第21話 お礼
見つけたよー、と連絡した私と縁のもとに、雪那と蓮太郎がやって来る。可愛い顔でふふん、と得意げにしている縁の近くに花の輪っかを見つけた雪那は「小さいな」とつぶやきながらも、それが魔物の痕跡であることを認めた。
「じゃあじゃあ、妖精?」
私がファンシーな青いカードを手にして言うと、雪那がうなずく。私はテンションが上がってしまった。妖精って、あのキラキラな粉を振りまきながら飛んでるアレでしょ? めちゃくちゃファンタジー。私は小さなころから魔物と会う機会が多かったけど、妖精にはまだお目にかかったことがなかった。イメージの中ではいたずら好きな可愛い生き物だ。あ、でも何年も踊らされるんだっけ? それは恐ろしいけど、そんなに脅威には思えなかった。だから素直にそれを口に出してみる。
「ねぇ、妖精ってそんなに危険なの?」
「油断は禁物だけど、ひどい扱いでもしなければそこまででもないな。第一、妖精は喋れるし」
「お、じゃあ話が聞けるかもしれないんだ」
「ああ、だけどここで姿を見たことはないし、おびき寄せる必要があるかもしれない。準備しとくから、また明日来よう」
了解、と返事をして私はふう、と息をついた。ひとまず今日は終了。ネズミの死骸を使わなくて本当によかった。嫌な臭いがするし気持ち悪いし、とっとと突き返そう。そう思って手にした袋を持ち上げようとした瞬間、ネズミの臭いではない、ピリリと全身が痺れるような匂いが鼻を突いた。なにこれ。
「ねぇ、なんか嫌な匂いがする」
「……またバラか?」
以前、透と蓮太郎とここに訪れた時、匂いが変わった直後に蔦が襲ってきたのを思い出したのだろう。蓮太郎にそう聞かれたが、私は急いで首を振った。バラの蔦の襲撃を受けた時には、もっと上品で良い香りがしたはず。
「違う。違う匂いだよ、なんか、危険な感じ――――」
私が言い終える前に、横の茂みから風を切って何かが飛び出した。鋭い直線を描いて矢のように放たれたそれは、瞬きをする間もなく正面にいた雪那へ向かう。私はすぐに反応したが、同時に間に合わないことも悟った。私たちのように人間とかけ離れた身体能力を持つわけではない彼は、きっと避けられない。心臓が凍った感覚がした。
「雪那!!」
しかし、私の言葉が発せられた時にはすでに、雪那の顔は血に濡れていた。飛び出した何かを受け止めた蓮太郎の血によって。
雪那の眼球数センチにまで迫っていた矢のようなそれは、一輪の花だった。毒々しい赤い色をした大きな花弁を咲かせて、鋭そうな葉っぱを体にまとわせている。雪那めがけて飛んできたそれを、彼の後ろにいた蓮太郎が横から掴んだおかげで、目に刺さる前に止まったらしい。だが鋭い葉の摩擦によって蓮太郎の手からはポタポタと血が滴っていた。
私がその光景に息をのんでいるうちに、蓮太郎が雪那を抱き寄せる。私を一瞥し、「……縁を抱えて、全力でここから出ろ」と指示すると、ビリ、と服を破く音と共に蓮太郎の背中に蝙蝠のような羽が現れた。勢いをつけてそれを一振りさせると、一瞬のうちに2人の体が頭上高くへ消える。私も慌ててオレンジのふわふわを抱え上げると、突然の動きに「にゃぁぁああぁ」と叫ぶ縁を無視して、先ほど偵察のために登っていた木に飛び上がった。そのまま茂みからの攻撃を避けるために、できるだけ高い木を伝いながら家の塀まで飛んでいく。道路まで出たところで2人と合流したが、そのままの勢いで家に逃げ帰った。
「おえぇぇぇ酔っちまった………」
家に帰るなり、私に抱えられてぴょんぴょん移動させられた縁はソファにべったりと臥せる。気持ち悪そうにうめき声をあげているので、私はちょっとかわいそうになって縁のお皿と水を持って来た。
「だって、抱えて行けって言われたから。縁より私のほうが足速いし」
「そりゃぁ分かってるがよぉ。あんなに跳ねるとは……うぷ」
「はい、お水」
私がソファ前のテーブルにお皿を置くと、小さなお礼と共に縁が鈍い動きで渡って来る。ぴちゃぴちゃと静かに水を舐めるのを見て、誰もかれも重症だなと思った。怪我をした蓮太郎はもちろん、彼に庇われる形になった雪那も、どことなくしょんぼりしているように見える。今、蓮太郎はソファの端で元気のない雪那に手当てをされていた。3日に1回はケンカで燃やしていたリビングで雪那が蓮太郎を労わっている姿は、私の目には違和感がありすぎる。いつもは蓮太郎が怪我をしても「どうせすぐに治るから」と放置しているのだが、今回ばかりは責任を感じているのか、顔に蓮太郎の血をつけたまま魔法を使って小人のようなものを呼び出し、一緒に薬を塗っていた。
「なあ、痛み止めあるか?」
「あるよ~! このね、緑のやつがおすすめなの~」
「血を止めるお薬もあるよ~。フレッシュベリーの香り付きなの~!」
「この粉はね~、かけるとあら不思議! 切れたとこがくっついちゃうの~」
二等身の白くて丸い小人たちは、着ているポンチョの中から次々と瓶や缶を取り出して雪那に勧める。雪那は言われるがままそれを受け取って蓮太郎の右手に塗っていった。最後に小人たちが「ぐるぐるまきまき~!」と歌いながら包帯を巻くと、雪那はお礼を取って来るから少し待っててくれと言い残してリビングを出ていく。
「……すでに治っているように見えたが」
蓮太郎が包帯の巻かれた白い右手を見ながら小人に言った。遠目に見ていた私も、蓮太郎の傷がみるみるうちになくなっていくのを驚きつつ見ていたので、大袈裟なくらいに手当てをされた様子を見て、心の中で蓮太郎の言葉に頷く。
「油断しちゃめっ! だよ~」
「皮膚が薄くなってるから、すぐ怪我しちゃうよ~」
「その包帯はね~、毒も吸ってくれるんだよ~」
だが小人たちはニコニコしたまま、包帯の重要性について訴えた。小さいけれどしっかりしているようだ。私はそろそろと彼らに近づいてみた。
「ねぇ、あなたたちは小人さん?」
「妖精だよ~」
「お医者さんの妖精なの~」
「怪我も病気も治すよ~」
小人改め妖精たちは、私を振り返ってニコニコ答える。妖精! こんなにあっさり出会うとは。まさかこれから対峙しようとしている種族と、笑顔でお話しするとは思っていなかった。
「お嬢さんはなに~?」
「私はおお………」
かみにんげん、まで言い終わる前に蓮太郎の指が私の唇を押さえた。簡単に正体をしゃべるなと目で叱ってくる。はい、すみません。
「内緒なの~?」
「………俺は吸血鬼だ」
「知ってるよ~!」
「血を見たら分かるも~ん」
代わりに答えた蓮太郎に、きゃっきゃっと妖精たちが笑った。私はそれを見ながら、可愛いものにも気を付けろって、そういえば言われていたっけと反省する。ガミガミ言う雪那に見られてなくてよかった。と思ったところで雪那が戻ってくる。手には透明なケースに入った、金平糖のようなものを持っていた。そのまま妖精たちの前に膝をつく。
「手を出して」
「は~い!」
「おいしそ~!」
「きれ~い!」
喜ぶ妖精たちの手に、雪那は2粒ずつ金平糖を落としていった。色とりどりのそれを妖精たちはうっとりと眺めてから、口に入れて嬉しそうにぽりぽりと咀嚼する。
「それがお礼なの?」
金平糖で怪我を治してくれるなんて良心的だな、と思って雪那に聞くと、ただの金平糖じゃないと返された。
「魔力が入った特別製だよ。妖精たちは魔力と甘いものが好きだから」
「だ~い好きだよ~」
「お菓子のいい匂いがすると、フラフラ探しちゃうんだよ~」
「だから一番のお礼だよ~」
「……もしかして、おびき寄せるっていうのもそれで?」
妖精たちの言葉でピンと来た私は雪那に聞く。
「そのつもりだけど、それで女王も引っかかるかは微妙だと思ってる」
「女王?」
新たなワードに私は首を傾げた。
「妖精はだいたい群れで行動してて、それを率いる女王がいるんだ。前に、蓮太郎が聞いてきたバラ園の噂を覚えてるか?」
「あー……確か、五十年前に大量にバラが咲きだしたとかなんとかっていう」
「妖精の女王は、契約した者の花園を美しくするんだ。あのバラ園、老人一人じゃ難しいくらい花が咲いていたし、今もずっと綺麗なままだろ。だから女王がいるんだと思う」
「っていうことは、高橋くんのお祖父さんが妖精の女王と契約して、綺麗なバラ園を作ったってこと?」
「その可能性が高い」
「でも、もうお祖父さん亡くなってるのに、ずっと綺麗にしてるのって変じゃない?」
「そこが謎だけど………もしかしたら、ちょっと特殊な契約をしたのかもしれないな」
特殊って? と私が聞こうしたが、その言葉は白い妖精によって遮られる。
「罠を仕掛けるの~?」
「女王に~?」
「危険なことはめっ! だよ~」
さっきとは違ってぷんぷんしながら私たちを見上げている。怒っても可愛い。それを見た雪那はちょっと考え事をする素振りを見せて、再び金平糖に手を伸ばした。
「もっとあげるよ」
「わ~い」
「ありがとう~」
「お菓子だいすき~」
途端にニコニコ顔に戻った白い妖精に金平糖を渡しながら、雪那は質問する。
「女王もお菓子が好きなのかな?」
「うん、大好きだよ~」
「甘いものだいすき~」
「うんとあま~くて、うんと魔力がたか~いのが好き~」
お菓子でペラペラ喋るようになった妖精に、雪那は満足そうな笑みを浮かべた。
「桜。明日は純子と一緒にお菓子作りだ」
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