのか? 俺だとこの通り、ちびすけが調子を悪くしても、ろくな事してやれねぇしさ。一人で帰るのが怖いんなら、送ってってやるから」

 十三月の狩人はフォルカー達を狙っている。目的地をどこにしようが、襲われる事にかわりは無いだろう。

 そして、フォルカーの狙いは十三月の狩人。狩人が現れるのであれば、行き先はどこでも良い。勿論、人に迷惑をかけずに済む場所であるのが一番良いのだが。

 だが、そう提案してもマルレーネはふるふると首を横に振る。とにかく、元の居場所に戻れない理由があるらしい。

 とにかく、何が何でもマルレーネはフォルカーから離れるつもりは無さそうだ。なら、一ところに落ち着いている今のうちに、何かしら今後の方針を考えねばなるまい。

 こういう頭を使う仕事は苦手なフォルカーは、ため息を吐きつつ立ち上がった。

「フォルカー兄? どこへ行くんですか?」

「水を貰ってくるだけだよ。置いてどっかに行ったりしねぇから、今はとにかく寝てろ。な?」

 そう言って水差しを手に持ち、部屋を出る。マルレーネはしばらく閉まった扉を不安げに見ていたが、やがて瞼が落ち、すうすうと寝息を立て始めた。

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