第二章②

 睡蓮の着替えも終わり、三人は陽琳の部屋へと移動した。

 使用人のお仕着せを身に着けた睡蓮は、とても死んだ人間とは思えない美女ぶりだ。

 艶のある長い黒髪の一部を、陽琳が作った行動制御の呪文を織り交ぜた領巾を使って頭頂でうまくお団子にしている。

 陽琳の後について部屋へ足を踏み入れた途端、睡蓮は顔をしかめた。

「貴女……こんな部屋で生活してるんですの?」

「そうだけど? ちょっと散らかってるけど、座る場所とか、適当に作ってちょうだいね」

 あらゆる薬草類が窓際に吊り下げられ、棚の上には大小様々な壺や石が所狭しと並ぶ。

 そんな珍妙な品々に囲まれたこの部屋は、さながら怪しげな骨董店のような有様だ。

 睡蓮は嫌そうながらも、椅子の上に積み上げられた書物を叩き落として腰掛けた。

 その姿を確認して、陽琳は声をかけた。

「とりあえず、ちょっとした実験に付き合ってもらってもいいかしら?」

「実験? ……乗り気ではありませんけれど、私の行く末に関わることでしたら、協力することはやぶさかではありませんわ」

 睡蓮の答えに、陽琳は紫晃を見遣る。すると紫晃は、一度退室した後、山盛りにされた盆を持って戻ってきた。

 盆に載せられた品々が目の前に並べられるのを見て、睡蓮は怪訝そうな顔をして言った。

「これは一体何ですの?」

「まずは貴女に何ができるかを見定めようと思って、紫晃にいろいろ準備してもらったの」

 ずらりと並ぶ品々は、刺?布、針、糸、筆、紙といった物から、桶、箒、包丁、芋に至るまで様々だ。

 それらを前にして、紫晃が淡々とした口調で説明をした。

「貴女にはこの邸で使用人としての役割も果たしていただく以上、技能の見極めが必要になります。ここに用意されたものを順に使用してみていただき、ちゃんと使えるのか、そもそも用途を理解しているのか……などを確認していきます」

 その説明に、陽琳も続く。

「出自によって知識や技能も偏ってくるから、そういったことも含めて調べたいのよ。少なくとも低所得層ではないということはわかるのだけど」

「まあ、一部、陽琳様の趣味のため─という理由も含まれていますが」

「それは言わない約束よ」と小声で耳打ちしながらも、自然に顔が緩む。

 何しろ初めて未知なる存在と遭遇したのだ。好奇心と研究欲の疼きが止められず、陽琳はうきうきしながら、並べられた品を物色する。

「まずは、力、耐久力、器用さ、丈夫さ、感覚機能を確認したいところだけど、力の強さについては、さっき確認済みね」

 盛大に吹っ飛ばされたのだ。身をもって確認したともいえる。

「では、感覚機能についてですが……貴女はこの部屋にいて、何か感じることはないですか?」

 紫晃の問いかけに、睡蓮が眉をひそめる。

「とてつもなく雑然として、薄気味悪い部屋だということはわかりますわよ」

 その答えに、紫晃が「なるほど」と頷いた。

「もしやと思いましたが、どうやら嗅覚は機能していないようですね」

「え、どういうこと?」

「私も陽琳様もすでに慣れてしまっていますが、普通の人間であれば、あまりにもひどい臭いのため、この部屋に長くはいたくないはずですよ」

 薬品の饐えたような匂いと、薬草類の苦みと甘みが混在した匂い。そして古い書物類の放つかび臭さが混在したこの部屋に来た人間は、真っ先に鼻をつまむことが多い。

「そう言われると少々心外ではあるけど……理由はやっぱり、体が死んでいるからかしらね。一部の感覚は機能していなさそうね」

「そうなると、体の機能の制御も難しいかもしれませんね」

 少し思案すると紫晃は置かれていた芋と包丁を手に取り、睡蓮の前に置いた。

「では、この芋の皮を?いてみてください」

 紫晃からの提案に、睡蓮は若干憮然とする。

「なぜ、このわたくしが皮?きなどしなくてはならないのです!」

「厨房仕事は使用人にとって、基本中の基本です」

 きっぱりと言い放つ紫晃に、睡蓮は渋々と包丁を?んだ。

 そして構え、左手に持った芋に刃を当てるが……

「あ、あら?」

 厨房仕事などやったことがないのだろうか。手つきはおぼつかなく、「あっ」という叫びとともに刃は芋の上を滑り、そのまま指に当たる。

「す、睡蓮、大丈夫?」

 陽琳は慌てて睡蓮の手を取るが、その手からは一滴の血も流れていない。

「今、指を切ったかと思ったんですけれど、無傷ですわね。痛みもありませんわ」

 困惑したように睡蓮は滑らかな表面を保つ自らの手を見つめる。

「確かに文献には『死鬼の皮膚は硬く、並の刃では傷つかない』と書いてあったわ。まさに文献通りね! ……面白くなってきたわ。次よ、次! どんどん行くわよ!」

 目をぎらぎらと輝かせ始めた陽琳に、睡蓮がぎょっとしたように口元をひくつかせた。

「ちょ、ちょっと、目的が変わってきていませんこと!?」

「目的? もちろん私のセンカツのために決まってるじゃない! ……あ、でも、一応、睡蓮の成仏のためでもあるのよ?」

「一応って何ですの! 一応って!」

 睡蓮が絶叫するが、爛々と目を光らせた陽琳は次の調査項目へと手を伸ばした。


 刺?、掃除、洗濯、書字、楽器など、様々な項目を試し続け、一通り終了したのは日付も変わろうかという時刻だった。

 陽琳は帳面に試したことをまとめ上げるべく、ひたすら筆を振るっていた。

「陽琳様。夜も更けてまいりましたから、そろそろお休みになられてはいかがですか?」

 紫晃に窘められ、黒くなった帳面から、陽琳は顔を上げる。

「んー……わかってるけど、死鬼の特徴の『日中は動きを停止し、夜は活動し続ける』っていう項目の確認をしないままでは、眠れないわ……!」

 と言いながらも、今日は怒涛の一日だった。そのために、すでに強烈な眠気が襲ってきていることは確かだ。気を抜くと、思わず目が閉じそうになる。

「お気持ちはわかります。ですが、陽琳様がお体を壊されるのを、この紫晃は見過ごすわけにはまいりません。私が代わりに見ておきますので、陽琳様はどうかお休みください」

 いつにない真摯な言いように、陽琳は一瞬戸惑ったが、渋々頷いた。

「……わかったわ。紫晃に任せるわ」

「明日、お目覚めになられましたら、状況はしっかりとお伝えしますよ」

 その言葉に、陽琳の後ろ髪ひかれる思いが少し断ち切られる。

 だが、ふと気になったことがあり、陽琳はそれを口にした。

「ねぇ、紫晃。どうして急に、センカツを手伝ってくれる気になったの?」

 これまで、陽琳が必死に土を掘ろうとも、呪術陣を描こうとも、センカツを餌として釣ることはあっても、一切その手助けはしてこなかった紫晃が、協力的になってくれたのは初めてだ。

 紫晃は小首を傾げた。

「別に手伝っているつもりはありませんが……。強いて言うならば、初めて陽琳様が本物の摩訶不思議な存在に出会われたのですから、私の職務の範囲内で補佐してもよいのでは、と思っただけですよ」

 その解答に、厳しくも良き理解者である紫晃なりの優しさを感じて、陽琳の心がふわりと温かくなる。

「紫晃は昔から、ずっと変わらないわね」

「そうですか?」

「ええ。初めて出会った時も、私がセンカツをしている時も。周りがどんな目で私を見ていても、ずっと、私が私でいることができるように見守ってくれているわよね。そんな紫晃がいてくれるからこそ、私はこれでいいんだって、安心できるのよ」

 陽琳の素直な気持ちだった。いつも一緒にいるからこそ、当たり前に感じて言葉にしない。だが、改めて紫晃という存在をありがたいと感じた。

「紫晃は私を認めてくれた上で、私のためにならないことは指摘してくれるものね。だから、今日はちゃんと寝るわ」

「ええ。おやすみなさいませ。陽琳様」

 そう言って、睡蓮を連れて去っていく紫晃の顔は、僅かに微笑んでいるように感じた。

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