第13話 傷

 放心状態の透をなんとか立たせ、私たちは帰路へつく。砕け散ったガラスのせいで私と透は細かい傷がいくつもできており、とりあえず洋館で治療をしようと透も連れて帰った。もうじき私の目が光りだすだろうという頃に着いた家では純子が迎えてくれる。

「まあ、傷だらけですよ」

 言葉とは違い、さして驚いた様子も見せない純子が私の頭に手を伸ばした。そのままパタパタ手を払うと、取りきれなかったガラスの破片がポロポロ落ちる。

「それになんだか汚れていますね。先にお風呂に入ってきてください。ガラスに気を付けてくださいね」

「はーい」

「高橋さんもお風呂どうぞ」

「え、いや、俺はいいです」

「傷の手当てもしたいですから、綺麗にしてきてください」

 純子が透の背中をやんわり押して促すと、その先には見慣れぬ扉があった。すん、と鼻を動かすと僅かに石鹸の香りがして、純子の意に沿ってお風呂場が出てきたんだなと推測する。決して無理強いはしていないのに抗えない純子の言葉に、透は狼狽えながらも風呂場へと追いやられていった。一瞬、助けを求めるように視線が合ったが、私は笑顔で手を振って見送る。私もお風呂に入ってくるので助けてあげられないよ、ごめんね。

 透が扉の奥に吸い込まれていったのを確認して、私と蓮太郎も各自の部屋に備え付けられている風呂場へ直行する。なんだか汚れているのは本人たちも気づいていたので気持ち悪い思いをしていたのだ。

 私は蛇口をひねって浴槽にお湯をためている間に、ガラスに警戒しながらそうっと服を脱ぐ。やはり取り切れなかった破片が二つ三つと落ちてきたので、引き続き体に引っ掛からないよう静かに動いていった。やっとすべてを脱ぎきった私は打って変わって豪快にシャワーを浴び始める。腰まで伸ばした髪にもガラス片がついているかもしれないので、水圧で落とし切ろうと思っての行動だったが、本当に落ちているのかは確認できない。でもシャンプーまですれば落ちるでしょ、と私は早々にボトルから白い液体を押し出して頭をわしわし洗い始めた。そういえば小さい頃、蓮太郎とお風呂に入ると毎回シャンプーで髪をタワーみたいに立てられたなと思い出して、やってみようとしたが途中で髪が折れてしまう。長すぎてダメなのだろうか。もう少し切ろうかなと思いながら、シャワーで中途半端なタワーを一気に崩した。

 洗いの工程をすべて終えた私は浴槽へと静かに身を沈める。やわらかくて温いお湯に包まれて体が弛緩していくのを感じた。意識していなかったけれど少し緊張していたのだろうか。心地よさに天を仰いでふぅっとため息をつく。

 そういえば、攻撃っぽいことされたもんなぁ、緊張して当然か。私はつい先ほどまで居た屋敷での出来事に思いを巡らせた。帰ろうとした途端の襲撃。前回も帰ろうかっていうところで青バラが咲いたような気がするし、帰ってほしくないのかな。実は寂しがり屋?

 そこまで考えたところで、蓮太郎がポケットに突っ込んだ写真のことを思い出した。あの裏、何が書いてあったんだろう。いや、書いてあるんじゃないかなって私の推測だけど、急に帰るって言いだしたのアレ見てからだったし、蓮太郎が何かに気付いたのは確実だと思うんだけど。

 考えても分からないし本人に聞こう。私はザッパアと湯の音を響かせて立ち上がり、風呂場を後にした。



 髪を乾かすのもそこそこに適当な服を着てリビングに降りていくと、風呂上がりの透がソファに座らされて手当てを受けている。といってもそこまで大きな怪我はないので、絆創膏をぺたぺた貼っていくだけですぐ終わったようだ。純子が救急箱を片付けに立ち上がると、透は浮かない顔で額に張られた絆創膏をさする。

「痛い?」

 私が近寄って透に聞くと、そこで初めて私の存在に気付いたのだろう、驚いた顔で私を見上げて首を振った。

「ううん、大丈夫、かすり傷だけだし。高木さんこそ怪我は?」

「んー、私もかすり傷はあったけど、もう治っちゃった」

 身体能力の高い私は治癒も早い。シャワーを浴びた時は少しシクシクする箇所もあったのだが、すでに薄皮が張ったようで痛むところはなかった。私は透から少し離れたソファに腰を下ろして怪我があっただろう腕をさするが、よく見るとうっすら傷があるかな、という程度のものしか見つけられない。夕飯を食べ終える頃には判別もつかなくなるだろう。

「……そっか、人間じゃないんだもんね。あんなことがっても平気だし」

 妙に引っかかる言い方をされて私は顔を上げる。無理に口角を引き上げたような薄暗い笑みを浮かべて俯く透がいた。なんと返したものかわからず私が黙って見つめていると、透はぽつりと言葉を続ける。

「なんでこんなことばっかり起こるんだろうなって思うんだよ。俺はただ、親がなんだかんだ言い合ってるから、いい加減その問題を片付けたいって思ってるだけなのに。ケンカし続けられるとウザいしさ。でも片付けるどころか、余計にわけ分かんないこと起こるし、手ぇ出さないほうが良かったかなって。……なんで俺ばっかりこんな目にあうんだろうな」

 尻すぼみに言葉を終わらせた透は妙な笑みも消して、顔が隠れるほどに俯きを深くする。私は

(うわー、これすごい落ち込んでんじゃん。なんで? ていうかどうしよう、なんて声かけたらいい? いや、声かけていいもの? どうしようこの空気)

 と深刻な透には申し訳ないが話の内容よりも今この場をどうするかと頭の中で慌てていた。大丈夫だよ、とか明日また頑張ろうよ、とか月並みの励ましの言葉は中身がなくて響かない気がするし、そんなことで落ち込むなとか、俺ばっかりとかそんなことないとかは心無い言葉の気がする。

 そんなに今日の出来事がショックだったのだろうか。私は幼い頃から得体の知れないものに触れてきたせいで、おそらく恐怖や衝撃をあまり感じなくなっている。「人間じゃないから平気」という一見失礼な透の言葉は全くその通りで、蔓が襲ってきただけで透がこうなるとは思い及ばなかった。そもそも他人が弱音を吐いてくる機会もあまりなかったので、こんなときの対処の仕方が私は分からない。

 そしてふと、純子だったらどうするかなと考えた。純子は私の母親代わりだ。怖い夢を見た時、学校で嫌なことがあった時、慰めてくれたのは純子のことが多かったし、安らいだのも彼女の言葉が多かった。上手く言えるか分からなかったが、私は純子が言いそうなことをイメージする。立ち上がって透の元まで行き、その足元に膝をつくと、強張って置かれた彼の手をぎゅっと握った。丸くした透の目を見つめながら、静かな声を意識して口を開く。

「………いろんなことがあったから、今日は疲れてるんだよ。大丈夫、ちゃんとご飯食べてぐっすり寝て、朝になればモヤモヤしてること全部なくなるよ。夜は魔物が活動するから嫌なことばっかり浮かんできちゃうけど、朝になればアイツらどっか行っちゃうからさ。大丈夫、明日になれば、全部よくなってるよ」

 陳腐な言葉になったかもしれないと不安になったが、元気づけるこちらがそれを見せるわけにはいかない。私は透の手を握る手にさらに力を込めて微笑んだ。

 しかし、その笑みに透が応えることはなく、むしろ怒っているかのように顔が真っ赤になっていった。あれ、私なんかヤバいこと言った? と不安になったが、口を開いた透の声に怒りはなく、ほっとするも戸惑いは消えない。

「あの、手……」

「手?」

「いや、だから……」

「あ、もしかしてココ怪我してた? ごめん、痛かったよね」

 私は慌てて握っていた透の手を引き寄せて傷を見る。一見なにもないように見えたが、私の握る力が強かったのかもしれない。普段は人間と同じ力に調節しているつもりなのだが、家だから気が抜けていたのかも。申し訳なく思って透の手の甲をさすると、ばっと勢いよく引き抜かれてしまった。

「大丈夫、怪我もしてないし、痛くなかったから」

 相変わらず赤い顔を背けて透が早口で告げる。それを見て、あんなに考えて言葉を発したのに嫌われたかなと私はちょっとショックを受けたが、純子の「ご飯出来ましたよ」の声で気分が浮上した。

「よろしければ高橋さんも食べていって下さい」

「え、いや、さすがにそこまでは」

「でもお腹空いているでしょう。こんな時間までお引き留めしてしまいましたし、ご飯もいっぱいありますから遠慮なさらないで下さい」

「食べてきなよ。純子のご飯美味しいよ」

 私は透に声をかけてウキウキしながら食卓に向かう。他の住人がやってくる足音も聞こえるので、間をおかずに夕食にありつけるだろう。単純な私は透の怪我を心配していたことも、彼の心の傷が癒やされたかという懸念も忘れて、腹の虫を治めることだけに集中した。

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