第12話 アルバム
翌日、再び透と訪れた屋敷の前にはきちんと蓮太郎が待機していた。ただし眠そうに門へと背を預け、面倒極まりないと言いたげな雰囲気は隠していない。近づくと閉じていた目を重たげに上げて視線を寄越した。
「ちゃんと起きれた?」
私がニヤッとしながら聞くと、彼は唸るような返事だけをしてくるりと向きを変える。何の準備動作もなくふわっと門を乗り越えてさっさと先へ進もうとした。
「ちょっと待ってよー、私たちの盾になってくれるんでしょ」
私が昨日の雪那の言葉を引き合いに出すとムスッとした雰囲気はしたものの、その場で足を止めて待ってくれる。私は蓮太郎の不愛想な態度に戸惑う透と共に、今回は持って来た鍵を使って敷地内へと入った。
「高橋くん、これは蓮太郎ね。怖そうな見た目してるけど見た目だけだから大丈夫だよ」
私は昨日縁を紹介したように蓮太郎も紹介する。やはり透は微妙な反応しかしなかったが、人に警戒心を抱かせる、どこか危険な気配をまとう蓮太郎と初対面で仲良くしようという人間は稀なのでこれが平常だ。彼は闇に紛れ込むことは上手いので大半は存在すら気付かれないのだが、一旦気づいた人間の意識からその存在を消すことは難しい。透もその例に漏れず彼のそばに行くことを躊躇しているようだった。
「………早くしろ。日差しがきつい」
まごついている透とそれに合わせる私に蓮太郎は静かな声音で言う。個体差もあるようだが、吸血鬼は日の光が苦手だ。おとぎ話のように浴びただけで死ぬということはなくとも、蓮太郎の場合は「なんとなく圧がかかって憂鬱な感じ」になるらしい。それに皮膚もすぐに赤くなるため、ヒリヒリと痛がっているのを一回見たことがある。もう夕暮れに近い時間帯だったが、それでも彼にはつらいものがあるのだろう。私は進めば勝手についてくるだろうと思い、躊躇う透を置いてスタスタ歩き出した。慌てて追いつく透も確認した蓮太郎はゆっくりと動き出し、日蔭となる玄関先までたどり着く。透に鍵を開けさせて中へと足を踏み入れた。
「……青いバラが生えたのはどこだ」
軽く辺りを見回した蓮太郎が尋ねたので、私と透は昨日の小屋まで彼を案内する。私がバラを引っこ抜いた場所を示したが、二輪残っているはずのそれは最初からなかったかのように消えていた。
「うわー、なんか気持ち悪いね」
引っこ抜いておいて今更だが、こうして自然のものではないことを改めて確認すると背筋が冷える。私はそれを誤魔化すように、バラがあった場所をじっと見つめる蓮太郎に声をかけた。
「なんか分かる?」
「……いや。俺はこういうことはさっぱり分からない」
あまりにキッパリ言われた言葉に私は「あ、そうなの」と少しガクッとする。いつも何もかもを見透かしたような冷静沈着な姿勢でいると思っていたが、単に分からないことには口出ししなかっただけなのかもしれない。見た目ははるかに年下だが実は年長者である純子や雪那の言うことを割と素直に聞くのも、こういう理由だったのだろうか。
聞いてみたいけど聞けないよなぁと私が一人考えていると、蓮太郎は透に向かって視線を合わせた。まさかこちらに来るとは思っていなかった蓮太郎の意識に、油断していた透は固まる。さっぱり分からないと情けない発言をしたとは思えない、落ち着いた冷ややかな目で蓮太郎は透を見据える。
「………種を探すのだろう。心当たりを案内しろ」
その言葉にギクシャクと頷いた透は、まるで一日中石の上に座っていたかのようにぎこちなく体を動かして移動していった。
透の後について再び屋内に入った私たちは、やがて壁際にぎっしりと並んだ本棚と重厚な机が置かれた書斎らしき部屋へとたどり着く。そこも他の場所と同様に埃が積もっていたが、机の上には昨日まで使用されていたかのように広げられた数冊の本とノート、ペンが転がっていた。故人のものって普通、整理とかするものなんじゃないのかなと私は疑問に思ったが、なんだか聞くのは失礼な気がして口には出さない。
「ここは祖父が使っていた部屋です。花に関して調べたりまとめたりという作業もしていたようなので、外の小屋になければここに種があるかもと……」
透は蓮太郎の様子をちらちら窺いながら少し怯えるように尻すぼみな言葉を発した。蓮太郎はその視線に気づいているのかいないのか、透のほうは一切見ずに「……調べるぞ」と静かに言うと近くの棚から手当たり次第に開けていく。彼らしからぬ素早い行動に驚きつつ私も慌てて調べにかかった。
調度品の棚も机の引き出しも景気よくパカパカ開けて、無作法なほどに中をゴソゴソ探し回ったが種らしきものは見つからない。あるのは透のお祖父さんがバラを育てることに心血を注いでいたのが分かる研究ノートや観察日記ばかりで、そこになら種の記述はいくつも見られた。ただ現物の在りかまでは記されておらず、私たちは壁一面の本も一度引き出してみることにする。上の段を蓮太郎が担当し、私は膝をついて一番下の本から抜いていった。植物に関する専門書ばかりを眺めているうち、途方もない作業だなぁと私は飽きてきてしまったが、頭を振って集中するように自分に言い聞かせる。と、そのとき手に取った本が少し毛色の違うものだということに気が付いた。それだけ他の難しそうな本の表紙とは違う、優しいパステルカラー。私は興味を引かれるままにパラリとそれをめくった。
すぐにそれが本ではないことを知った私は、すとんと腰を降ろしてそれをじっくり見る態勢に入る。穏やかな幸福に包まれて眠る赤子の写真を先頭にして始まるそれはアルバムだった。ページをめくるごとにその赤子は大きくなっていき、時間もかからずその面影で透と判断できるまでになる。くるくる変わる表情を一瞬も逃すまいとたくさん撮られた写真は一枚一枚丁寧に入れられ、それだけで彼が大事にされてきたのが分かった。透一人か両親であろう若い男女が一緒に写る写真がアルバムの主だったが、途中からそこに一人の初老の男性が透と共に登場し、私は何となくこの人がお祖父さんかなと推測する。上品なたたずまいに厳格そうな顔を持つ老人は孫と並んでいても笑顔を見せることなく、ただ透をじっと見ているだけだ。それも数枚で終わり、あとはバラの中で撮られた透の写真だけになる。写真の中の透は祖父とは違い、はしゃいだ顔を見せてバラに顔を寄せており、屋敷やバラを恐れている現在の姿ともかけ離れていた。時間が経つと変わっちゃうんだなぁ、なんでだろ、と私が少ししんみりして次のページをめくると、そこには予想外の写真が収まっており、私は思わず硬直する。先ほどの背筋が冷える感覚を再び味わった。
そこには笑顔の透も仏頂面の老人も、バラ園の様子も写されていない。ただ画面いっぱいの青いバラが一輪あるだけだった。
そのページ以降は何も写真が入れられていない。なぜ可愛い孫のアルバムの最後を青いバラにしたのだろうか。不気味に思いつつそこから目を離せないでいると、突然視界が陰った。
「高木さん、何かあった?」
見上げると透が座り込む私をのぞき込んでいた。ふと辺りを見渡すと既にほぼ全ての本が棚から降ろされ、部屋が殺風景になっている。蓮太郎は空になった本棚に何もないかを見るためこちらに背を向けていた。
「あ、うん。ごめん、高橋くんのアルバム見てた」
「俺のアルバム? そんなのここにあったんだ」
「うん、綺麗に作られてた、んだけどね……最後にこれが」
私は透に見えやすいように体をどけ、アルバムを少し傾ける。乗り出して青バラの写真を見た透の顔からはあからさまに血の気が引いた。
「………え、なんでこれが」
「ね、不気味だよね」
昨日だけでなく今日も現れた青バラの存在に得体の知れない恐怖を感じて二人で顔を見合わせる。そのまましばらく二人でそれを睨んでいたが、それで何か分かるはずもないので蓮太郎に見てもらうことにした。
「蓮太郎ー、ちょっとこっち来てー!」
私が叫ぶとのろっと顔を向けた蓮太郎が億劫そうに近づいてくる。先ほど透に見せたように蓮太郎にも写真を見せると、彼はノーリアクションながらもまじまじとそれを見つめた。
「高橋くんのアルバムに入ってるの」
「……いつ撮られたものだ」
蓮太郎に聞かれて写真の隅に日付が入っていないかと探したが、生憎と見つからない。私が首を傾げると、蓮太郎はアルバムからするりと写真を引き抜いた。昨夜の食卓で得体の知れないものには不用意に触るなと言われていたので私はしなかったのだが、「そういうことはさっぱり分からない」と断言した蓮太郎は大丈夫なのだろうか。私とは経験も違うしそこの見極めはできているのだろうが。
蓮太郎は写真を裏返して再び見つめる。しばらくそのまま固まっていたが、おもむろにそれを尻ポケットに突っ込んだ。
「……これは雪那に見せる。もう帰るぞ」
「え、種は?」
「……今日は遅い。また明日探せばいい」
「でも、片付けは」
「…………長居しないほうがいい。行くぞ」
散乱した本をそのままに立ち去ろうとする蓮太郎を見て慌てて立ち上がる。彼は相変わらず無表情だが、それでも少し急いでいるのが分かった。
もしかして写真の裏に何かあったのだろうか。
私がそう思いながら蓮太郎の後に続こうとしたとき、突然、異様な匂いが鼻腔を突いてきた。嫌な匂いではない、むしろ普段感じることがないような上品さが漂う香りだ。そう、これは花のものだと花屋の前を通りかかる時を思い出して私は思う。しかもこの間嗅いだ香り。あの、突然生えた青いバラの――――――。
「蓮太郎、匂いが変わった。何か来るよ」
蓮太郎の背中に声をかけた直後、私たちの背後にある窓がけたたましい音を立てて割れた。飛んでくる破片からとっさに腕で顔を庇った私は、その隙間から植物の蔓に腕を巻きつかれる透を見る。割れた窓から伸びてきているらしいそれに悲鳴を上げる透を助けようと駆け寄るが、蓮太郎のほうが早く辿り着いて透を抱え込んだ。恐ろしいほどの力を持つ手で勢いよく蔓を引きちぎり、そのまま踵をかえす。「走れ!」と私に声をかけて、自分は透を抱きかかえたまま疾走を始めた。私も後ろを振り返らずに駆け抜け、そうして走ってきた勢いそのままに屋敷の塀を飛び越える。公道に出た私たちはようやく止まって後ろを振り返ったが、さっきの一瞬の出来事など最初からなかったかのようにしんと静まる家がそこにはあり、バラの良い香りも消えていた。
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