第23話 瞳

 昨日お風呂入ってない……と、なんとなくベタベタする髪の毛に辟易しながら、私はいつも通りの時間に起床した。ご飯の時間には少し遅れるかもしれないけど、シャワーを浴びてから下に降りよう。そう決めて部屋に備え付けられた浴室へと向かう。昨夜着たままだったシャツやパンツを籠の中にポイポイと投げ捨てて頭からお湯をかぶり、手早く全身を洗った。髪が腰まであるせいで乾かすのは時間がかかるが、多少湿っていてもいいだろう。ご飯を食べて、登校しているうちにすべて渇く。そうして髪を妥協して制服にそでを通し、階下へと向かった。一人だけ3階に住んでいるから階段が多い。普段は一段ずつ降りているけど、今日は朝食に15分遅れているから、と狼人間の身体能力を使って最上段から一気に飛び降りた。すとん、とかすかな音だけを立てて着地し、何事もなかったかのようにリビングへと入る。

「おはよ~」

「おはようございます、桜」

「よーぉ寝坊助、おはようさん」

 すでに食事を摂っている面々の中で、純子と縁が顔を上げて挨拶を返してくれる。雪那は咀嚼中だからか、こちらを見ずに「んー」とよく分からない返事、そして蓮太郎がまったく無反応なのはいつものことだった。私も気にせず定位置につく。純子が席を立って私の分のご飯をよそってくれた。

「ありがとう。いただきまーす」

 ご飯を受け取ってすぐに食事を始める。テレビをチラ見しながら、興味のある話題について会話をし、今日はまっすぐ家に帰ることを約束して学校へ向かった。




 案の定、私は授業のほとんどを寝て過ごし、友人とのお弁当と雑談のために学校へ行ったような結果になる。教師も慣れているためか取り立てて怒られはしないが、うつむいた後頭部を丸めたプリントでポコンと叩かれて跳ね起きた姿を笑われた。

「さくらぁ、今日もいっぱい寝たから元気でしょぉー? スイーツ食べに行こうよぉ」

 放課後、鞄に荷物を突っ込んでいるとニコニコしながら大きく手を振る優美に誘われる。清香もその横で私の返事を待っていた。二人は席が前後だから、ホームルームの間に放課後の予定を話し合っていたのだろう。

「ごめーん、今日はすぐ帰る。気にせず二人で行ってきて」

 手を合わせて謝る私に、優美はあからさまにがっかりした顔をする。

「えー、今日あのパフェの店、2割引きなんだよぉ?」

「う……そう言われると心が揺れるけど、すぐ帰るって言っちゃったから」

「ざんねーん………」

 しょんぼりする優美の隣で清香が首を傾げる。

「なんか家の用事?」

「うん、えーと、知り合いの人にあげるお菓子を一緒に作ろうって言われてて」

 事実と外れてはいないが微妙にぼかした内容を告げると、優美は「なんのお菓子ぃ?!」と食いついてきたが、清香が「それなら早く帰らないと」と優美を引きはがしてくれたので有り難くその場を去る。しょうがないから二人で行こう、と言っているのが聞こえたから、すぐに優美はご機嫌になるだろう。しかし、そのまま教室を出て階段の踊り場までたどり着くと、透とばったり出くわして再び足を止めた。

「あ、高橋くん」

「あ……久しぶり」

 久しぶり、と声をかけられて初めて、先週から透を放置していたことに気付いて焦った。そのせいだろうか、最後に見た時より彼の顔がどんより暗い気がする。しかし、私が素直に声をけなかったことを謝ると、ちょっとだけ笑顔を見せた。

「ううん、あの猫、縁さんだっけ? 毎晩来てたよ。いつのまにか部屋の窓に佇んでて最初は驚いたけど、いろいろ気にかけてくれた」

 これは私も知らなくてびっくりする。縁はつくづく面倒見のいい猫だ。

「そっか、よかった」

 ほっとした気持ちをそのまま出すと、なぜか透は再びどんよりした顔に戻ってしまう。

「その時、縁さんに安心していいって言われたんだけどさ、詳しい話は聞いてないんだ。今どうなってる? あとどのくらいで解決するかな」

 その言葉に多少の焦りを感じて、私は透の顔をのぞき込んだ。その瞳が深淵のように真っ黒なことに、今さら気づく。

「どのくらいって確約は出来ないんだけど、進んではいるから、縁が言ったように安心していいよ。……何かあった?」

 尋ねるとそれまでまっすぐ私を見ていた透の目が揺れて、ふいっと逸らされた。

「いや………いや、ほら、バラの種も探さなきゃいけないし」

「ああ、そうだよね。また探すの再開していいか、聞いてみるよ」

「うん、ありがとう。それ、どれくらいになるかなって思ってたんだ」

「たぶん、そう長くはかからないんじゃないかな。どんな魔物がいるかは分かったから、今日も帰ったらいろいろ対策するんだ」

「へぇ」

 私の口から進捗らしいことが聞けたのが嬉しかったのか、透の瞳がわずかに光る。

「どんな対策?」

「うーん、好物でおびき寄せるみたいな」

 またやんわりとした表現で事実を伝えると、透は光る瞳のまま、私をまっすぐに見た。

「それって危険? 俺も行っちゃダメかな」

 私は透の言葉に再び驚く。怪我をしたこともあり、正直、彼はこの件に積極的に関わりたくないのではと考えていたから、こんなことを言ってくるとは思っていなかったのだ。ただ、私は昨夜の蓮太郎の流血をまだ鮮明に思い出せる。あんなことがあった現場に、人間である透を行かせるべきでないことは、考えずとも分かった。

「それはちょっと。また怪我するかもしれないし」

 困惑しながら断ると、透はさらに何か言い募ろうとしたが、背後から「とおるーっ!」と呼びかけられて止まる。私はその聞き覚えのある声を透の友人だと瞬時に判断し、「じゃあまたね!」と一方的に別れを告げて階段を駆け下りた。また連絡先を聞かれたら面倒だし、ぐいぐい来られるのは苦手だ。透が引き留めるような気配はあったが、例の友人の「ああっ高木さん行かないで~」という言葉が後を追ってきたので、そのまま振り返らずに学校を出ていく。透の瞳の闇と光は気になったが、それよりも苦手から逃れることに集中して、洋館に戻る頃には忘れてしまっていた。

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