第2話 昼の日常
キーンコーン、と鳴るチャイムの音と同時に広がった生徒たちのざわめきに、私は意識を浮上させた。二限の授業は寝ていたようだ。ノートを取った覚えもなければ、その前段階として先生の姿を見た覚えもない。確か始業時間から五分が経っても先生が現れず、なんとなく机に突っ伏したはずなのだが、そのまま熟睡したらしい。一限も途中から寝ていたのに。そしてきっと腹がふくれた三限の授業も私は寝るのだろう。そんな調子で三日に一度は机を枕に寝続ける私を、もはや誰も起こさなくなった。
後からノートを見せてもらおうと決め、のっそり起き上がった私はぼんやりと辺りを見回す。購買に走る男子たちと、弁当箱をもって集まる女子たち。ああ、お昼ご飯だ、と思ったと同時に腹の虫が鳴って、私って単純だなぁと切なくなった。
「さくらぁ、起きたー?」
未だ頭が覚醒しきっていない私は後ろから呼びかけられて、のそっと振り返る。友人二人が昼食を片手に近づいてくるところだった。
「うわ、眠そうー」
「
桜とは私の名前だ。
「……そういえば、もう桜の季節だねぇ」
「ちょっと桜、会話噛み合ってないよ」
「まだ眠いんだねぇ」
ぼんやりしている私はテキパキとしている友人たちに昼食の陣形に机を整えるのを任せ、頬杖を突きながら外を眺めた。校庭にも桜の木がたくさん植えられており、風に乗ってはらはらとその花びらを散らしている。今が見ごろのピークだった。
「ほーれ、現実に戻っておいで桜。ご飯食べよう」
友人の一人、キリリとした眼鏡をかけた
「おいし~い、幸せ~」
「食べるの好きだよねぇ、桜」
「だよね。そんなに食べてそんなにスラッとした体型してるとか信じられない」
「私まだちょっと身長伸びてるからね、栄養がいるんだよ」
話しながらも私は忙しく箸を動かし続ける。ぎっしり詰まったご飯も美味しい。
「私からしたら、
「えー、だってぇ、あたしチビだしすぐ太るんだもん」
答えた友人のもう一人、優美はふわふわの髪をしたシュークリームのような見た目をしている。そして見た目通り甘いもの好きで今食べているのもメロンパンである。優美と私は小学生からの付き合いだが、昔から甘いものを食べているイメージがあった。
「ホントはねぇ、髪も桜みたいに腰まで伸ばしてみたいと思った時もあったんだけどぉ、太いチビだと似合わない! って思って諦めたんだよぉ」
「優美太くないじゃん」
「太いよぉ、お腹とかヤバイんだからぁ!」
美容やダイエットに気を使いながらも甘いものはやめられない、優美はそんな普通の女の子だ。たまにキラキラの光線が見える気がする。食欲と睡眠欲に忠実な私には身に付けられない女子力だ。
一方でダイエットするならストイックに取り組むであろう清加は、贅肉の話題には興味がなかったのか、「そういえばさ」と私に話しかけてきた。
「桜って髪染めてるの? 結構明るい茶色だよね」
「地毛だよ、もともと色素薄くてさ。ほら、目も茶色でしょ」
「ああ、そうだよね。じゃあ中学とかなんか言われたでしょ」
「言われたー! お前染めてんだろって最初に絶対言われるの。地毛ですって言ってもしばらく疑惑の目で見られるし」
「ミルクチョコみたいで可愛いのにねぇ」
「優美は結局甘いもので収まるねぇ」
甘いもの好きだなと常々思っている優美の発言に思わず私は突っ込んだ。
「あー、デブだって言いたいのかぁ!」
「デブじゃないじゃん」
「まあまあ、これでも食べて落ち着いて」
「いやー! 清加、なんでチョコなんて差し出すのぉ!」
「じゃあこっち食べる? サンドイッチ」
「桜、サンドイッチも持ってきてたの」
「早弁用だったんだけどさ、今日ずっと寝てて食べ損ねたから」
「うう、いっぱい食べる桜がなんで痩せてるのぉ」
「身長伸びてるからね」
「それもムカつくぅ」
女が三人寄ればかしましくなるものだと言われるが、こうやって他愛のないことでぎゃあぎゃあ騒ぐのは確かに楽しい。私たちは結局、拗ねた優美のご機嫌を治すために放課後ショッピングに行くことを約束し、その後も他愛のない話題で昼休みを過ごした。
ちなみに、私はやっぱりこの後の授業も寝ていた。
素敵なお店があるの! とはしゃぐ優美に、私と清加が付いていく形で買い物が開始される。学校を出て西に十分ほど歩くとショッピング街があるため、放課後はよくそこに行っているのだが、ここの凄いところはいつでも目新しいものがあることだ。私はこの街に住んで十年以上になるし、昔からよくここで買い物をしてきたのだが、行くたびに気になる店、気になる商品が見つかる。ひとつ道を入ると魔法にかけられたように別空間に入り込むなんてことも未だにあり、いつでも知らない街を探検するような高揚感を味わうことができるのだ。
「あった、ここ!」
優美が嬉々として示した場所には赤茶のレンガを積み上げたレトロなお店があった。こじんまりとした店舗に丸いドアがくっついており、その横には小さな黒板でおすすめのメニューが書いてある。
「カフェ?」
「カフェと、雑貨屋さんみたいな感じかなぁ。可愛い小物がいっぱいあってねぇ、お茶しながらウットリしちゃうのぉ」
カフェと雑貨なんて、確実に女性客を狙いに来ているお店だなと思いながらも、私はその策略にはまってワクワクしていた。繊細で可愛いものなんて自分には作れないけれど、見るのは大好きだ。
「それにねぇ、イケメンの店員さんがいるよぉ」
優美は何故か私に向かってニコッと笑ながら言う。イケメンが好きなんて優美に言っただろうか。嫌いではないけれど。
「それは見たいね。入ろう」
しかしイケメンに反応したのは清加のほうだった。真面目な顔をしているが、実は清加は大の美男好きである。だが目の保養にするのが目的らしく、声をかけているところは一度も見たことがない。
清加は明らかにいつもよりも動きが速くなり、訪れたことのある優美よりも先にドアを開けて店内へと入っていった。それを見て私も慌ててドアを潜る。「いらっしゃいませー」と男性店員の声がして、そこで違和感を覚えた。なんか聞いたことのある声のような。目の前に清加がいて店員の姿が見えないため、ひょいっと体を傾けた。
そこにいたのは、二十歳前後の美青年。ふわふわの輝く金髪と湖のような青い瞳で、西洋の血が入っていることが分かる。その容姿は絵画の天使が成長したらきっとこんな青年になるだろうと予想できるほど美しく、背中に華を背負った上に後光が差しているように錯覚するほどだ。
確かにイケメンだし、これなら店に入るなり見とれて動かない清加にも納得できる。しかし今気にするのはそこではない。
「……
そのイケメンを見るなり私は叫んでしまった。清加が怪訝な顔をして振り返る。一方のイケメンは特に驚いた様子もなく、ああ、と返事をした。
「桜、学校はもう終わったのか」
「ちゃんと終わったよ。ていうか雪那、なんでここにいるの? 花屋さんは?」
この雪那という青年は、確か花屋で働いていたはずだと記憶していた。だから思わぬ所で店員として現れて状況がよく飲み込めない。
「そっちは辞めたんだよ。ここの店主とは昔からの知り合いで、手伝いを頼まれたからこっちで働くことにしたんだ」
「えー、聞いてない」
「別に言うことでもないだろ」
ドライだな! と言ってやろうと思ったが、優美が訳知り顔でニヤニヤしながら入ってきたので遮られた。
「ねぇ、イケメンだったでしょー?」
「優美、最初から言えばいいのに」
「えへへ、驚いた顔が見たくってぇ」
楽しそうな優美が可愛いので、なんだかそれ以上言う気も失せてしまう。そんな私を余所に雪那がニッコリしながら優美に手を振った。
「優美ちゃん、この間はどうも。それと……もしかして、清加ちゃん、かな?」
「あ、は、はい!」
黙ってやり取りを見守っていた清加が急に話しかけられて慌てて返事をする。イケメンを前にして緊張しているのだろう。冷静ではない清加を見るのは珍しい。
「いつも桜から話は聞いてるよ。これからも仲良くしてやって下さい」
「あ、は、はい!」
さっきと同じ返事してるぞ、と私は突っ込みたくなったが、緊張している清加に悪いので黙っておく。雪那はそんな清加を見ても優しく微笑み、イケメン好きの心臓を的確に撃ち抜いてきた。
「立たせっぱなしでごめんね。さぁ、お席へどうぞ」
そして紳士のように優雅な動きで私たちをテーブルまで案内する。
席につき、雪那がメニューの説明をして去っていくと、清加はすぐさま私に質問してきた。
「彼氏?」
「違う違う」
言われると思ったのですぐに否定する。面倒だけど説明しないとな、と私は話し始めた。
「ほら私、親がいなくて知り合いの人たちに育ててもらったって話したことあるでしょ? 今も一緒に住んでるって」
「ああ、うん」
「その一人だよ」
小学生の頃から付き合ってきた優美はその辺りの事情も知っているし、雪那とも顔見知りだが、高校で出会った清加にはあまり詳しく話したことがなかった。親のいない私は五歳の頃にある人に引き取られ、その人が大家をしている家があるというこの街へとやって来た。そしてその家に住んでいる人たちに面倒を見てもらい、今も家族として一緒に暮らしている。
「だからさっきの雪那も、彼氏どころかお父さんとか叔父さんみたいな感じだよ」
「そんな年じゃないんだから、せめてお兄さんでしょ」
「いや、見た目よりずっとイイお年だからね」
「雪那さんて変わらないよねぇ」
十年前から知っている優美がしみじみ言ったことで信憑性が増したのか、清加は驚きつつも「どうやって若さを保ってるのか知りたい」と興味津々の様子だった。そこに本人がやって来たので、「本人に聞くか」と私が雪那に声をかける。
「雪那、若さの秘訣は? だって」
「手のかかる子供がいることじゃないかな」
雪那はニッコリしながら私の頭をポンポンした。私のことか。雪那のこの行動に他の二人はきゃあ、と色めいたが、実際に手を置かれている私には分かる。手に力がこもっているのだ。これは余計なことを言うなということである。雪那は外では猫を被って優男を演じているが、家ではこんなに物腰柔らかではない。
「……カフェオレ下さい」
「かしこまりました。お二人はいかがなさいますか」
「あ、えっとぉ、メロンソーダ下さぁい」
「じゃあ、私はアイスティーで」
「かしこまりました」
雪那は何事もなかったかのようにメニューを下げ、オーダーを伝えに奥へ引っ込んでいった。
その後は雪那と一緒に暮らしていることを羨まれつつ、再び他愛の話で盛り上がる。その中で私はふと店の一角に置かれたテーブルが目についた。綺麗なレースが引かれたそのテーブルの上には数々の小物が乗っている。そういえば雑貨も売っていると優美が言っていたっけ。
「ねぇ、私あれ見てきていい?」
「あ、雑貨でしょー。見よ見よぉ」
そう言って三人で立ち上がり、そのテーブルへと近づく。花やレース、キラキラやふわふわの、女の子が一度は夢見る空間がそこにはあった。
「可愛いー! あ、これ欲しいー!」
私は見るなり気に入った小箱を手に取って、角度を変えながらいろいろ見てみる。手のひらに収まるサイズで、紫に近いピンク色の小箱はアンティークのような凝ったデザインがしてある。一番上に小さいウサギが乗っていて、これを摘まんで開けるようだ。後ろにネジがあるのでおそらくオルゴールだろう。しかし、私はぐるぐる見るうちに見つけてしまった。底に貼られた恐ろしい数字を。
「さ、三万円………!?」
「それは一点ものだし、店主がこだわって輸入したものだから高いんだよ」
いつの間にか雪那が後ろにいて私の手元を覗きこんでいた。手には私たちが注文した飲み物の乗ったお盆を持っている。
「私、いま二千円しか持ってないんだけど」
「……ティッシュケースで我慢するんだな」
ほら、と指差された場所にはパステルカラーの可愛らしいポケットティッシュを入れるケース。五百円。
私は後ろ髪を引かれつつもオルゴールを手放して席に座り、カフェオレを飲んだ。しかし雪那にサービスでもらったシフォンケーキを頬張ると、もうそのことは忘れて幸福に浸っていた。
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