第22話 観察

 いろいろとあって、時刻はすでに夜中の1時。夜行性の蓮太郎はめったに出さない羽を出したおかげでビリビリになった服を着替え、仕事へと発って行った。彼はこの街で唯一の『なんとなく避けて通ったほうがいい』エリアにあるバーで働いており、事実そこはよくわからない仕事をしている人間とか、魔物たちが出入りしている。だがその分、様々な噂が行きかう場所でもあるから、情報を仕入れるのにはうってつけだった。バラ園の噂もそこで仕入れてきたものだし、それ以前も蓮太郎の情報から人間退治の作戦を立てたことがある。でも危険な場所には違いないし、怪我してる状態で大丈夫かなー、と私は蓮太郎の手を引き裂いた花を見た。毒々しい赤い花は黒く変色した蓮太郎の血をまとわせたまま、テーブルに放置されている。いつもは雪那がふよふよと自分の部屋に運ぶのだが、蓮太郎の治療を優先していたので忘れたのだろう。蓮太郎なんて、自分で傷を舐めてしまえばある程度は治るのに、よっぽど罪悪感があったんだろうか。それとも心配だった? なんだかんだ言って仲良しだなとニヤニヤしながら、赤い花を至近距離から見つめた。なんかこの花、見たことある気がするんだよね。気味の悪い女の、真っ赤なルージュのような花………。


 あ、機関銃の花?


 蓮太郎がガシャガシャいわせながら持って来た武器に咲いていた花。確かあれを見た時も同じ感想を持った気がする。それを思い出してしまうと、この赤い花が透じゃなくて私たちを狙ってるみたいで怖いと感じた。今回も蓮太郎が動かなければ、雪那の瞳は光を映せなくなっていただろう。一直線に飛んできたから、おそらくそういった悪意の下で、明確な意思をもって攻撃してきたのだ。青いバラは透を狙っているような動きをすると言っていたが、私達もやっぱり敵として見なされているんだろうか。赤でも青でも、やっぱり気を付けないと。

 ひく、と鼻を動かすと、もうピリリとした匂いは薄くなっている。襲ってくるような力は無いように感じたが、また飛んで来たら避けられる距離を保って観察を続けた。また匂いを吸い込むと、蓮太郎の血の匂いが濃くなる。信頼している大人が血を流したことを、今さら実感して少し怖くなった。同時に、雪那に刺さると思った瞬間の、心臓が凍る感覚を思い出す。青いバラも気味悪かったけど、赤い花のほうが危険性は高い気がする。青いバラの、お花屋さんのような上品で良い香りとは全然違う匂いがするし、まるで別物だ。

「桜、触っちゃダメですよ」

 いつの間にか、花を凝視している私のもとに純子が音もなく近づいていた。「触らないよ」と返事をして、ちょっとむくれて見せる。

「危険物に触ったりするほど、不用心じゃないもん」

「ちょっと前に青いバラを引っこ抜いてきたでしょう」

 苦笑する純子に指摘されて、そうでしたと思い出す。最初に咲いた青バラは、保護者の目が離れた隙に素手で引っこ抜いてきたんだった。でも赤い花は、なんとなく触る気にならない。狼の野生の勘だろうか。私にそういったものがあるかは知らないけど。

「うぅ……これは怖い感じがするから、触らないよ。だから早くどっかに持って行ってほしいんだけど」

「雪那さん、今お風呂に行ってますから、そのあとで回収してくれるでしょう」

 雪那の顔には蓮太郎の血が飛んでいたから、確かに落としたほうがいいだろう。でもうちのお風呂って各人の部屋にあるんだし、ついでに持っていってくれればよかったのに。

「存在を忘れてるんじゃないの?」

「そうかもしれませんね」

 嫌味のつもりで言ったのだが、純子は微笑みながらあっさりと同意した。やっぱ純子もそう思ってるのか。

「蓮太郎さん、雪那さんを庇って怪我されたんでしょう?」

「うん」

 じゃなければ今頃、雪那は自分の血で顔を濡らして、お風呂どころではなかっただろう。

「じゃあ、きっと動揺してしまったんでしょう。お二人は付き合いも長いですし、口には出しませんけど信頼しあっていますから。自分を庇って、なんて避けたかったでしょうね」

 純子の言葉を、私は意外な思いで聞いていた。二人は仲がいい。それは日々の言い合いを聞いていれば分かるし、見た目には兄弟ほどの年の差である男同士、距離が近くなるのも自然なことだろう。だが、そこまで強固な絆があるとは思っていなかった。そういえば、雪那を怒らせるのも癒すのも蓮太郎なんだって、縁も意味深なこと言ってたっけ。そういうこと、ほかの住人は知っているのに、私だけ知らないのは面白くない。付き合ってきた年月の差だろうか。

「純子はここに来て何年?」

「半世紀ほどですかね」

「誰と一番付き合いが長いの?」

「縁さんですね」

「雪那と蓮太郎は?」

「30~40年ほどになりますか」

 それじゃ、12年の私は足元にも及ばない。しかも大半は記憶もあいまいな幼児として過ごしてきているし、絆とかそんなものは感じ取れないだろう。そう納得させて、胸のモヤモヤに蓋をした。還暦ぐらいになれば、みんなの秘密とか知るようになるかもしれないし。みんな寿命が長いから、きっとそこまで付き合いは続くだろう。

「純子、内緒話とかあったら、積極的に聞くからね」

「積極的に話したら、内緒話じゃなくなりますよ」

 私の脈絡のない話も、純子はクスクス笑って答えてくれる。私の心情など、永遠に近い時を生きる彼女にはお見通しなのかもしれない。

 リビングの扉の外で、軽い足音が階段を下りてきた。これは雪那だな。私が花から顔を上げると、予想通り顔の血を落とした雪那が入ってきた。

「雪那ー、花置きっぱなしだよー」

 私が声をかけると、わずかに「あ」みたいな顔をして一瞬止まる。やっぱり忘れてたんだ。

「……すぐ持ってく」

 雪那が言葉とともにパチンと指を鳴らすと、いつものように花がふよふよと浮いて去っていく。それを見送ってからソファに座ってきたので、私はニヤニヤしながら彼に声をかけた。

「竜の心臓みたいに呪いがあるかもしれないのに」

「……すぐに調べるよ」

「忘れるくらい心配だった?」

「うるさい、もう寝ろ!」

 むっと口を尖らせた雪那が、反撃とばかりに私の髪をぐしゃぐしゃと混ぜる。ぜんぜんダメージはないけれど「きゃー」と言って彼の手から逃れるために頭を振った。

「まだお風呂入ってないし」

「早く入れ、明日も学校だろ」

「目が覚めちゃったんだもん。ねぇ、あれ入れて、ホットミルク。なぜか美味しいやつ」

 雪那特製のホットミルクは、小さいころから飲んでいる魔法の飲み物だ。優しい甘さと心地よい温かさですぐに眠くなって、朝までぐっすり寝られる。ついでに良い夢も見られるから、本当に何か魔法をかけているのかもしれない。何度も自分で作ってみたが、あそこまで美味しく、安眠できるミルクはできなかった。久しぶりにねだってみたけど、雪那は面倒そうな顔をしながらもキッチンへと消えていく。やがてまろやかなミルクの匂いが漂ってきた。私はそれを体いっぱいに吸って幸せを感じながら、破れた蓮太郎の服をちくちく縫い始めた純子の手元をぼうっと見つめる。あんなことがあったとは思えないくらい、穏やかな夜だ。この家は私にとって、いつでも安心できるゆりかごなんだと感じた。

 やがて戻ってきた雪那の手には、盆に乗ったマグカップが3つ。私にも? と驚きつつ嬉しそうな純子も手を休めてカップを傾けた。私も改めて魔法のホットミルクだと実感する。穏やかな眠りも素敵な夢も、安らげる時間も作りだす魔法。それを生み出した本人をじーっと見ていると、視線に気づいた雪那がこちらを見た。

「なんだよ」

「これどうやって作るの?」

「……秘密だよ」

 あ、これ秘密なんだ。じゃあ還暦までに知る雪那の秘密はこれにしよう。ふいっと逸らされた視線から、何か思い入れがあるレシピなのかもしれないと感じた。知れたらきっと、嬉しいものかもしれない。そうしてまた、幸せを作り出す人をじーっと観察する。失わなくてよかった。雪那もほかのみんなも、私の幸せを構成する大事な家族だ。

「……だから、教えないぞ」

「雪那、次は私が守ってあげるね」

 そう言った瞬間、また怒り出しそうになった雪那だが、私がからかっているのではないことを感じたのか、視線を逸らしてふーっ吐息をつく。

「別に、お前に守られなくても大丈夫だよ。確かに、ああいう反射が必要なことは避けられないけど……それも近いうちに何とかするし、俺の反応が間に合うものなら、大抵のことはお前より対処できる。だから自分の身だけ守ってろ」

 そう言って雪那は視線をそらしたまま、自作のミルクを小さく飲み込む。雪那にそう言われても、やっぱり自分のことだけじゃダメだな、と私の心は決まっていたので、次からは周りも見て、いつでも守れるようにしようと決めた。まあ、大人たちほどには動けないかもしれないけど。それでも身体能力は高いほうだから、徐々に行動できるようになればいい。もう純粋に、子供といえる年でもないしね。

 しかし、そう決めたとたん、ふうっと睡魔が私を襲った。あれ? やっぱりまだ子供かなぁと思いながら、手に力が入らなくなったので座った膝の上に両手ごとカップを置く。足がぬくぬくして、それが余計に眠気を誘う。桜、と優しい純子の声がした。

「眠るならベッドに行きましょう」

「まだ寝ない……」

「半目になってますよ」

「大丈夫……」

 抗う私の手からカップが引き抜かれていく。せっかくの魔法を手放したくはなかったけれど、抗議するだけの力もなかった。

「明日、学校が終わったらお菓子をたくさん作りましょう。だからいっぱい寝ないと」

 純子の小さくて冷たい手が、私の二の腕に触れる。幼い頃から馴染んだ体温に、一層眠気が増した。純子に言われたことが、とりとめもなく頭に回る。明日は学校からまっすぐ帰って、純子とお菓子を作る。なんでだっけ? ああそうだ、妖精がお菓子大好きだから。バラ園には妖精がいる。あんな真っ赤な花を飛ばしてきた妖精、青い花を咲かせた妖精……。記憶が勝手に整理されるのに任せて、先ほど感じたことが無意識に口をついた。

「赤い花と青いバラって、別物みたい………」

「別物?」

 二の腕にかかる純子の手が、わずかに反応する。

「赤い花はね、機関銃に咲いたやつなの。ピリッて嫌な臭いがして、私たちを攻撃する。不気味な女の人の口紅みたいな。青いバラは高橋君が欲しくて、お花屋さんの匂いがする……匂いが違う、別のもの……」

 頭に浮かんだままポンポン言葉を放っているから、2人が意味を理解しているかはわからない。それでも伝えたいことを言い切った私は満足して、瞼がとろとろと落ちていった。視界が暗闇に閉ざされる。私が寝落ちたと思ったのか、心地よい冷たい手がするりと離れていった。

「雪那さん。今の」

「気づかなかった。別物か……匂いなんて、桜以外には分からないから」

 しばらくの沈黙の後、運ぶよ、という雪那の言葉とともに体がふわりと浮かぶ。密着した右側が温かい。物みたいに浮かせるんじゃなくて、ちゃんと抱き上げるんだね。ちょっと優越感。一瞬の浮遊感に意識がほんの少し覚醒して薄く目を開けると、私を抱く雪那の金髪を純子がふわふわと撫でていた。困惑して、なんとも形容しがたい表情になっている雪那の顔が珍しい。

「な、なに」

「頑張りすぎかなぁ、と思って。もっと頼っていいんですよ」

「急に子ども扱いするなよ」

「ふふふ、雪那さんも早く休んでくださいね。どうか良い夢を」

 楽しそうな純子の笑顔を最後に、私は意識を手放した。

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