魔物たちの勇者撲滅記録
葛城獅朗
バラ園に残した愛
第1話 序
この上もなく美しい幻覚を見た。
それは楕円の月が眩しいほどの光を地上に降り注ぎ、それに呼応するように桜も花びらを散らせる、春の夜のこと。
透の父方の祖父は近所でも有名な大邸宅を持つ富豪で、特に庭のバラ園は素晴らしく、噂を聞き付けた造園好きの人々がわざわざ遠方から見に来るほどだった。透も昔、一度だけ訪れた際にそれを見て、子供心に感動したのを覚えている。だが、そのバラ園にはちょっとした問題があり、祖父の死後、処理をどうするかで家の中がピリピリしているのだ。
また喧嘩するのだろうな、と自身の両親を思い浮かべながら、透はため息をついた。どうするのよ、と詰め寄る母と、どうしようもないだろう、と怒鳴る父。いつもこれの繰り返しだ。本当に何とかしたいと思っているのなら、もっと具体的な話をすればいいのに。二人とも考えることを放棄し、自分ではない誰かが解決してくれるのを待っているのだ。そこまで考えて、透は内にこもったイライラを吐き出すように、またひとつ、ため息をついた。
その直後だ。しん、と静まり返る住宅街に、カツンと小石でも降ってきたかのような音が響いたのは。
「?」
上から聞こえた。そう思った透は顔をあげ、ひとつの住宅の屋根を見た。
「――――――………っ」
透は息を飲んで硬直した。屋根の上には、人がいた。月の逆光で黒い影にしか見えないその人は、住宅の屋根の上にたたずみ、風に吹かれていた。長い髪が風に乗ってそよぐ。
いつの間に、と透は思った。上を向いて歩いていたわけではないが、この道はまっすぐで視界も良い。屋根の上に人が乗っていたら、もっと前に気が付くだろう。
ということは、この人は今、忽然と姿を現したのだ。
そう思い至った瞬間、透の体中を恐怖が駆け巡った。ここから一刻も早く逃れたいが、動いた音で気づかれるかもしれないという不安で動けない。得体の知れないものに気付かれれば恐ろしいことになるかもしれないという思いにとらわれた透は、息さえも押し殺して固まっていた。
しかし一方で、その得体のしれないものの姿をもっとよく見れないかという好奇心も湧き出していた。冷静に考えればそのような好奇心など、こんな状況では身を滅ぼすもの以外の何物でもなかったが、今の透が冷静に考えられるはずもない。透はおびえながらも目を凝らした。しかし舞い散る桜が視界を横切り、鮮明に見ることは叶わない。
恐怖と好奇心の板ばさみに遭いながら、どれほどそうしていただろう。現状を変えたのは先方だった。おそらく透の視線に気付いたのだろうその人は、振り返って透と視線を合わせた。
「っ!」
透はその人と眼が合った途端、驚きと恐怖が体を駆け上っていくのを感じ、再び硬直した。
金、だ。
その人の瞳は、月光よりも強烈に輝く金色をしていた。
こんな瞳を持つ人間なんているのだろうか、と透は自問した。しかし金色の瞳、ましてや輝く瞳など、見たことも聞いたこともない。そしておそらく、そんなものは存在しないだろうと自答する。
では、アレは何だ?
(人間ではない、とか……?)
そう思った瞬間、三度恐怖が這い上がり、透はそんなことを考えた己に舌打ちしたくなった。どんなに恐ろしくても、動けないことには視線は外せない。そして向こうも、動かずじっと透を見つめてくる。
だが透は、その場に自分を縫いとめる視線に、恐怖以外のものを感じ始めていた。桜が舞い散る中、月光に照らされて、それよりも輝く金色の瞳。美しいと思った。
透は頭の片隅で未知への恐怖を感じながらも、いつの間にかその美しさに魅入られて警戒心を緩めていた。だから正面から突風が吹いてきたとき、透はかなり驚いた。桜の花びらが一斉に襲ってくるのを見て、思わず眼を瞑り顔の前に手をかざす。
そして突風がやみ、再び屋根に視線を戻したときにはもう、金色の瞳は消えていた。
透はしばらく屋根を見つめ、ぽかんとしていたが、ふと我に返って辺りを見回した。美しい金色が、どこかに潜んで自分を襲いに来るタイミングを窺っているのではないかと怖くなったのだ。体中から一気に汗が噴き出す。透は何度かそろりそろりと辺りを見回した後、ゆっくりと歩き出し、最終的には走って家まで帰っていった。
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